魔物少年マジカリーコンハクト

直行

初日

第1話 記憶


 宵闇の中、目を覚ました少年は、暫くそのまま呆けていた。


 硝子の無い窓の向こうから、薄い月明かりが部屋を照らしていた。少年は何も敷いていないフローリングの上で、毛布も掛けずに横になっている。


 起き抜けだからかもしれない、何も思考が働いていない様子だった。虚ろな瞳で天井だけを見つめていたが、焦点がそこに定まっているかは定かでは無かった。


 気温は二十五度を上回る熱帯夜だというのに、少年は汗一つかいていなかった。まるで野ざらしにされた壊れた機械のように、ピクリとも動かずに横になっていた。


 やがて意識が覚醒したのか、少年の脳に思考というものが生まれる。最初に出てきた言葉は、ここは何処だというものだった。声には出さず、心の中で呟いた。


 少年は今、自分の居る場所に心当たりが無かったのだ。切れかかったゼンマイ仕掛けのように、ゆっくりと上半身を起こす。辺りを見回してみて、何処かの室内だというのには気が付いた。


 上手く働かない頭を使って、何で自分が此処に居るのかを考えてみる。しかし、駄目だった。どうしても何も思い出せない自分が居たもんだから、少年は頭を両手で抱えた。


 そして、更なる問題が発生したのに気が付いた。


 少年は自分の名前を思い出せなかった。それだけではなく年齢も、住んでいる場所も全く分からない。


 記憶喪失というのかもしれない、と考えた所で、記憶喪失という知識があるのが不思議だった。


 自分が使っているのが日本語だというのも知っている上、英語が少し話せるのも理解していた。記憶と知識というものは全く違うのだと、少年は身を持って学んだと言えよう。


 改めて自分が何処にいるのか確かめようと、周囲を見回した少年はすぐに硬直した。自分の右側に男性が居るように見えるからだ。パイプの事務椅子に足を組んで腰掛けて、ペットボトルを口につけている。


 今、そこに居るのは本当に人間なのか分からなくて、一言も発せずに固まってしまったのだ。


「……やっぱりか」


 少年と目が合うと、男性はパイプ椅子から立ち上がる。落ち着いた雰囲気があったから、もっと大人のように見えたが、身長は百六十くらいだった。


 はっきりと声も聞こえて姿も見えているのだから、幽霊とかそういう類じゃないのかもしれない。それでも相手が、どんな意図を持って近づいているのか分からない。まだ警戒を解くなと、少年は自分に言い聞かせる。


「……お前、記憶ある?」


 こっちの様子を理解してくれているような問いだったから、つい少年は正直に首を左右に振ってしまった。男性はそのまま少年を通り越し、壁についているスイッチに触れる。


 電気を入れたのだろう。一気に部屋が明るくなって、隅々まで見通せるようになった。


 ボロボロのフローリングの床、剥げ落ちた壁紙。部屋の中にあったのは、先ほど男性が座っていたパイプ椅子だけだった。


 気が付くと、さっきの男性が少年に手鏡を差し出していた。明るい所で見ると、顔つきは小学生か中学生くらいで。男性というよりも、彼も男の子と呼称してもおかしくないくらいの成り立ちだった。


 しかし、何よりも少年が驚いたのは髪色だった。顔つきから見るに日本人にしか見えないのだが、目の前の彼の頭は深い青に染まっていた。明るい水色ではなく、紺というかネイビーカラーというのだろうか。似合ってはいるのだが、あまり見ない色すぎて印象深かった。


「自分の顔、見てみろ」


 紺色の彼から手鏡を受け取って、少年は言われるまま自分の顔を見る。


 目の前の彼よりも幼いというか、女の子みたいな顔をしているというのが第一印象だった。記憶が無いというと、本人の顔も見覚えが無くなってしまうのかと感じた。目の下にはクマがあって、不健康そうな顔色だった。


「髪、見ろよ」


 そう促され鏡の角度を変えると、少年は目を丸くした。目の前の男の子の髪色が変わっていると思ったが、自分はそれ以上だったのだ。


 左手を伸ばして、自分の髪をわし掴む。カツラでも何でもないのが、触感で既に明らかだった。


 根元がピンク色だが、グラデーションになっていて、毛先が白くなっていた。まるで白桃のような髪色に、少年は思わず息を呑んだ。


「……も、元からこうだったの?」


 紺色の男の子が知っているかは定かでは無かったが、白桃色の少年は声に出せずには居られなかった。喋ってから、自分の声が震えているのに気が付いた。


「いや、変化した」


 目の前の彼があっさり言ったから、白桃色の少年は食い気味に立ち上がった。まるで紺色の少年が、こうなる前の自分を知っているかの様子だったのだ。


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