第47話

「おはよう、ゆーくん」


 目を覚ますと、目の前に見慣れた顔があった。


 エマではなく、伊織の。



「よく眠れた? 寝苦しくなかった? 喉乾いてない? そうだ、今コーヒー淹れるね」


 俺の隣で寝ていた伊織は、ベッドを軋ませながら降りて、コーヒーを入れてくれる。


 それを横目で見つつ、俺は気づかれないよう小さくため息をつく。



 昨日、突然伊織が帰ってきた。


 また争いが起きるかも、と身構えたものの、その心配は杞憂に終わった。


 しばらくゆーくんに会っていなかったからと言って、伊織はエマのことなどほとんど相手にしていなかった。


 そんなわけで、昨日は三人、川の字で寝たわけだが……


 隣を見てもエマはいない。多分朝食の準備だろう。



「はい、ゆーくん。コーヒー淹れたよ」


「お、おう。サンキュ」


 笑顔で受け取りつつ、内心ついたため息を詰めた。何故なら、



「大丈夫? 熱くない? ふーふーしてあげようか? お砂糖とミルクもっと入れる? 一人でちゃんと飲める?」



 執拗なまでに俺の世話を焼こうとする伊織。


 これは、伊織がブチ切れる一段階前なのだ。つまり、コイツはあと一段階で、俺を殺したのと同じ状態になる。


 刺激しないようにしなければ。今日のところはエマよりも伊織に気を使った方がよさそうだ……



「ゆーくん。今他の女の子のこと考えなかった……?」


 伊織の顔に、さっと陰が差した。



 す、鋭い! この段階の伊織は、マジで超能力者かってくらい、俺の心を言い当ててくる。迂闊なことは考えられん。



「そんなわけないだろう? ちょっと熱いな。覚ましてくれないか?」


「う、うんっ。任せて」


 俺からカップを受け取った伊織は、息をふーふー吹きかけ冷ます。



「ありがとう。ちょうどいいよ。やっぱり、俺には伊織がいないと駄目みたいだ」


「ゆ、ゆーくん……そんな、私なんて……」


 照れたのか、顔を赤くして俺から視線を逸らす伊織。俺は伊織の顎を指で挟むようにして自分の方を向かせる。



「いつもありがとう、伊織」


「ゆーくん……」


 そして、俺たちの顔は引き寄せられ、唇が重なる……前に、俺の唇を何かがかすめた。同時に、ドン! という音が。


 恐る恐る音のした方を見ると、そこには親指ほどの大きさの穴が開いていた。



「まったく……」


 ドアの方から聞こえた低い声。今さら確認するまでもない。エマだ。



「人が朝食の準備をしている間に、何をしているんですか? この……ウジ虫……ッ!」


「ひどいよエマさん。危ないなあ。ゆーくんが怪我したらどうするの?」


「見くびらないで下さい。私がユウ様を傷付けるはずがないでしょう?」


 二人の視線が交錯したのは、ほんの一瞬。


 エマは冷めた表情から一転、笑顔を浮かべてベッドを軋ませて上がり、俺の右腕を抱いてきた。



「さあ、ユウ様。お食事の準備が整いました。そんな発情期のメスは放っておいて、一緒に頂きましょう?」


「うぅん、それよりもコーヒーだよ。最近暑くなってきたもんね。熱中症になったら大変だもん」


「いいえ。まずはお食事です。頂きつつ、私が紅茶を入れて差し上げます。お母様から良い茶葉を頂きましたから。是非ユウ様に召し上がっていただきたくて」


「ゆーくん、ゆーくんはコーヒーの方がいいよね? 大丈夫、私が冷ましてあげるから」


「ユウ様。今日は卵がいつもよりふっくらと仕上がったんです。きっとお気に召すはずです。ですから、まずは朝食を」


「うぅん、コーヒーだよ」



「ユウ様」「ゆーくん」



「どっちにするんですか(どっちにするの?)」



 ……勘弁してくれ。


 起きて早々、超ピンチ。




 ちなみに、エマは伊織を王宮の地下牢に飛ばしていたらしい。


 それで戻ってくるのに時間がかかったんだとか。昨日帰ってきた伊織は、俺に会えなかったことがどれだけ寂しかったかを懇切丁寧に教えてくれた。


 だが今は、



「さあ、ユウ様。まずは卵をどうぞ。少しお砂糖も入れましたから、必ずお好みに合いますわ」


「うぅん、まずはサラダからだよ。その方が太らない食べ方だから」


「まずは好物を召し上がっていただくべきです」


「本当にゆーくんのことを考えるなら食べる順番まで気にしなくちゃ駄目だと思うな」


 エマは右側、伊織は左側にそれぞれ陣取り、俺に朝食を運んでくれている。


 結局、俺は両方を選択した。エマが作った朝食を食べつつ、伊織が淹れてくれたコーヒーを飲んでいるのだ。



「……何ていうか、いいご身分だなおまえ」


 対面の席に座ったプロ助が、ポツリと呟きミルクを飲んだ。



 ……まあ、確かに。


 見た目は両手に花。エマも伊織もめっちゃ美人だし可愛いし。


 国王であるハインリッヒもこんな朝食の取り方はしないだろう。ただ……



「――まるで自分の方がユウ様を思っているとでも言いたげですね」


「実際そうだと思うな。私の方がゆーくんといる期間長いし」


「それは関係ありません。当人たちの気が合うかどうか、重要なのはフィーリングです」


 と、エマがまた俺が教えた言葉を言った。



「それも私たちの方があると思うなあ。ねー、ゆーくん?」


 と、伊織が左腕を抱いてくる。


「いいえ。そんなことはありません。私たちはこの短期間で、とっても深い仲になったんですから」


 と、エマが右腕を抱いてくる。



 俺を挟んで火花を散らす二人。


 普通ならいい気分がしそうなところだが……



 こ、こわい。


 こいつらに大岡裁きなんてされたら、俺の体千切れそうだし。


 とはいえ、実際いい気分ではあるんだけどな。



「おいおい二人共、俺のことで争わないでくれ。俺にとっては二人はどちらも大切な人で……」


 この時、外で足音も高く何者かが部屋に向かってくる気配がした。


 そして俺の言葉を遮るように、バン! と扉が開かれ、



「エマちゃん大丈夫かいっ!? ここに脱獄者が逃げてきたって報告が上がってきたんだが……」


「お父様落ち着いて下さい!! 何度も申し上げているように、イオリ・サクラさんは犯罪者でも脱獄者でもありません! あれはエルが転移魔法を……いえ、その……とにかく誤解で!」


 ハインリッヒとアーディがなだれ込んできた。


 俺たち三人が、いちゃついているところに。



 それを見た国王陛下は、



「小僧ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 貴様ああああああああああああああ何をしているかあああああああああああああああああああああああ!!」



 ご乱心あそばされたのだった――

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