外伝
天極行 1
骨身を惜しむな。
なんて言葉がありますが、いにしえより人の才知は骨に顕れるといいます。
この骨相というやつは、指先のうずまきとおんなしで、親兄弟でもまったく同じってことはないそうです。しかしこの骨相というやつのむつかしいところは、当たり前の話ではございますけれど、生きているうちには拝むことができないというところにございます。そう考えると、墓荒らしがべらぼうな値段で人骨を外法師に売りつけているっていう話も、眉唾とはいえないかもしれません。
とはいえ、歯並びや爪の形から骨相を見抜き、人の才覚に見当をつけてしまう、その道の達人というのはいるもんです。大概は手八丁、口八丁で日銭を稼ぐ山師と相場は決まっているんですが。
そんなことを勘案しますと、わたくしの最初の幸運というのは、わたくしの魔女の才を見抜いた御方が、ほんものの賢人であったということになるんでございましょう。
お師匠様と旅をして回ったのは、四年ほどでございましたでしょうか。
暑い国から、寒い国まで、あちらこちらの空を見ました。
その旅すがら、お師匠様はたくさんのことを教えてくださいました。それは読み書きに始まりまして、薬草や毒草、食べられる果物の見分け方に、その調理法。天の星の名前と、その運行。水や熱のはたらき。あるいは良い宿の取り方、露店でうまく値引きをするための交渉術ですとか。
このお方が存ぜぬことは何もないのではないのかしらと思っておりましたが、そんなわたくしにお師匠様は、
「少なくとも私は、私が何を知らないのかということを、まだ知らない」
なんて言って笑ったもんでございました。
そんなお師匠様の許を離れまして、一人前の魔女になるべく北へ北へと私が旅を続けていた頃のお話でございます。
あらためて申し上げることでもございませんけれども、一人旅というのはまことおっかないもんでありまして、これが女の一人旅ともなると猶のこと。とくに町から町へと行く道すがらに過ごす夜というのは、何度乗り越えても慣れません。物取りや野犬、怪物に注意を払うのはもちろんですが、緊張ばかりしていては明日の道を行く体力を保てません。親切な隊商や巡礼の騎士様と同道できれば幸いなものでございますが、それを騙ったあくどい連中も世の中にはごまんとおります。
星の明るい夜にはずいぶんと助けられました。お師匠様に教わった星々の物語を思い浮かべながら夜空を眺めると、怖気づいた自分も発奮して、こんな小心な夜も、わたくしの冒険の一頁になると変に強気になれたりもしました。
そんな具合でしたから、宿場町に辿り着けたときは大変に胸を撫で下ろしました。幸いにも路銀を稼ぐための様々な手段をお師匠様から教わっていたものですから、こういうときはけちをせずに信用の置けそうな旅籠を取ることにしておりました。
とはいえ、いわゆる皆さんがご想像されるような上等な宿屋というのは、市が立つような立派な町にしかないもんでして、その時々で、例えば修道院ですとか、そういうところに泊めていただいておりました。こうしたとき、信用を得るために大事なことは三つございまして、一つは下世話な話ではございますが相応の寸志。もう一つは旅籠の管理人の母国語を喋れること、最後は、これは必殺技でございますけども、身を立てる証として、お師匠様が一筆を刻んだ魔女のランタン、いわゆる巡礼の騎士の貝殻のようなもの、これにございました。
ところで私は沐浴が好きで毎日でもしたいくらいなのでございますが、いわゆる浴場の設けられた旅籠というのはごくごく珍しく、なかなか巡り合えないものでした。浴場を置きたいという亭主の方もたくさんいらっしゃったのですが、いわゆる男性の方が、女性との出会いを求めて足を運ばれる、あの浴場と混同されてしまうということがあって、悪い評判を集めてしまうという向きがあるようなのです。世間様とは複雑でございますね。
そんな宿場町で、私の人生を左右する、お師匠様との出会いと同じような、大変幸運で、得難く、星の無い夜に一筋の流星を見たような、そんな事件がございました。
道行く人に露店の皆さまが声を掛けているような、そんな活気のある街路でのことです
ばんっ、と何かを叩きつけるような、とても大きく、硬質な音が私の耳に飛び込みました。
思わず音のほうを見ると、露天商のおじさまと、少女、私と同じくらいの歳の頃でしょうか、そのふたりが向かい合って何やら揉めている。ちょっと異様でしたのは、おじさまのほうは顔を真っ青にしておりまして、どうにもそれは、おじさまより随分と背丈の低い少女の勘気に当てられたためと察せられたところです。よくよく見れば、先ほどの大きな音は、少女が地面を大きく踏み鳴らした音のためだったとわかりました。信じられないことに、少女の足は地面をえぐって隆起させるような強さで叩きつけられたようでした。
貴族の子女が露天商をからかって困らせるということは噂話にも聞くところではありましたが、少女の姿は旅慣れたような外套に身を包んだ姿で、そういうことでもなさそうでした。
これがただのいさかいでしたら官憲を呼ぶところでありましたが、露天商をおどかしているのは年端もいかない少女なわけで、これにはまわりも困惑しているようでした。
ただひとつわたくしにわかったのは、あの大地を踏み鳴らした怪力は、骨にとくべつなうずまきを持っているからだろうということと、その力を振るえば人間ひとりの命などどうにでもできるということでした。
「もし。どうかされましたか」
わたくしは意を決してふたりに声をかけることにいたしました。
ここで無関係を決め込んでいては、お師匠様のような魔女にはなれますまい。
「この亭主が私をたばかっているのだ」
肩口で切り揃えられた金色のおぐしを揺らしながら、鈴の鳴るような美しい声で、不満そうに、彼女は言いました。
聞けば、彼女の差し出した銀貨はビタ銭なので扱えないと亭主は言う。受け取ってもいいが、価値は相場よりずいぶんと低くなると言うのだと。
しかしこの銀貨は確かに造幣局の発行しているもので、贋金などでは決してない。物の知らない旅人として自分をたばかっているように思うし、私の追及に窮して下手な弁明をしているようにも感じる、ということでございました。
「失礼ですが、あなたさまの銀貨を拝見してもよろしいでしょうか」
「構わない。貴女からも言ってやってくれ」
彼女の差し出した銀貨を手に取って、諍いの原因がすぐにわかりました。
「なるほどこれは、あなたさまの言い分も、ご亭主の言い分も、間違っていないようでございますよ」
「どういうことだ?」
彼女の差し出した銀貨は数世代前のものでございました。世の中に、悪貨は君臨するという有名な言葉が流行る前の時代のものです。
わたくしは懐から一枚の銀貨を取り出し、てのひらに彼女の銀貨と並べました。
「この銀貨とあなたさまの銀貨、銅貨に置き換えたら何枚になりますでしょう」
「だいたい、四十枚くらいだろう?」
「どちらも四十枚でございますか?」
「どういう意味だ? どちらも同じ銀貨だ。刻印だって」
「わたくしの銀貨は大体、一枚につき九割程度に銀が用いられております。残りの一割は割り金と呼ばれる銅です。あなたさまの銀貨は、一枚につき七割程度でしょうか。すると割り金は三割ということになりますでしょうか」
彼女はわたくしの言葉にあっという顔をして、押し黙りました。
聡い方なのでしょう。その時点でおそらく、ご自身の不明について気づかれたようです。
ですけど、彼女はどうも私の言葉が続くのを待っているようでしたので、私も一応は言葉を続けました。
「かつてお上の方々が、国庫を潤しながら、世間の流通を賑やかすために、銀貨に含む銀の割合を減らすというまつりごとをされたことがあったようでございますね。聞いた話では、このお考えにはいろいろと困ったことが付いてまわったそうで、後々に取り消して銀の含有率を正しく定め直したそうです。
困りごととはつまり、庶民、我々はどうしても日々の買い物にはなるたけ銀や銅の少ない貨幣を使って、そうでない貨幣を念のためにとしまいこみますし、そうすると世間で取り交わされる貨幣は実際の価値に幾分か劣るものばかりになってしまいます。お国がその価値を認めてくださっていれば問題はないかとわたくしなんかは思ってしまうのですけども、なんでも外国とお取引をするにあたって、一枚当たりの銀貨の価値が低いということで満足なそれが行えないという事態になったそうですよ」
わたくしはお師匠様が旅すがら語ってくれたことをつらつらと喋りました。
「今でもお国は古い銀貨の価値を昨今の銀貨と同じものとして認めているそうですけれども、そうはいってもというところが心情というものでございますよね。両替商も良い顔をしないとなると、物売りの皆様が古い硬貨を扱うのをはばかられるというのも致し方ないと存じます。
ご亭主もその辺り、上手に説明したいと思っていらしたとお見受けしましたけれども、あなたさまの勇猛さを拝見して、少しばかり言葉に詰まってしまったようでございますね」
わたくしの言葉を最後まで聞いて、彼女は憔悴したような表情で、深々と露天商のおじさまに頭を下げました。
「申し訳なかった。私の不明で迷惑をかけました。
おどかすような真似をしてしまったのも、重ねてお詫びします」
それから彼女は頭を上げると、向き直ってわたくしにも頭を下げました。
「貴女にも、申し訳ない。私の頭は信用がありきだったから」
「まあ」
わたくしは大変驚きました。
「尊い方でしたのね。大変失礼いたしました」
「いや、それは……その、どうして?」
「信用とおっしゃいましたから。裏書のことでしょう?」
裏書というのはつまり、貴族の方が扱う証文のことでございます。
ただの紙切れであっても、力のある家の方々が一筆認めた場合、それが千金に値するということがございまして、そういうものを信用と呼ぶことがございました。これもお師匠様から聞きかじった話。
「そうではないが、まあ、そうでもあるような……」
彼女はなんだかばつが悪そうな顔をしながら、頭を掻いておりました。
不思議な方でした。
青い血の方のように偉ぶったところが無いのに、どこか堂々として、立派で、こちらが少々気おくれしてしまうような、それでいて親しくしていただきたいような、そんな空気をお持ちでした。
思えばわたくしはそのときから彼女に惹かれていたのだと思います。そうして、彼女のような、ときに優しく、ときに厳しく、常に緊張と弛緩の合間に身を置き、剣を抜くときはためらわず、流血を厭わず、己のためには涙せず、使命のために生涯を捧げるという人が世の中には本当にいて、その振る舞いのすべてをただひとつの言葉であらわすことができるのだということ、その言葉はずっと昔から使われてきたのだということを、いま、再び思い返しております。
即ち、高貴と。
旅の出会いとは別れを内包しています。ですからわたくしは、常日頃自分を律していることがあったのですけれども、このときばかりはその禁を破ってしまいました。つまり、彼女のお名前を知りたいという欲に勝てなかったのでございます。
わたくしがおずおずとお名前をたずねると、彼女は小夜啼鳥のような美しい声で言いました。
「キャシー」
この日からわたくしとキャシー、そう、キャスリーン・エッジワースの旅が始まったのでございました。
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