第七話 背徳は甘美な蜜の味

 夜。その日の業務を終えたドロシーは、私室に戻っていた。手には盗んできたフィルのパンツが握られている。

 ドロシーは壁に近寄ると、そこに設置された大型のコルクボードに向き合う。今回の計画のために調達した品物だ。

 まっさらなコルクボードに手を伸ばし、その右上隅にフィルのパンツを画鋲で貼り付ける。フィルの使用済みパンツコレクション、その記念すべき第一号が収められたのだ。

 一歩引いてコルクボード全体を眺める。この大部分を占める空白が、しばらく後には夢のような花畑になるのだと思うと、期待感を覚えずにはいられない。手に入れた日付などの記録や、フィルの写真も一緒に貼り付けると、コレクション感に磨きがかかるかもしれない。


 ドロシーがコレクションのアイデアを吟味していると、部屋にノックの音が響いた。

 慌ててコルクボードに布をかぶせてから、部屋の扉を開けた。


「姫さま。どうされたのです?」

「えへへ、ごめんね。もしかして寝てた?」


 訪問者はフィルであった。先ほどまでフィルのパンツを眺めながら善からぬことを考えていたからか、こうして対面すると少し緊張を覚えた。


「いいえ、まだですが、姫さまこそ、もう寝る時間ですよ」

「うん。でも、これがやっとできたから、早く渡したくて」


 そう言ってフィルが差し出したのは一枚の紙だった。ドロシーが受け取ってみると、そこには色とりどりの押し花で、一人の女性らしき人物の絵が描かれていた。


「これは……」

「押し花でドロシーを描いてみたの。こないだのお出かけで採ってきた花なんだよ。上手じゃないから、似てないかもしれないけど……」

「ありがとうございます。姫さま。とてもお上手ですよ」


 ドロシーが素直に誉めて感謝を述べると、フィルの顔に花が咲いた。


「ほんと! よかったあ。ドロシーは、こないだのお休みどうだった? どこかにお出かけしてたんだよね?」

「ええ……そうですね。とても、有意義に過ごせました……」


 その日、ドロシーはコットンと共にヒュドラ狩りに出かけている。フィルの誘いを断ってまで出かけたことが思い出された。


「そっか、よかったあ。……あのね、お父さまに言われたの。ドロシーはいつもわたしのためにずーっと頑張っているのだから、もう少し自由をあげなさいって。もっとお休みをよく取るように、わたしからも言いなさいって言われちゃった」

「国王陛下が、そのようなことを?」


 自分の働き方は、外からそのように見えていたのかと驚く。ドロシーとしては、好きでフィルの傍にいるのだから、それを特に苦にしたことは無かった。しかし、今後の計画のことを思えば、休暇を取りやすくなったのは僥倖といえるだろう。


「うん。だからね、こないだのお出かけ、無理に誘ってごめんなさい。それから、いつもお仕事おつかれさま。本当にありがとう、ドロシー」

「勿体ないお言葉、ありがとうございます。姫さま」

「うん。じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみなさい。姫さま」


 フィルは挨拶を済ませると、自分の私室へと戻っていった。

 ドロシーも私室へ戻ると、受け取った押し花絵を改めて眺める。多種の花弁がふんだんに使われており、材料の採取には相応の手間がかかっただろうことが容易にわかる。出来栄えは拙いものの、そこからは確かにドロシーへの感謝と労いの心が発散されていた


「姫さま……」


 ドロシーの奥底から何かが湧き上がってきて、心を揺さぶった。この感覚は何なのだろうと自問するも、分からずに困惑する。


「どーしたの?」


 声に振り向けば、いつの間にやら部屋の隅にコットンが陣取っていた。大切なフィルからの贈り物を鑑賞している時間だ。いつものドロシーならば追い返していただろう。しかし、何故か今はそのような心境にならなかった。


「コットン。私は、何か変なのです」

「そんなの、言われなくたって知ってるけど」


 コットンの言葉を無視して、ドロシーは続ける。


「姫さまは、私のことを思って、このように素晴らしい贈り物を下さいました。これだけの花弁を集めるのは大変だったでしょう。それを持ち帰り、これを作るのも苦労があったと思います。それがすべて、私のための行いなのです」

「そーだね。それで?」

「姫さまがそうしている間、私は何をしていましたか? 私のためと思って休みを与えてくださり、私のためと思って花を集めてくださっている裏で、あろうことか姫さまの下着を盗む算段を立てていたのです。姫さまのご厚意に対する、重大な裏切りです」


 ドロシーの体が少しずつ震えはじめた。体の芯から止め処なくやってくる、これは一体なんなのだろうか。


「なに? いまさら罪悪感?」

「罪悪感。そうかもしれませんが、そうすると分からないことがあります。これが罪悪感であれば……罪悪感であれば……」

「うん?」



「どうしてこんなに、気持ちが良いのでしょう」



 ドロシーは体を震わせながら、快楽に打ち震えていた。

 顔が勝手にひきつって奇妙な笑顔を作り出し、不自然に開いた口の端からよだれが垂れた。震える体を抑えようと、ドロシーは腕で自分の肩を抱いた。


「おかしいのです。ひ、姫さまの笑顔を見ていると、申し訳なさと一緒に、心地よさまで湧き上がってくるのです。こ、これは。これは――」

「それはねえ、背徳感ってやつだよ。ドロシー。背徳感で気持ちよくなるなんて、やっぱりいい趣味してるよ。悪魔冥利に尽きるね」


 コットンがニヤニヤと不気味に笑いながら、コルクボードへと歩み寄ってゆく。フィルのパンツコレクションのために拵えた、特設のボードだ。

 コットンはコルクボードにかけられた布を一気に引きはがすと、言った。


「さあ、次はどんなパンツをここに貼り付けようか。たのしみだね!」

 

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