41話 我が家を取り巻くトラブルの数々
そんなに高い物見櫓には見えなかったが、見晴らしはやっぱり雄大だった。
1ヶ月前に稜線から谷を見た時より、魔物の姿は少なくなっていて、飛んでいる大型の魔物も見当たらない。大型の牛がまばらな群れをなしているのは変わらないが、骨の竜は相当少なくなっている。
谷が安定したおかげだ。
下を覗き込むと、砦の中で監査官をもてなす盛大なバーベキューの準備が進んでいるのが見える。だが、上空の風はかなり強く、匂いはここまで届かない。
また強風が吹き抜けて、櫓が軋む。物見台の下からは放射状に何本も縄が地面まで張られているが、これは空からの襲撃を邪魔するだけでなく、櫓が倒れないように安定させる役割も果たしているのだろう。
「これはまずい……」
隣のナーグ監査官は、なぜか深刻そうな声を出した。
さっき、無許可築城について、法律を知らなかったと必死に言い訳した後なので、一瞬その事かと思ったが、この雰囲気は多分その事ではない。
「どうしました?」
僕が訪ねると、ナーグ監査官は谷を挟んだ向かい側の尾根を指差す。
指差されて初めて気がついたが、谷向こうの尾根に別の塔がそびえ建っている。遠いのでわかりづらいが、おそらく石造りの本格的なものだ。
「あの塔が何か?」
「あれはナログ共和国の見張り塔だよ。停戦後に作られたもので、我が国にも通知があったものなんだが……。あれがこちらから見えているという事は、あちらからも見えているってことだ。この砦の存在は、もう気づかれている」
父上がこの砦を作った目的は、『死の谷』から流入してくる魔物を止めて、村をより安全にして発展させる事だ。似たようなものがナログ共和国側にあっても驚くには値しない。
「それに何か問題でも?」
聞き返すと、ナーグ監査官は意外そうにこちらを見た。
「ふむ。そう言えばマイナはこういう事には疎かったね。じゃあ、僕から説明しようか」
ナーグ監査官は、少し嬉しそうに説明してくれる。
なんでも、『停戦中』というのは戦争が終わったという意味ではないらしい。戦争は終わっておらず、単に戦闘が止まっているだけの状態なんだそうだ。つまり、敵対はまだ続いている。
そして、これまでなら『死の谷』がその危険さから両国の緩衝地帯になっていたはずだが、父上が谷のヌシを倒してしまったことで、その危険度は大幅に下がりつつある。つまり、緩衝地帯としての機能は低下したということだ。
「え? じゃあもしかして?」
父上は停戦の翌日に命令違反をして、ナログ共和国の部隊を襲った。字が読めなくて騙されたと本人は言っているが、それを信じていない人から見れば、父上は完全に主戦派だろう。
そんな父上が、ナログ共和国との緩衝地帯である『死の谷』を制圧し、その側に砦を築いた。しかもなんの報告もなしに。
「独断で停戦を破ろうとしていると勘違いされるって事ですか?」
もしも父上がまた命令違反をして、ナログ共和国を刺激してしまうと、再び戦争が始まりかねない。
「そうなるかもしれないね。このまま築城許可を受けないまま外交問題にでもなれば、君の父上はつらい立場に立たされるよ」
本当に深刻な問題だった。うちの家族はそろって脳筋で、家臣にも村人にも法律や外交に明るい人間がまったくいない。
「それは、どうすれば防げますか?」
「はいそこ! 難しく考えすぎ! 今はそんな事よりマヨネーズでしょ? 下の人が呼んでるから行くよ!」
僕が姿勢を正して身をのりだしたところで、一緒に景色を見ていたオーニィ監査官がナーグ監査官との間に割り込んでくる。
いや、今は確実に誤解への対応が先決ではなかろうか。
だが、そんな事を気にした様子もなく、ぐいぐいと腕を引っ張ってくる。下を見下ろすと、村人たちがこちらに手を振っていた。
降りてこいというジェスチャーだ。
「ごっはん♪ ごっはん♪ マヨネーズ焼きにマヨネーズサラダ、マヨネーズパン、それにスープ! スープにマヨネーズ入れたらどうなるんだろ~♪」
訳の分からない歌を歌いながら、オーニィ監査官がハシゴを降りていく。これはもう完全にマヨネーズ中毒だ。マヨネーズのスープとか、マヨラーと呼ばれる人種がいた前世でも聞いた事がない。
ともあれ、オーニィ監査官の接待にマヨネーズが不可欠なのは理解した。
だが、こちらの世界の卵は、今の時期かなりの貴重品である。生き物が一斉に卵を産む春先なら簡単に手に入るが、今は夏の中盤を超えたあたり。
少し前に狩人に聞いた話では、跳鶏と呼ばれる小型の魔物のねぐらには、無精卵が大量にあるらしい。冬の間の自分の食料にするために蓄えるという変わった習性があり、その卵はかなり日持ちする。
さほど数はいないが、今手に入れるなら跳鶏のねぐらを見つけるしかない。村に帰ったら誰かに取りに行ってもらおう。
◆◇◆◇
「は? アモン監査官が倒れた?」
櫓を降りた僕らを待っていたのは、馬車に乗っていた人たちが、熱中症で倒れたという報告だった。その中にはアモン監査官も含まれていたらしい。
楽しみにしていたご飯を邪魔されたオーニィ監査官の雰囲気が、氷点下まで下がっている。
「は、はい。身体を洗うために風呂に入ってもらったんですが、どうも水分を摂っていなかったみてぇで……」
王都に奇病の原因と対応方法の報告書を送ったから、その事実関係を監査しに来たはずだ。もしかして確認のためにわざと罹ってみせたのだろうか?
「あっしらじゃ荷が重いんでさ。坊ちゃん、ちょっと見て来てくだせぇ」
ここで僕か。まぁ、治療方法の有効性を証明するという意味では、ちょうど良いかもしれない。
「わかったよ。ちゃんと身体は冷やしてる?」
熱中症が発症した場合の対応は、基本涼しい場所で休み、適切に塩分と水分を摂ることに尽きる。報告書にもそう書いたし、村人にもそう教えている。
「へぇもちろん。今も日陰のテントで涼んでもらってやす」
この砦には、壁のない屋根だけの建物を建てて、その下に布を張った熱中症対策用のテントがある。患者が出たらテントを布を濡らして、気化熱で涼しくなるようにしておいた。
村人はちゃんと対応してくれているようで、僕が出る必要はなさそうな気がするが、声がかかるということは何かあるんだろう。
「例の飲み物は?」
熱中症の特効薬は、前世風に言うとスポーツドリンクだ。こちらの世界では水と塩とハチミツとショウガが原料になっている。
冷蔵庫がないので冷やせないのが残念だが、効果は変わらないだろう。
「沢で冷やしたのをお出ししたんですが、飲まねえんですよ」
と思ったら冷やせるのか。それはちょっと飲んでみたい。
「僕は様子を見に行きますけど、お二人は先に昼食を食べておいてください」
オーニィ監査官がとんでもなく不機嫌になっているので、先にご飯を食べてもらおうと思ってそう声をかけると、ものすごいヤンキー顔で睨まれた。
顔は幼いのに、目つきはすごい。
「一応ね、ものすごく腹立たしいことにね、お仕事中だったりするんだよね」
それはついて来るという意味だろうか。できればその不機嫌すぎるオーラはやめていただきたい。
僕が移動を開始すると、二人はそのままついてきた。
辿り着いた休憩所は、日陰特有のヒンヤリ感が出ていて、なかなか快適だ。
「貴様ら……毒を……」
4人ほど横になっている人がいる。そのうち、少し騒がしいのがアモン監査官だ。
「こんにちは。倒れたそうですが、大丈夫ですか」
水筒を持ったまま困っている村人の横から、割り込んで挨拶をする。
「よくもぬけぬけと……これは、かんさのぼうがい……」
隣に置かれた桶には、胃液っぽい液体が少しだけ入っていて、本人はぐったりしている。嘔吐は収まっていないらしい。
「他の人たちは?」
水筒を持っている村人に尋ねる。他の人たちは、水筒を抱いて横たわり、目を閉じている。
「全員水分を摂りました。飲んでないのはこの方だけですね。どうも、仲間の従者ばかりが熱中症になったので、毒を疑っているみたいです」
到着時に耳打ちをしてきた従者は近くに控えているので、全員が発症したわけではないらしい。
なるほど。報告書を信じず、注意事項を守らなかった人が熱中症になったわけか。
「わかった。じゃあそれ貸して」
僕は、腰に吊っていたコップを手に取ると、村人が持っていた水筒からコップにスポーツドリンクを注いだ。
唖然とするアモン監査官の前で、スポーツドリンクを一気に飲み干す。冷たい喉越しが実においしい。
何かに似ていると思ったら、ジンジャーエールだ。炭酸は入っていないけど、炭酸だったらもっとおいしかっただろう。
「アモン様。何か誤解があるようですが、この通り毒は入っていません。当家としてもアモン様に何かあって、痛くもない腹を探られるのは本意ではありません。大丈夫ですからちゃんと治療を受けてください」
アモン監査官は弱弱しげにこちらを見上げている。
「しかし、このとりでをわたしに見られたくはないはずだ……」
疑心暗鬼がひどい。
「本当にそうなら、『死の谷』にでも置き去りにすれば良い話です。今日の晩には新鮮なゾンビが出来上がるでしょう。そうしていないのが何よりの証拠ではないですか?」
アモン監査官はしばらく考え、震える手をゆっくりと伸ばして、水筒を受け取った。
「ゆっくり飲んでください。そして休んでください。落ち着いたら食事を運ばせますので」
アモン監査官が水筒に口をつけるのを見届けると、僕はテントを出た。
ナーグ監査官とオーニィ監査官は黙ってついて来る。
トラブル続きで、ちょっと気が滅入ってきた。
「坊ちゃん! 赤熊が出ました! 手伝ってください」
再び、村人がやってきた。今日は厄日か何かだろうか? お腹もすいてきたし、そろそろ勘弁してほしいところだ。
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