虚像

カフェオレ

虚像

 荒廃した街。地球規模での環境汚染が招いた広範囲に及ぶ酸性雨によりかつて林立していたビル群はそのほとんどが崩壊し、瓦礫の山と化している。

 その瓦礫の中にあって、かろうじて形を留めている巨大な建物がある。この街の住人はそれをシェルターと呼び、強酸の雨を逃れるため皆そこで息を潜めて暮らしていた。


 *


 青年ディックはライフルを手に、周囲に警戒の目を光らせる。探索隊が外へ行っている間、シェルターを守る男手は足りなくなり、いつ敵勢力が襲ってくるか分からない。その時が来たならば容赦なく人を撃ち殺す覚悟でいた。

 彼のミッションはこの建物と物資を守ることだ。

 敵はほかの街からやってくるディックたちと同じような境遇にいる者たちのことだ。

 今までこのシェルターを守るために何人もの住人が犠牲になった。ディックはその残酷な光景を振り払いシェルターの入り口から顔を出した。

 そろそろ雲行きが怪しい。早く帰って来なければ探索隊が酸に溶けてしまう。

 そんな彼の心配を見計らったようにポツポツと酸の雨が降り出した。

 酸がアスファルトを溶かす音がかすかに聞こえる。ここのシェルターもいつまでもつか。そんな思案を巡らせていると車のエンジン音が響いてきた。酸性雨のせいで元の色が分からないくらいにボロボロになったバンを先頭に軽自動車、軽トラックが列をなして帰ってきた。探索隊の車だ。

「おかえり。遅いから心配したよ」

 ディックはライフルを下ろし、運転席から降りた男——シェルターの住人たちからは隊長と呼ばれている——に言った。

「すまん、ちょっと拾い物があってな」

「拾い物?」

 この辺りの物資はおおかた取り尽くしたため探索隊の収穫は毎度ゼロに等しい。しかし、今日は何やら事情が違うようだと彼は感じとった。

「おい、降りれるか?」

 隊長が声をかけて探索隊のメンバーが軽自動車のドアを開けると一人の女性が降りてきた。

「街の中を一人彷徨っていたんだ。どうしようかと迷ったが連れて来た」

 所々穴の開いた大きなマントに身を包み、顔は泥だらけの異国の女性。華奢で可憐な雰囲気が漂い、全身ボロボロであるのに一目見てディックは美しいという印象を受けた。

 探索隊と二、三言交わしているようだから言葉は通じるらしい。しかし、だからと言って簡単に部外者を入れる訳にはいかない。

「待ってくれ、今更住人を増やすのか? 食料も底をつきそうなのに」

「ここに置いておいても害はないだろう。それにあの雨の中に放っておくのはどうしても出来なかった。ディック案内してやってくれ」

 隊長はそう言うとほとんどガラクタと言ってもいい物資を運び出す隊員たちに加わった。

「ディックくんて言うのね? ごめんね、いきなり。こんな人間は信用ならない?」

 女性は申し訳なさそうにディックに言った。

 彼女はディックよりも少しだけ背が低く、年は二、三歳上であると察せられた。

「ああいえ、こちらこそいきなり失礼なことを……」

 彼女の美しい瞳に青年はたじろぐしかなかった。

「私はサナエ、よろしくね」

「ああ、はい。とりあえず中へどうぞ」


 サナエに一通りシェルターを案内した後、探索隊メンバーも加わり住人たちへの自己紹介をお願いした。

 そこで分かったのはサナエは異国——最果ての地より来た旅人であること。ディックたちと同じ言語を話すが、別の言語も使いこなすこと。酸性雨を避けるよう廃墟を転々としているうち、この街にたどり着いたことなどだ。出生については明らかではなかったが、ここの住人にしてもそのような者が多いのでさして疑問視する必要はなかった。


 美しい人だ。ディックは晩ご飯を食べるサナエの横顔に見惚みとれていた。最初は見慣れない女に皆、警戒心を抱くのではと危惧していたがサナエの気さくな性格もあり、すぐに住人たちと打ち解けていた。

 ディックは物心ついた頃より敵の襲撃や進捗のない探索に苛立ちを覚える日々を送っていた。サナエの笑顔を見ると、そんな灰色の人生に明るい色が塗られていく感覚を覚えた。

「ねえ、サナエさん。とっておきのものを見せてあげる」

 食後ディックはサナエを誘い出し、シェルター最深部へ案内した。

「見て、すごいでしょ!」

「まさか、こんなことって……」

 ディックが見せたのは巨大な貯水槽だ。

 酸性雨により腐食された大地の深くより湧き出した水を貯蔵している大きな水槽。これを部外者に見せるのはご法度だったがサナエは敵でないと皆の了解を得られたため案内したのだ。

「飲める水がこんなにあるんだよ。前の文明が僕らに残してくれていたんだ。でもこれが争いの原因になってることは言うまでもないよ」

「粗末なろ過装置に頼らなくてもいいのね。すごい」

「僕はこの水で植物を育ててるんだ。水の無駄遣いだって叱られるからみんなには内緒にしててね」

 そう言うとディックは自室から持ち出した植木鉢をサナエに見せた。鉢にはサボテンのような多肉植物が生えていた。

「すごい、こんなに青々しい植物なんて久しぶりに見た」

「『かねのなる木』って言うらしいんだ。図書館から持って来た本で探し出して分かった。お金の価値が僕には分からないけど、とても縁起の良い植物なんだって」

「そうなんだ。この植物ように豊かな自然が戻ってくるといいわね」

「まあサボテンみたいなものだからそんなに水はいらないんだけどね」

「それでも緑を見ると落ち着く。すごく元気になった」

 サナエは優しく微笑んだ。その笑顔にディックは舞い踊る気分だった。

 僕がこの人を守ろう。そう誓った。


 *


 サナエがシェルターに来てひと月ほど経ったがその間襲撃が頻繁にあった。

 ディックがサナエを散歩に誘うことが多かったためにどうやらサナエの存在を周囲の勢力に知られてしまったらしい。

 見慣れない女を招き入れたことを快く思わなかったのは当然のことだろう。しかしそれでも住人はシェルターを守り切った。

 そしてサナエもすっかりシェルターの住人となっていた。


「サナエさんとやら、あの塔が見えるかね」

 シェルターの長老ノエルは曇り空の中にそびえ立つ塔を指差す。

「あれですね。あそこも人がいるとは聞いたことがあります……。敵勢力が」

 うんうんと頷くノエル。

「そうじゃ。わしの記憶はもうおぼろげで確かではない。だが、どうもあの塔には何か特別なものがあるのじゃ。このシェルター同様、この街を、この国の都を見下ろすシンボルのような……。空にも届きそうな大きな塔だった。あれは……」

 そう言うとノエルは黙り込んでしまった。

「あ、いたいた。サナエさんそろそろ貯水槽の見回りの時間だよ」

 ディックがサナエを迎えに来た。

「うん、すぐ行くわ」

 ノエルにありがとう、と言いサナエはディックの元へ駆け出す。

「ノエルがまた塔の話をしてたのかい?」

「ええ、あの塔は特別だって」

「特別なものか、あそこのやつらはここの水を狙ってる」

 ディックはむきになる。

「そう。でも私もあの塔は特別だと思うの。シェルターと塔。二つがこの街のかなめな気がして……」

「まあ確かに。かつては空まで届いてたって言うんだからね。シェルターと塔、そして古代遺跡」

「古代遺跡?」

 サナエは眉をひそめる。

「ああ、大きな石造りの遺跡さ。敵勢力がいるって噂だけど。良かったらサナエさんも行こうよ。……その、僕が守るからさ」

 嬉々として街のことを話すディック。最後の言葉は消えるように静かな声だった。


 *


「ねえ、サナエさん。どこかに行ってしまわないでよね。襲撃なんてすぐにおさまるし、僕がサナエさんを守るから」

「でも私が出ていけば無駄な争いも減るだろうし、それにこの水だって」

 貯水槽に目をやり、物憂げな表情のサナエ。

「大丈夫さ、一緒に生きていこう。ね?」

 ディックがそう言った時だった。シェルターの入り口から隊長の声が響く。

「襲撃だ! 武器を持て!」

「サナエさん、敵はここを狙ってる逃げよう!」

 そう言いサナエの手を握るディック。しかしサナエの手はそれをすり抜ける。

「サナエさん? どうしたの? 逃げなきゃ」

「ディックくん。私がこの貯水槽を守ってるから、あなたはみんなのために行って!」

「嫌だよ! 僕が守りたいのはサナエさん、あなただけだ!」

 ディックの言葉が水槽の水を震わす。

「ディックくん……」

 サナエはディックに右手を差し出す。

「いいから行ってきな」

 サナエの鋭い声、右手には拳銃が握られ、その銃口はディックの顔を捉えている。

「サナエさん……何してるんだ」

 ディックは声を震わす。

「ちっ、めんどくさいわね」

「サナエさん、これは一体」

 ディックの言葉を遮るように銃口が火を吹いた。ディックは訳も分からなぬままその場に崩れ落ち絶命した。


早苗さなえ、そちらの様子はどうだ?』

 サナエの腰に隠していたトランシーバーから仲間が呼びかける。

「一人始末した。最深部の貯水槽は無事よ」

 足元のディックの死体に目もくれずサナエは報告する。

『もうやったのか? リーダーの男を確保した後にそいつらを殲滅するのが命令だ』

「どうでもいいわよ。不法移民同士の小競り合いに巻き込まれてもうストレス溜まってんのよ。早くしてね」

『まあもう少し大人しくしててくれよな』

「はいはい。ったくせっかく必死こいてこいつらの母国語勉強したのに全員日本語に染まってんじゃん」

『不法移民三世くらいにはなるからな。日本列島を酸性雨が襲って半世紀以上、混乱に乗じて占拠された都庁。やっと再建した政府。その初めての奪還作戦だからな。お前には感謝してる』

「まあでもちょっとは面白かったからいいや。こいつら私のこと外国から来たと思ってたんだよ? ちょーうける!」

『まあまあ、声を抑えろ。とにかくリーダーを捕らえるまでは誰も殺すなよ』

「知ってる? 空まで届く塔。こいつらスカイツリーのことをそんな風に解釈してるらしいわよ。それに国会議事堂が古代遺跡だって」

『ああ、そこ二つも占拠されてるな。スカイツリーも近いうちに必ず取り戻す。国会議事堂の方にも潜入員は行ってるはずだ』

「そこでもロマンスを夢見る少年はいるのかしら?」

『なんのことだ? まあいい、とにかく指示を待て、勝手な行動は慎めよ』

 トランシーバーの通話が途切れるとサナエはディックを見下ろす。

「可哀想ね。自分たちがテロリストだなんて知らなかったんだもんね。むしろ被害者、悲劇の英雄を気取ってたりしてね」

 そう呟き貯水槽を後にしようとした時、つま先に「金のなる木」の植木鉢が当たった。

「邪魔ね」

 サナエは手持ち無沙汰を晴らすように植木鉢を蹴り飛ばした。

「返してもらうわよ。私たちの東京」

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