第5話 運命の輪が回る

 皇太子がコーム・レーメを愛人に据えた頃から、以前より燻ぶっていた共和主義者による反体制活動が活発になっていた。


 数百年の長きにわたる繁栄と伝統を重ねた帝国は、しかし長命国家の宿命として数度目となる体制矛盾の変革期を迎えていた。


 この当時の帝国の国家体制の実態は、軍事権を剥奪しつつ皇帝に隷属する特権身分として高級官僚化させた旧来の貴族層と、帝国の繁栄とともに台頭した大富豪ルーベンスに代表されるような新興市民層を登用して構築した中小官僚群を、皇帝権力を中心の求心力としてまとめ上げることで構成されていた。


 この皇帝を中心とした官僚制度は、しかし高級官僚群を構成する保守的で享楽的な貴族層と、革新的で政治参加への熱意がある新興市民出身者からなる中小官僚群との対立を生じさせていた。彼ら新興市民層の政治参加への道は中級以下の官僚として採用され、皇帝や要職にある貴族の抜擢を受ける以外になく、その不満を解消するべき方法論として様々な政治論が展開された。


 その政治論のひとつであり、当時急速に広まりを見せていたのが共和論プブリティアである。


 古代の都市国家統治手法である共和制プブリスを模範に発案されたこの共和論プブリティアの骨子は、議会の設立と選挙による市民代表の選出により、市民が貴族及び皇帝と対等な発言権――つまり政治的な自由と平等とを獲得するべし、というものであった。


 都市部の富裕市民を中心として徐々に拡大したこの共和論プブリティアの支持者を共和主義者プブリティスと呼んだ。


 皇帝や貴族の存在は否定していない共和主義者プブリティスたちであったが、彼らの主張によって自らの権力が削られることを恐れた皇帝と貴族は、この政治思想を弾圧した。


 帝都で有名な共和主義者プブリティスの第一人者が、帝立中央大学の政治学の教授であったカラスト・ヴァルホーゲンである。


 彼は大学の講義で若い学生たちを前に、強く共和論プブリティアを主張した。これに影響された学生たちの一部が過激な抗議活動に走り、数人の貴族を殺傷する事件が起きてから世相はにわかに緊張の度を高めていった。


 この事件に対する政府の対処は当該学生たちの馬蹄による圧殺刑、及びこれを扇動したカラスト・ヴァルホーゲンの斬首刑である。


 貴人に対する名誉刑とされる斬首刑は、帝国の最高学府である帝立中央大学の教授を長く勤めたカラストに対する老皇帝バンドゥナ五世による恩情といわれた。しかし、この共和主義者プブリティスに対する断固たる処置は、彼らの反体制活動への熱意をより高める結果となっただけであった。


 だが、共和主義者プブリティスたちの熱意がいかに高まっても、それだけで帝国の体制が揺らぐことはなかった。事態はまったく別の方向から進展した。


 貴族層を中央の高級官僚に起用して、軍事力を持つ地方領主としての独立権力から切り離す統治手法は皇帝権の安定化には寄与したが、中央権力の下で特権身分化した彼らは数代の内に腐敗して汚職の横行を招いた。要職にあればその権限を利用した公費の流用、予算請求の水増し、中小官僚の採用権を利用した口利きのための賄賂の要求などが頻繁に行われ、こうして集められた財貨は、帝都での華やかな夜会を代表する社交費に使われた。彼ら貴族にとって夜会とは、自らの地位と権力と存在を、他の貴族や皇帝に示すための重要な政治行為であったからである。


 この汚職の横行が帝国統治の末端に深刻な問題として現れた。末端の役人への給与支払いの遅延である。中級官僚も貴族への賄賂費用などの金策のために汚職に手を染めるものも多く、雇用規程通りの満額の給与が末端にまで届きにくくなっていたのである。この中で特に軍隊への給与遅延が、後に帝国にとって致命的な結果を招くことになる。


 直接の発端は、帝都の建設労働者の暴動だった。


 建設趣味のあった皇太子ドゥルクが、先だって進めていた帝都改造計画のために多くの労働者が農閑期である冬に地方から集められていたが、彼らへの給与支払いが滞ったのである。建設事業を担当した貴族をはじめとする役人たちによる人件費の中抜きの結果であった。


 雪が降る日もある帝都の冬の下で収入を断たれた彼ら建設労働者の前にあった選択肢は、“死”か“抗議”だけであった。彼らは当然に抗議を選択したが建設担当の役人に門前払いを受けると、今度は皇帝への直訴を求めて皇宮へと行進した。


「我々にパンを! 生きるカネを!」


 その数は最初こそ数百人であったが、「パンを! カネを!」と叫ぶ彼らの行進が道を進むにつれて、同じく汚職政治の横行に不満を抱く群衆が合流して「我々の糧を奪うな!」という声が混じり、さらに進む行進に共和主義者プブリティスたちの「汚職を打倒せよ!」、「我々に自由と平等を!」の声が響き渡る頃には、その数は数万人もの規模に膨れ上がっていた。


 突然、皇宮の前に押しかけた数万の群衆は制御もなにもなかった。皇宮の衛兵の抵抗に遭えばどこからか武器を持ち出し、抗議は次第に暴動となり、やがて戦闘へと発展した。


 この事態に皇帝は帝都の郊外に駐屯する軍隊に暴徒の鎮圧を命令した。だがこの命令を遂行しようとする貴族出身の将軍に対して下士官以下の兵士たちは職務放棄で抵抗した。彼らの給与もまた遅延していたからである。


 援軍を失った皇宮は陥落した。皇帝と皇太子が虜囚の身となり、多くの貴族が地方へと逃散した。革命の勃発である。


 しかし勢いで帝都を手中にした群衆にその意志はなかった。彼らは指導者に穏健的な貴族出身の共和主義者プブリティスザバン・カランを推戴して、帝国の最高政治執務職である宰相に任命することを皇帝に認めさせた。ザバンは早速に混乱の収拾と政治改革に着手する。


 第一に給与の支払いである。皇帝の承認を得て国庫からの緊急支出と、帝都から逃げた貴族たちの財産を特別課税という形で接収したザバンは、その資金を用いてすぐさまに全土で遅延していた給与の支払いを敢行した。これが功を奏し、帝都から逃げた貴族や皇族が反抗の基盤にしようと目論んだ地方軍の兵士はザバンの新政府に忠誠を誓い、内乱の発生は阻止された。


 次に問題となったのが皇帝の扱いである。共和主義者プブリティスは元々に皇帝の存在を否定していない。その理想は市民代表が参加する議会を通じて、法的に君主に対する直接の発言権を市民に認めさせる立憲君主制にあった。そのため皇帝と皇太子は軟禁こそされていたが敬意を持って丁重に扱われ、日々議会設立の許可を皇帝に求める説得が続けられた。


 老皇帝バンドゥナ五世は妥協の態度を示したが、これに皇太子ドゥルクが強硬に反対した。臣民の、ましてや貴族ですらない身分の人間が、政治について皇帝に直接意見する権利を求めるなど不遜も甚だしいとの主張である。


 老皇帝は若い皇太子の剣幕に逡巡し、事態は膠着した。


 この膠着の間に、国内に不安と不満が立ち込め出す。進まぬ改革に加えて、国外に逃亡した貴族や皇族が周辺諸外国に働きかけて不穏な動きを見せていた。


 早く議会を開催して皇帝に認められた新体制を構築し、国内体制を整えなければ旧体制派の動きに対抗できない。しかし皇帝を脅迫する形での議会設立の強行もできなかった。旧体制派も皇帝の安全が保証されているが故に、皇帝に剣を向ける反逆罪に問われるような軍事行動には移れなかったからである。


 時間は新政府の味方ではなかった。そのために時間稼ぎの策を弄する必要が生まれる。そこで新政府は国内の不満に対するガス抜きに、適当な人物がいたことを思い出した。


 運命の輪カルミナが回る。


 皇宮内にいたために皇帝一家ともどもに虜囚の身となり軟禁状態に置かれていた、皇太子の愛人にして帝都第一の美女である悪名高き浪費家――コーム・レーメである。

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