12話 教科書の知識は役に立つのか?


 ここからでもはっきりわかる、森の木の2倍に達するであろう巨大な炎の柱と轟音。あれは多分義母さんの神術だろう。


「「すごい」」


 マイナ先生と感嘆が重なる。そう、こちらの世界には神術があるのだ。あの自称天使に教科書を願ったのは、多分失敗だったのだろう。ただでさえ教科書の知識は社会に出たら役に立たないのに、こんな術がある世界で役に立つとも思えない。


「神術ってどんな原理なんだろ」


 太陽の下でもはっきりわかる炎の柱。どんな効果があるかは見ればわかるけど、どうしてあれが起こせるのか。火炎放射器があるわけでもないだろう。


「あれは聖紋摂理神術っていうの。『聖紋』という図形で発動させる世界の摂理を再現する神術ね。他に声と言葉で発動させる『聖言』と、『聖霊』に霊力を捧げて使役する方法があるわ。ちなみに世界の摂理を再現する『摂理』神術以外だと、世界をあるべき姿に復元する『護法』神術なんてのもあるわね」


 さっぱりわからない。まぁ、前の世界でもスマホがどうやって動いてたかとかわからないから、似たようなものかもしれない。


「へえー。でも、あの火のエネルギーはどこから出てるんだろう?」


 疑問が声に出てしまう。こちらの世界でエネルギー保存の法則を無視する方法があるなら、もう前世の知識は役に立たないかもしれない。とんでもないチートだ。


「エネルギーって何? 神術は基本的に体内の霊力を使うんだけど」


「うーん。わかんない」


 前世でも霊力という言葉は、主に小説や漫画の中で見たことがある。だが、多分こちらのものとは違う。正直に答えるとマイナ先生は困った顔をして、頭を撫でてくる。


「そのうちジェクティ様が教えてくれるんじゃないかな。大丈夫だよ」


 マイナ先生に撫でられるのは悪くない。悪くないのだが、高校生の感覚も残っているので、何となく照れくさい。


 そんなことを考えていると、ふと、獣の叫び声が耳に入ってきた。その声は、徐々に森全体に波及して大きくなっていく。


「なんだか、一気に森が騒がしくなったね」


 マイナ先生は神術の話をやめて、稜線を見上げていた。爆風の余波で稜線の手前にある木々が激しく揺れている。その上を、無数の猿らしき影がジャンプを繰り返して逃げて行く。


「一応、昨日ここらの魔物は掃討したんで少なくなってますがね。さっきので逃げ出した魔物がこっちにくるかも知れないんで、気ぃつけてください」


 アブスさんが隣にやってきて声をかけてきた。狩人さんたちも手を止めて、警戒感のこもった顔で稜線を見上げている。


 あの稜線の向こう側は、自然と魔物が集まる魔境、『死の谷』だ。逃げる猿は結構たくさんいるように見えるが、これで少ないとか、稜線の向こう側はかなりやばいのではないだろうか。

 どうして子どもの自分が、その道のプロの狩人が警戒するようなところに来ているのだろうか。


「もちろん気はつけるけど、僕はもう帰りたいよ」


「坊ちゃんは意外に弱気ですねぇ。初陣はまだでも、ヴォイド隊長からはもう儂らと同等の腕って聞いてますぜ?」


 アブスさんは何を言っているのだろう? 小さな頃から兄妹そろって血の滲むような訓練をさせられてきた記憶はあるけど、父上にも義母さんにもあしらわれるし、妹にもだいたい負ける。

 これでアブスさんたちと同等って、何の冗談だろうか。


「それは親バカすぎるなぁ」


 僕の返事をアブスさんはニヤニヤ笑いながら聞いていたが、不意に表情を引き締めた。


「ああ、坊ちゃん、申し訳ねぇですが、早速初陣になりそうなんで、槍と弓を準備くだせぇ。狩りが始まったら弓で当てないように牽制お願いしやす。毛皮が傷物になるといけねぇんで。お嬢様方は聖言詠唱だけして、身を守ることに専念してくだせえ」


 アブスさんは僕らと喋りながら、手振りだけで部下たちに指示を出している。何人かいた狩人さんは、いっせいに装備を拾い上げて散っていく。


「え? え?」


 先生方も、杖のようなものを拾い上げて、指示どおりに聖言?を唱え出す。僕以外は、アブスさんの一言で一気に戦闘モードに切り替わったようだ。場の雰囲気がガラッと変わる。


 僕はあたふたと地面に寝かせた短めの槍と、弓、矢筒を拾い上げた。イントとして受けた弓の訓練を思い出しながら、弓に矢をつがえる。魔物のひしめくこちらの世界では、弓は必須技能の一つらしい。僕も動いているものに当てるのは難しいけど、牽制ぐらいはできる気がする。


「ほら、飛猿がきましたぜ」


 確かにこちらに向かってくる猿の群れがいる。猿だと思ったのは、顔が猿だったからだが、前世の猿とは随分違う。


 身体はどちらかと言うとムササビに近く、脇から足にかけて膜がある。その膜を広げて滑空していて、手には原始的な槍が握られていた。


 どうやら、今度の魔物は道具を使うらしい。


「各自撃て!」


 狩人がパラパラと矢を放つ。僕も矢を放つが、当ててはいけないと言われているので、間違って当たらないように、少し離れた位置を狙う。群れは20匹ほどいたが、そのすべてが身体を捻って、手近な枝や幹に着地しようとする。


「グギャ!?」


 枝に着地しようとした飛猿たちはなぜか足を滑らせて、次々落下してくる。こんなに都合よく猿が木から落ちるわけはないので、多分トラップだろう。周到なことだ。


「いけっ」


 アブスさんの指示で、狩人さんたちは落下した飛猿に駆け寄って、次々槍で突いていく。あっという間に、地面に落ちた飛猿は全滅した。残るは幹に捕まって難を逃れた4、5匹だけだ。


「ギャギャギャ!」


 生き残った猿たちは、あっさり仕留められた仲間たちを血走った眼で見下ろして、怒りのこもった声をあげている。


 地面に落ちている槍を観察すると、石を割って作った石器と、手頃な木の枝が縄でくっつけられていた。結構知能が高いらしい。


「イント君!気をつけて!飛猿は槍以外にも身体強化と、石礫もあるからね!」


 マイナ先生が大声で注意を促してくる。その声のせいで、飛猿の視線が一斉にマイナ先生に集まった。


「あっ」


 飛猿は賢い。一瞬で仲間をやられた怒りを、マイナ先生にぶつける事にしたようだ。どこかから石を取り出して、スナップを効かせて僕らに投げつけてくる。


 僕は革の鎧を着ているので、石ぐらいならどうってことない。とりあえずつがえている矢を放ちつつ、マイナ先生の前に出る。


「ちょっと!」


 マイナ先生が焦った声を出す。石は野球の玉ほどの速度であったため、籠手で払いのけようと思っていたが、うまく当てる事が出来ずにそのまま腹に直撃した。


 ドンッ!


 石は腹に当たると、爆発したみたいに弾ける。反動で身体が少しだけ浮き上がって、後ろにいたマイナ先生を巻き込んで地面に転がってしまった。


「グギャ!」


 飛猿は嬉しそうな声をあげながら幹を蹴り、2匹がこちらに滑空してくる。


 背中のマイナ先生に心の中で謝りながら、マイナ先生に体重をかけて跳ね起きる。まだ幹に掴まったままの飛猿に、牽制で手に持っていた2本の矢を矢継ぎ早に放ち、弓を離しながら短剣を抜き、滑空する飛猿の槍を籠手で払いのけながら飛猿の腹を撫で斬りにした。

 残った1匹は空中で身体をひるがえそうとしていたので、短剣を投擲する。が、うまく当たらない。


『炎槍!』


 まだ起き上がれていないマイナ先生の詠唱が聞こえて、左側を熱気が通りすぎて行ったのを感じ、逃がしかけた飛猿が火だるまになるのが見えた。


「「ギャアァァァ!」」


 僕は熱に浮かされたように、自分の槍の穂先の鞘を外し、腹を切られて地面に落ちた飛猿に槍を突き入れる。続いて、火だるまになって地面を転がる飛猿にも同様にトドメを刺す。


 飛猿たちは痙攣し、すぐに静かになる。


「イント君! 大丈夫?」


 駆け寄ってきたマイナ先生に後ろから抱きしめられて、僕は初めて足がガクガクと笑っている事に気がついた。冷や汗もびっしょりだ。石礫をくらった腹も無茶苦茶痛い。


「大丈夫。もう大丈夫だからね」


 耳元で囁くマイナ先生の声で、ホッとした途端、涙が止まらなくなった。

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