第4話 パトゥとパリス
二人の会談はコーム・レーメの要求通り、二人きりで行われた。
後世にその内容が伝わるのは、のちのコーム・レーメの伝記を著わそうとした彼女の以前の愛人の一人が、コルレッタに取材を行ったからである。
コルレッタは最初、この取材を拒絶した。
「
それが彼女の――代々処刑人を務めるパリスト家の人間の矜持であった。
しかし取材者は諦めずに彼女を数年にわたって説得した。彼女ほど皇太子愛人時代のコーム・レーメに深く関わった女性はいなかったからである。
「ですが、彼女の――コーム・レーメの生き方は、私には特別なもののように見えないのです。世間は彼女が男を食い潰し、帝国を食い潰した悪女と呼ぶが、私にはそうは思えない。何年も彼女の人生を追えば追うほど、男への戯れだとか復讐だとかでもなく、もっと個人的なつましい理由で生きていたと感じるのです。そしてそれを隠し立ててもいなかった。ただ誰もそれに気づかなかっただけで。この感触が正解か否かの答えをコルレッタさん、あなたが知っているように思えるのです。彼女が特別にあなたにだけお話ししたのではないかと思っているのです。でなければコーム・レーメは最期の指名をあなたに――」
「ナターシャよ」
取材者の熱弁を遮って、短く答えたコルレッタは重いため息を吐くと、小さくうなずいて取材者の意向に応えた。
「彼女は悪女ではありません。聖女でもなかったけれど……語ることで守られる尊厳も確かにあるでしょうね」
コルレッタは自身の褐色の肌の指先を見ながら、
*****
部屋に入ると、ナターシャ様は白肌も露わなレースの
彼女は私の姿を見ると、まるで十年来の友人の来訪を喜ぶような笑顔を私に向けて、
「今日は白装束ではないのね」
と、無邪気な声で、まず初めにそう言いました。私はこの場に一般的な礼装で出向いていました。あの全身白の
「あなたは美しいわね」
と、満足そうに仰いました。
「ナターシャ様のようなお方に、そのようなお言葉をいただけたこと、光栄に存じます」
「あら、お固いこと」
「パリスト家の当主としてこの場におりますゆえ」
立礼で謝意を述べると、彼女はクスクスとしばらく笑っていました。それからふと思い出したように立ち上がり「お招きしたのにお茶も淹れていませんでしたね」と、私が制止するのも聞かず、手ずから
「こう、綺麗な琥珀色になるようにお湯の温度と茶葉を浸す時間を測るのが難しいのよね。それがうまくいっても、最後の濾しに失敗して茶葉の粉が沈殿すると、とても悲しい気持ちになるものよ」
そう他愛のない会話をいくつか交わしたあと、私の態度に解れが見えたのを感じたのでしょう。口をつけていた茶器をスッと下ろして机に置くと、ナターシャ様は先ほどからの談笑と変わらない微笑みのままに、私にこう尋ねました。
「人殺しの家はお辛い?」
意表を突かれました。ですが私も当時はパリスト家の当主を務めるものでした。私も茶器を机に置くと顔を引き締め、彼女の視線をまっすぐに受けながら、パリストの名に生まれた人間の矜持を語りました。
「主君の使命には誇りを持つのが臣下の
この答えに彼女は少し寂しげな表情を見せて、思案するように視線を横に動かすと、すぐに納得したようにうなずいて、再び私に顔をむけて、こう訊ね直しました。
「では、人殺しはお辛い?」
それはコルレッタ・パリストに対してではなく、コルレッタという私個人に対する質問でした。彼女は今までになく不安げな顔を見せ、私の答えを待っていました。それに気づいた私は、ナターシャ様に対して言われる世間の数々の毀誉褒貶が虚飾に過ぎないものだと思いました。彼女は、私の心に近づきたくて――簡単に言ってしまえば、私と友人になりたくて、このようなことを訊ねていたのです。そう私は理解しました。
「私は罪人を斬る使命を帯びたものです。人殺しを趣味としているものではありません」
ですから私は可能な限り、真摯にこの質問に答えました。この答えにナターシャ様は、
「あなたは優しい人ね。とても好き」
そう私の手を握りました。
「わたしはナターシャ・ポーラ。生まれは帝国から遠く東のウルニアのポリンス=ベルカニカ。知らないでしょう? ひどく寂れた寒村。たぶんもう地図からも消えた村。小さい頃に父が死んでからこの村を捨てて、母と二人で色々な土地を巡ったの」
彼女は私を
「母がよく言っていたの。『人からなにかを与えられたら、与えられるものを返しなさい』って。それでだけで生きてきた。わたしが美しくて、幸運だったから」
そうしてここまで来たのだと、彼女は私に出会えたこともその幸運のひとつであるかのように微笑んでいました。
「……どうして私をお召しに?」
彼女は私を求めていました。友人のような距離で自らの半生を語り、共有する相手として。それを理解しても、その理由まではわかりませんでした。
彼女はこう答えました。
「わたしは永遠に美しくはないし、幸運はいつか星を離れる――。色々な土地で色々な人を見てきたから、わたしはそれを知っている。『
彼女は視線を遠くに移し、独り言のような穏やかな声でそう言いました。
「コルレッタ」
そして彼女は話の終わりに私に振り向き、次のことを訊ねました。
「人生で最後に与えられるものはなにかわかる?」
その質問の意図を直感した私は、少し身を固くして居住まいを正して答えました。
「……私はそれを使命としています」
この返答に納得したようにナターシャ様はうなずきました。
「そのときがもし来たら、あなたにそれを与えて欲しいの」
「それは私の一存で決められることではありません」
即答しました。事実、皇帝と法の剣である私には、振るう剣の相手を選ぶ権利などありません。あったとしても、それを自分の意志で振るう気持ちなど、私には微塵もありませんでした。
けれど彼女は微笑みを崩さずに、私の胸に手を添えると、
「それでも、そういう気持ちがわたしにあることを知っていて欲しかったの」
私の首筋から耳元にかけて、その言葉を吐息に甘く混ぜ合わせて、私の黒い肌に沁みつけるようにそう囁いたのでした。私の目には彼女の白い肌が、
けれど時は動いて彼女は身体を離し、それでも私の手を握りながら、懇願するような顔で言いました。
「
否定の言葉を返せない私に、彼女はそう言いました。「
私は沈黙のままにうなずくことしかできませんでした。
それに彼女は満足げに微笑むと、スッと私の顔の近くに唇を寄せて、睦言でも囁くような声で訊ねました。
「あなたに最期を与えてもらえるなら、わたしはあなたに与えられるものを返さないといけないの。なにか欲しいものはない?」
それが母から教えられた自分の生き方だと彼女は言っていました。けれど私はすでに彼女が私に与えられるものをいただいた気持ちになっていて、首を横に振りました。
「使命となれば果たすだけのものですから」
けれど彼女は今日初めて怒った顔を見せ、私の答えを拒絶しました。
「ダメよ。これはわたしの
「では、もしそのような事態に至ったときには――」
その白い首筋から耳元にかけて、私のある願いを吐息に甘く混ぜ合わせて、彼女の白い肌に沁みつけるようにして囁いたのでした。
彼女は笑って、
「……ふふ、そうね。
とても――とても優しい表情で、私の願いを必ず叶えると約束をしてくれました。
「……最後にお聞かせ願いませんか?」
「なに?」
そして別れの時間になって、最後に交わした会話は次の通りです。
「なぜ私を?」
「最初に言ったじゃない。あなたは美しいって。
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