13話 僕の進路

 高校生にもなって泣くのはちょっと恥ずかしい。そう思いながらも、しばらく泣き止むことはできなかった。


 前世はもちろん、今世を含めても、今まで生き物を自発的に殺したことはない。命の危険を感じる狩りにも全然慣れていない。


 いろんなものがないまぜになって、僕は声をあげて泣いた。


 マイナ先生は、僕の顔や髪の毛にべっとりとついた飛猿の返り血を、ずっとハンカチで拭ってくれている。だが、血のベトベトした気持ち悪さも、短剣や槍で肉を断つ手応えも、まったく拭えそうにない。


「イント!やるじゃない!」


 今日のキャンプ地の確保を終えた義母さんが、戻ってくるなり僕を抱き上げてくる。僕の革鎧は飛び散った返り血で汚れていて、それが義母さんのキレイなローブを汚す。いつも汚れてないから綺麗好きかと思っていたけど、汚れることを気にしている様子はない。


「初陣で弓をちゃんと当てるなんて、さすが姉さんの子ね!」


 僕が牽制のつもりで放った矢は、同じ飛猿に命中して、致命傷になっていたらしい。義母さんはそれを殊の外喜んでいた。何でも、母上は聖霊神術と弓の名手で『狙撃』とかいうそのまんまな異名があったらしい。義母さんとは双子で仲が良かったのだろう。本当の子であるストリナと同じぐらい、僕を可愛がってくれている。


 僕はその他に2匹倒しているので、最初のトラップに掛からなかった飛猿5匹のうち、3匹は僕とマイナ先生が倒したことになる。


 初陣としては充分すぎるほどの成果なのだろう。義母さんも誇らしそうに笑っている。


「次は、毛皮を傷めないように狩れるようにならないとね」


 だが、僕が倒した傷だらけの獲物を見た瞬間、義母さんはそんなことを言い出した。『次』の要求が高すぎて、また泣きそうになる。

 

 確かに畑が満足に開拓できない辺境では、魔物の素材が売れなければ生活していけない。魔物が多く、人手も足りないので、領主で貴族の父上でさえ、ほとんど狩人や冒険者と変わらない生活をしている。


 だから、父上の子である僕にも、優秀な狩人や冒険者の能力を持つことが期待されている。それはわかる。わかるが、僕は命のやり取りで生活をしたくない。


「僕、危ないのはもう嫌だ!」


 抱きすくめられた状態から、義母さんを押しのける。

 

 飛猿が投げてきた石は、なぜか当たった瞬間弾けた。あれは相当な衝撃だったし、あれが鎧を着ていない先生や、僕の頭に当たっていたら危なかっただろう。あの石器の槍だって、刺されたら死んでいたかもしれない。


 一昨日の晩もそうだ。あの狼のスタンガンみたいな攻撃だって、僕が受けていたら心肺蘇生できずに死んでいただろう。この世界は危険すぎる。


「あらあら。仕方のない子ねぇ」


 義母さんは革鎧の返り血でローブがどんどん汚れていくのを気にした様子もなく、駄々っ子にそうするように抱きしめて、背中をトントンしてくる。


「大丈夫。あなたは姉さんとヴォイドの子供だからね。もっと強くなれるから」


 義母さんは優しい声音で囁いてくる。だが、そうではない。僕は死ぬのが怖いのだ。


 もっと強くなるまでに、どれだけの修羅場を抜けなければならないのか。途中で死んだら元も子もないし、今度死んだら多分記憶は戻らない。


「さ、移動しましょう」


 僕の手を握ったまま、義母さんが立ち上がる。義母さんは僕の話を聞く気はなさそうだ。それを悟って、僕は口を噤む。


 周囲を見回すと、僕が泣いている間に片付けは進んでいた。必要な荷物は全て馬に乗っているし、燃やした灰もかまどからなくなっている。


 そして、村からは新たな狩人たちがやってきていて、入れ替わりに狩人が数人村に帰る準備をしていた。彼らは肉や毛皮が満載された組み立て式の荷車を引いている。あれは村で加工されて、シーゲンの街に出荷されるのだろう。


 言い知れぬ焦りを感じる。このまま家業である領主を継いで良いのだろうか?毎日こんな危険な生活を送っていたら、いずれ魔物に殺される。僕は物語に出てくるようなチートな能力は何も持っていないのだ。


 だが、幸いなことに受験勉強の記憶は戻ってきた。こっちの世界で通用するかはわからないけど、教科書も手に入った。都会に行けば大学ぐらいあるだろう。転生はしてしまったけど、大学を諦めてしまうのは早くないだろうか?


「義母さん、僕は勉強がしたい」


 僕を馬に乗せようと、持ち上げてくれていた義母さんの動きが一瞬止まる。


 前世で8歳の頃といえば、勉強することがとにかく嫌で、解けない問題があると宿題を隠したりしたものだ。勉強がしたいと言って、義母さんが驚くのも無理はない。


「うちは国境貴族よ。武門なの。それに貧乏だしね。残念だけど、先生を雇う余裕はないわ」


 確かにうちの村で学校を見たことがない。先生方にたった半日、村人に文字を教えてもらった時でさえ支払いを渋っていた我が家だ。つまりは貧乏なのだ。


「お金の目処がたてば、認めてもらえる?」


 美容の専門家を名乗るターナ先生でさえピンときていないようだから、石鹸は珍しいものかもしれない。ならば、うまくやれば石鹸は売れる。


 そして、石鹸の材料は油と灰とお酒(アルコール)だ。

 

 魔物油は、常温では固形なので、芯を入れて蝋燭のような使い方をされる。うちでも夜に使われているが、肉が焼けるような独特の匂いがあり、街での売値は安いらしい。


 灰は、こちらでは冬場薪で暖房をしているし、炊事も薪だからそこから出る灰を集めれば困らない。残るはお酒だけど、父上が出入りの商人から買っているのを見たことがあるので、村では作られていない気がする。もし作られていないなら、輸入するしかない。


 問題はどのくらいの儲けが出るかだけど、それはおいおい考えれば良いだろう。


「お金の目途が、って、何をどうするの?」


 義母さんが鞍の後ろに乗ってきて、手綱を握る。今回は走らなくて良いから楽だ。


 マイナ先生とターナさんもすでに馬に乗っていて、出発の準備は整っている。


「ちょっと考えてることがあるんだ。石鹸を作れたら、売れるんじゃないかと思って」


「石鹸って何かしら」


 義母さんの怪訝そうな声で聞いてきた。チラリとこちらを見てくるマイナ先生も、僕のせいで血に汚れていて、申し訳ない気分でいっぱいになる。


「手や体、服なんかを洗うものかな。きっと売れると思うんだ」


 僕は今すぐお風呂に入って、全身を石鹸で洗いたい。きっと一度経験すれば、マイナ先生も石鹸の魅力に気づくだろう。


「良く分からないけど、それをするための人やお金は、うちからは出せないわよ?」


 マイナ先生の方を見ると、聞こえていたらしく、頷いてくれた。ちょっとは手伝ってくれると言うことだろう。


「大丈夫。なんとかするから」


「本気ならヴォイドにも聞いてみるけど、訓練はやめたらダメよ?」


 義母さんは困ったように僕の頭を撫でてくる。本当は訓練も嫌と言いたかったが、それを口に出す前に、馬は動き出してしまった。

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