第四話 内なる獣に向き合え

 王都シルクノシタギアから、ナイロン領カセンノシタギアへ。さらにそこから西へ大移動の末に、ドロシーたちは大森林地帯へと辿りついた。

 一目があまり気にならない僻地に入ってからはコットンの力に頼って空を飛ぶなど、なるべく高効率な移動をしてきたが、それでもすでに夕刻となっていた。


「早くしないと日が沈みます」

「あーあ、わたしのパンツがあればもっとぶっ飛ばしてこれたのに」

「無い物を嘆いても仕方ありません。早くヒュドラを探しますよ」


 日が傾いているせいで森の中は既に暗くなりつつある。ヒュドラに限らず多くの魔物が生息する大森林地帯である。長居はしたくないところだ。


「どうやって探すの?」

「ヒュドラの全身からは常に少しずつ猛毒が染み出していて、周囲の動植物に影響を与えるのだと文献にありました。不自然に枯れた草木や、毒で死んでいる動物などを探すと良いかもしれません。まずは目撃例のあった場所を回って、それらしい手掛かりを探してみましょう」


 服が汚れるだの、ジメジメして気持ち悪いだのと、文句を垂れるコットンを引き連れながらも、ドロシーはヒュドラらしき魔物が目撃されたという地点を回っていった。


「魔物がいるよ」


 コットンが言った。


「群れだね。囲まれてる」


 暗く、深い繁みでドロシーは察知が遅れた。指摘されてから、改めて周囲に気を配ってみれば、確かに獰猛な魔物が多くいるのが分かる。繁みに隠れて機を見計らっていたようだ。コットンが指摘しなければ、ドロシーなどはあっという間に餌になっていたことだろう。

 向こうも気配を察知されたと気づいたのか、魔物たちが続々と茂みから姿を現した。

 いくら凄腕とはいえ、さすがにドロシー一人で倒せる数ではない。


「どうするのです?」

「めんどくさいし、わたしが倒すよ」


 コットンが前に出る。いつもの飄々とした様子は相変わらずであるが、その全身から発せられる雰囲気が変貌してゆく。

 木々が騒めき始めた。コットンを中心として、生ぬるい淀んだ風が渦を巻いて蠢く。フリルの多いスカートがはためき、買い与えた安物のパンツが収まっているであろう、その内部で凶悪な魔力が最高潮に達した。

 コットンが目を見開き、不気味にひきつらせた笑顔で高らかに呪文を唱える。


「アンリーシュ・ザ・マッドネス・リビドー!」


 禍々しい瘴気が周囲に迸る。

 吹き荒れる強烈な衝撃に、ドロシーは守りの構えをとって耐えなければならなかった。だが、物理的な威力よりも、精神に侵食してくる異質な力の方が深刻だった。

 心の奥底にある、どす黒い泥の塊が蓋を突き破って飛び出そうとしている。自分が自分で無くなろうとしている恐怖と、理性から解放されてゆく快楽が混ざって、精神を蝕んだ。

 ドロシーは目と耳を塞いでうずくまり、必死に理性を保った。周囲には魔物の異常な叫び声と、コットンの邪悪な笑い声が溢れかえって、これもドロシーの心に爪を立てた。


「おわったよ」


 コットンの声に顔を上げれば、周囲はすっかり静まり返っていた。立ち上がって見回せば、おびただしい数の魔物が軒並み倒れ伏している。皆、顎が外れんばかりに口を開け広げ、体毛は逆立ち、開いた目はひっくり返っていたうえ、真っ赤に充血していた。


「今のは……」


 精神に残る不気味な余韻を振り払うように、ドロシーは問うた。


「異常性欲を極限まで喚起させる魔法だよ。大体の生き物は自分の性欲に押し潰されて魂が粉々になるの。ドロシーには当たらないようにしたはずだったんだけど、威力も制御も甘かったみたいだね。やっぱりこんな安物のパンツ買ったせいだよ」


 そう言ってコットンはスカートをたくし上げた。ドロシーが出発前に買い与えた安物の綿パンツだ。ドロシーが見ていると、パンツのウエスト部分が突然千切れて、はらりと地に落ちた。


「あー……わたしの魔法に耐えられなかったみたい。まったくもー」


 コットンは破れたパンツを拾って言った。

 今の魔法が甘い威力だったと平然と述べるコットンに、ドロシーは背筋が寒くなった。

 文句を垂れて次のパンツを穿くコットンを見ながら、ドロシーは目の前の存在が正真正銘の大悪魔なのだと再認識した。

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