42話 赤熊襲来


 赤熊。竜系を除けば、ほぼ生態系の頂点にいる魔物だそうだ。


 特徴は強力な身体強化と体表硬化であり、神術の効果も大幅に弱体化されるらしい。極めつけは、傷ついてから発揮される血液操作で、流れ出た血をそのまま凶器にして強くなる。


「とは言え、脳や心臓を破壊して即死させてしまえば終わりなんで、砦防衛用のミスリルの槍の使用を認めてくれるなら、そこらの牛と変わりませんや」


 まだ開いている門の前で、狩人のシーピュさんと立ち話をかわす。


 シーピュさんは熱中症の治療に成功した最初の患者で、その後の1ヶ月でかなり仲良くなった。


 シーピュさんからは様々な魔物について習い、僕からは読み書き計算と走り方を教えている。


「ミスリルの槍なんてあるの?」


「ええ。肉が儲かってるみたいで、先週ここの防衛用に届きました」


 拠点防衛用か。


「そっか。なんか危なそうだし、使えるものは使っていこう」


 ミスリルにどんな効果があるかなどはまだ知らないが、 前世でも聞いたことがあるくらいの金属なので、きっとすごいんだろう。


 昨日からいろんな問題が噴出しすぎて、もうお腹いっぱいだ。この問題は死傷者が出る前に、誰かになんとかしてもらわないといけない。

 父上がいれば適任なんだろうけど、いないので代わりにシーピュさんに頑張ってもらおう。


「おおい! 坊ちゃんの許可が出たぞ! 倉庫からミスリルの槍持ってこい!」


 シーピュさんが近くの村人に指示を出す。砦に逃げ込んで来る冒険者が増えてきているので、そろそろ熊が近いのだろう。


「持ってきました!」


 村人がミスリルの槍を2本、運んで来た。うち一本をシーピュさんに渡して、もう一本を僕に渡してくる。


「え? 僕?」


「じゃ、行くっすかね。気を引いた方が囮役で、引かなかった方が本命ってことにしましょうや」


 まてまて。いつ僕が戦うと言った。そして、何を当たり前のように段取りを決めようとしている。


「早く終わらせてマヨネーズだからね!」


「武運を!」


 ついてきていた監査官の二人も、当たり前のように見送りの体制だ。


 シーピュさんに背中を押されて、門の外に出る。誤解を訂正する暇はなかった。


「お? 避難も終わるみたいっすね」


 僕らの前には、立ち枯れて真っ白になった木立がポツポツとある程度の白い景色が広がっている。色彩があるのは、負傷した仲間に肩を貸しながら必死に戻ってきている冒険者たちと、立ち上がってキョロキョロと周囲を伺う色鮮やかな赤い熊だけだ。


 あの冒険者が最後らしい。


「よっしゃ、じゃあ門閉めとけよ〜」


 まだ傷のない新品の槍を肩に担いで、気楽な様子でシーピュさんが赤熊に向かって進んでいく。


 そういえばこの槍、柄から穂先まで全部ミスリル製だが、前に使った鋼製の棍よりかなり軽い。


「えーと、どうしてもやらなきゃダメ?」


 元々革鎧は着ていて、今ヘルメットみたいな兜も被り直したけど、相手は熊だ。当たれば一撃で殺されそうな気がする。いや、基本魔物はどの魔物でもそうなのだけど。


「またですかぁ? 坊ちゃんもちったぁ自信持ってくださいや。今の砦に坊ちゃん以上の戦力なんていませんぜ?」


 この1ヶ月で薄々気づいていたが、うちの村の住人、うちの家族への信仰が厚すぎる。そりゃ父上や義母さんがすごいのは確かだ。妹のストリナも将来凄くなるだろう。


 だが僕は違う。僕は6歳の妹にさえ負ける家庭内最弱だ。シーピュさんの期待が重すぎる。


「さて、お喋り余裕はありませんや。一撃で即死は絶対でお願いしやす」


 シーピュさんは一人で駆けて行ってしまう。シーピュさんの実力がどの程度か僕は知らないが、さすがに一人では無理だろう。


「ああ、もう」


 どうしてこうなるのか。ため息をつきながら、僕も駆け出す。


「ウー!」


 立ち上がった熊は4メートルほどの巨体で、牙を剥き出している。


 すでに怒っているところから見て、冒険者から攻撃されたのかもしれない。


 熊は、二手に分かれた僕とシーピュさんを見比べると、まずはシーピュさんを警戒する事にしたようだ。身体をそちらに向けて、爪が目立つ手を振り抜いた。


「がっ」


 シーピュさんの呻き声か、熊の鳴き声か、判然としない声が聞こえて、シーピュさんはぶっ飛んでいった。一応槍の柄で防御していたが、ミスリル製の槍がグニャリと変形したのが一瞬見えた気がする。


「こんちきしょーっ!」


 やられるのが早すぎる。当初の段取りによれば、今気を引いていない僕が本命って事だ。脳か心臓を破壊して即死させたら勝ち。それ以外だとパワーアップしてしまう。


 しかし、ここからでは槍が届かない。


 仕方がないので、僕は逆上がりの要領で、立ち枯れている木立の枝の上に登る。片手で上がれるのは、日頃の鍛錬の賜物だが、この熊に通じる気はこれっぽっちもしない。


 バキッ


 熊が僕を見逃すはずもなく、熊は枝を殴ってくる。僕が乗った枝は太かったが、一瞬でへし折られてしまった。


 僕は落下しながら幹を蹴って、落ちる途中を狙った爪をかろうじてかわす。


 木に登るのは得策じゃない。他の方法を考えないといけないが、囮役がいなくなった今、気づかれずに頭に攻撃する方法なんてあるだろうか?


 僕は地面を転がってから、飛び起きる。


「どわっ」


 朝のストリナよりは遅いが、圧倒的な力強さで熊が追撃してくる。


 それも飛び退ってかわす。視界の片隅で、シーピュさんが起き上がるのが見えた。


 良かった、生きていたらしい。


 それだけを確認すると、続く2撃、3撃をかわす。この巨体だと小さな動きで追随されそうで、風圧を感じるたびに肝が冷えた。


 そして、かわすたびに、熊は感情的になっていく。多分、今は僕に攻撃を当てることしか考えていないだろう。


 この熊、攻略における最大の難点は急所の高さだ。立ち上がった状態で4メートル近く高さがあるので、間合いの長い槍でも、熊の目の前でジャンプしないと攻撃が届かない。しかし、僕は妹みたいに『雲歩』が使えないので、空中で攻撃をかわせない。


 目の前でジャンプしたら、それだけで一生が終わりそうだ。


「ならっ」


 顔面に向けて槍を投げる。力はさほど込めていない。


 熊は飛来した槍をのけぞってかわすと、得意げに一声鳴いた。かわされる事をある程度予想していた僕は、短剣に手をかけて、後ろに逃げる。


 ドスッ


 次の瞬間、投げた槍が後頭部から熊の頭を串刺しにした。熊の巨体は、そのまま前のめりに崩れ落ちた。


 その背中の上にはシーピュさんが立っている。幸い、大きな怪我はなさそうだ。


「いやぁ。さすが坊ちゃん。完璧な囮役でしたぜ。槍まで渡してもらって、ありがとうございます」


 僕が投げた槍を空中でキャッチして、そのまま熊の頭を打ち抜いたのだろう。そんな離れ技を練習もなしに成功させるなんて、シーピュさん凄すぎる。そして、頭蓋骨を骨ごとぶち抜けるミスリルの槍もすごい。


 砦からは、見学者たちの大歓声が響いてきた。僕らが負けて、砦が狙われるとか考えなかったのだろうか。早く逃げれば良かったのに。


「良かったぁぁぁ」


 だがまぁ、これで危機は去った。僕は命の危険のプレッシャーから解放されて、仰向けに寝転がる。


 緊張していたのだろう。自分の息が切れている事に、ようやく気がつく。


「しかし、すいやせん。ミスリルの槍、一本壊しやした」


 シーピュさんが指さす方には、グニャリと曲がった槍が落ちている。柄も含めて総ミスリル作りの槍だ。あんな攻撃を食らっていたら、僕なんか地面に叩きつけられる水風船みたいになっていたと思う。


「まぁシーピュさんが無事なら良いよ。父上には僕から謝っとくから」


 砦の門が開かれる音がして、野次馬たちが解き放たれた。

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