外出

 文句を押し殺しながらも、外出用の服──長袖パーカー、長ズボン共に黒の無地──を身に着ける。


 そういえば、財布とか家の鍵、どこ置いたっけ。ああ、あったあった、学校用のリュックに入れたままだったか。


 それらを小学生の頃に買った小さいポシェットに入れて、玄関に向かう。お気に入りの黒いクロックスを引っ掛け、外に出ると、天水さんは今度は庭の外で塀に寄りかかって待っていた。


 正直バックれてしまいたいが、この人が本当はどういう目的で俺を訪ねたのか、少し気になるから、今回だけ付き合おう。小さく溜息を吐いて、彼女の近くに寄る。


「……おお、真っ黒ですね。どこかの二刀流の人?」


「あながち間違いじゃない……それで、どこに行くんだ?」


 天水さんはファッションに厳しいのかは知らないが、俺の服装を見てしばらく唸り続ける。実際、天水さんの服装は、夏場の暑さに合わせた涼しそうなものかつ、素人の俺でも分かるくらいに可愛らしいものだった。かといって、主張は控えめだ。


「……服屋に行って服装を整えてあげましょう」


「帰っていいか?」


「ああ待って! うん、君の行きたいところでいいですから! ほら、どこかない!?」


「強いて言うなら……」


「強いて言うなら?」


「家に帰って寝たい」


 天水さんが前傾姿勢に項垂れる。仕方ないじゃないか、元々寝るつもりだったんだから。


 ただ、この人はそんなことは露も知らない。言っても仕方のないことだ。


「じゃあさ、イオン行きましょうよ。電車で行けますよね? 引っ越して日が浅いので、この辺でどこで遊べるのかとか、あまり詳しくないですし。イオンならゲーセンとか映画館とかありますよね?」


 イオンか……電車で二十分ってところか。最近観たい映画もないし、ゲーセンよりも部屋でソシャゲやる方が楽しいものだから、全然行ってないや。


「……分かった。付き合ってやる」


「やったー」


 楽しそうな声を発して、駅の方角とは反対側へと歩き出す。こいつに先導させては、いずれ迷子になってしまいそうだ。


「駅は反対側だ。着いて来い」


 「マジか」と呟きながら、俺の後を追いかけて来る。


 風が長らく切っていなくて伸びた前髪を揺らした。夏のジワジワとした暑さが、本当にウザったらしい。風すらもぬるいじゃないか。こんな日に出掛けようだなんて、まったく何を考えているのやら。


 でも、こいつのあの表情は有無を言わせぬ迫力があった……今の俺に、あれを断るほどの気力は残っていない。仕方ないか。


「ねえねえ。君の名前、教えてくれませんか?」


「……クラスメイトなら知ってるだろ」


「だって二学期から通い始めてまだ少しですよ。他のクラスメイトの名前は覚えましたけど、学校来てない人の名前なんて覚えられないですよ」


 いや、そんな数日で俺以外全員覚えたとか、記憶力異常かよ。俺なんて、引きこもるまで十日くらいは通ったけど、今や一人として顔も名前も分からないぞ。


「はあ……俺は神奈川かんながわ夕」


「え、神奈川かながわじゃないんですか?」


 胸にズキリと痛みが走る。理由は一つ……俺とかつての親友──涼が初めて会った日、まあ小学校の入学式だが、その日にまったく同じやり取りがあった。それを思い出した。


 痛みに歩みを止めて胸を押さえていると、天水さんが近寄ってくる。痛みで視界が霞んで表情はよく見えないが、俺を心配していることは分かった。


「どうかしましたか? 大丈夫?」


 歯を食いしばりしばらく痛みに耐え、浅い呼吸を繰り返していると、徐々に痛みは引いていった。一分ほどもすると、ゆっくり呼吸をしても何ともないくらいには収まった。


「……なんでもない。あと十分で次の電車が出る、急ぐぞ」


 かなり酷い言い方をしている。無意識に発していたが、それは俺も理解していた。


 だが、天水さんは文句の一つも言わずに俺の後ろを着いて来る。普通なら文句を言ってもおかしくないが……少なくとも、俺は既に七回くらいは言ってるだろう。逆の立場なら。


 それ以降会話はなく、七分ほどで俺ん家からの最寄り駅である、地方鉄道の琴平電鉄──通称ことでんの琴平線、太田駅に着いた。すぐに電車が来て、俺達は二両構成の車両のうち後方のものに乗り、真ん中あたりの座席に腰を下ろす。


 もちろん、天水さんは俺の真横に座る。脚が触れそうなくらい近くに座るものだから、つい無意識に手すりの鉄パイプにもたれ掛かる。


「あ、すみません。近かったですか?」


「……そうだな。出来ればあまり近付いてほしくない。他人には」


 そう言うと、天水さんは今度も文句も言わずに、「分かりました」とだけ言って人一人分間隔を空けて座り直す。


 良心が痛まないなんてことはない。でも、それでも今の心が、誰かを近くに置きたがらない。心が、誰かを傍に置く資格が、俺にはないと囁く。


 そんな事をしているうちに、電車はすぐに発車した。黄色いラインの入った二両の車両が、田舎の風景の中を走りだす。


 ポシェットからスマホを取り出し、ほとんど登録している人のいないLINEを開く。妹とのトークを表示し、「ちょっと出掛ける。鍵もってたっけ?」と、打ち込み送信する。


 チラッと隣に目をやる。天水さんはどうも、この辺の風景が珍しいのか、反対側の車窓から外を眺めている。音楽も聴かずにこの田舎の風景を眺めるだけで楽しめるとは、感受性が豊かなのだろうか。まあ、どっちでもいいや。


 スマホがブルブルと震えて、妹からの返信を知らせる。「持ってるよー。珍しいね、お兄ちゃんが外出って」と、返事が返ってくる。確かに、俺が家から出るとすれば、コンビニか本屋くらいだものな。


「妹?」


「……知ってどうする」


「ううん。夕くん、顔立ち結構整ってるし、妹ちゃんも可愛いんでしょうねー、って思っただけです」


 返事になっとらん。


 まあ、妹は普通に可愛いと思うけど。なんだかんだでいつも夕飯──大体レトルトや冷凍物だが──作ってくれているし、今日みたいに一日に一度は必ず話し掛けてくる。きっと、将来はいいお嫁か社会人になるだろう。今のところ色恋沙汰の噂すらもないが、すぐに彼氏くらい連れてくるかもしれない。


「妹かあ……私も、本当の兄弟欲しかったです。一人っ子なので、いつも家で独りでしたので」


「……そ」


 淡白な返事だけを返して、妹への返信も済ませる。会話を終わらせる文章にしたから、後はもうスタンプくらいしか返ってこないだろう。おっと、ちょうどスタンプが返ってきた。


 そういえば、本当のきょうだいってどういう意味だろうか。まるで、偽りのきょうだいならいたかのように聞こえるが……そんなもの、あるのか? 義兄弟とかか?


 いや、こいつに関する詮索はよそう。どうせ学校に行かなければ、金輪際こんりんざい関わりを持つことはないだろうし。


 電車は駅毎に止まりながら、確実に目的地の綾川へと走っていく。

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