第7話 マラソン大会(2)

 大学キャンパス内にある陸上競技場南端からスタートを切った俺たち。

 まずは意識してゆっくりペースで、後続集団の中を北に走る。

 早歩きよりちょっと早いくらいのペースだ。


「もうちょっとペース上げてもいいんじゃないですか?」


 隣の明菜あきなが聞いてくる。


「うーん。ちょっと考えてみるな」


 彼女の提案もわかる。

 しかし、去年は余裕、とペース上げたら痛い目を見たんだよな。

 でも、去年より俺も鍛えてるし、明菜はそれ以上だろう。


「やっぱり様子みよう。完走が目標なら、安定ペースが重要だ」


 今のところ、ペースはスマートウォッチによると、9km/hといったところ。

 6時間以内に完走できればいいので、完走が目標なら十分だろう。

 それに、どうせ、後半、勝手にペースが落ちていく。


「わかりました」


 コクリと頷く明菜。

 しかし……


「すっかりスポーツ少女だよな。文化系だったのに」


 6月に彼女が走り始めた時の事を思い出す。


「実は、私も、こうしてフル走ってるのが、ちょっと意外です」


 嬉しそうに、そんな返事を寄越してくる。


「正直、そこは同意だ。本当に執念深いよな」


「そこは、執念じゃなくて努力と言って欲しいんですけど」


 不満そうな言い方だけど、表情はにこやかだ。

 ここ数ヶ月で、明菜と過ごすのもすっかり普通になった。


 気温は10℃くらいで、走り始めた時は少し寒いくらいだった。

 今は、十分に身体が温まってきて、暖かく感じる。

 折しも天気は晴れで、絶好のマラソン日和だ。


 10km地点くらいまで、のんびりと走る俺たち。


「もう10kmですね。これだと、42.195kmってあっという間じゃないですか?」


 明菜は、余裕の表情だ。

 俺も、現時点でのコンディションは似たようなものだ。

 経過時間も1時間ちょっとで、このペースを維持できるのなら、いけそうだ。


「油断してると、後半、30km超えた辺りで、急にきつくなるぞ」


 去年の苦い経験を思い出して、そう忠告する。

 最初の10kmがほんとに楽勝だったから、ついペースを出してしまったのだ。

 その結果、30kmを超えた辺りで足がきつくなった。


「でも、ハーフでも大丈夫でしたし、30kmで息切れする気がしませんが」


 ピンと来ない様子の明菜。


「息切れじゃなくて、足にガタが来るんだ。もちろん、俺の場合、練習不足ってのもあったけど。途中、お汁粉とかバナナとかしっかり食べとけ」


 今、思い出しても、足が悲鳴を上げる感じはきつかった。


「そういえば、もうちょっと先でバナナ配ってますね」


 延々と続く平らな道路を見渡すと、確かにバナナを配っている。


「よし、バナナは食っとこう」


 フルマラソン大会では、こういう風に、地点地点で補給物資が用意されている。

 俺が知っている限りでは、水分補給にスポーツドリンク。

 栄養補給にバナナやお汁粉、ゼリーなどがある。

 この辺りは大会にもよるらしいけど。


 そして、少し走った先で、バナナを受け取って、もぐもぐと咀嚼する。


「走ってる最中に食べるのって変な気分ですけど、美味しいですね」


「だろ。後半、スタミナ切れた辺りだと、より美味しく感じるぞ」


 言いながら、食べ終わったバナナの川をゴミ箱にボイする。


 さらに、北に続く直線道路を延々と走り続ける。

 できるだけ同じペースで走ると、15km地点辺りで西への曲がり角が見えた。


 この大会のコースは、縦に長い長方形に近い感じだ。

 この曲がり角を曲がった後、さらに5kmちょっと走ると、南下する感じになる。

 南下するコースをまた17km程走って、東へ5km程走るとゴール地点だ。


「そろそろ15kmですね。喉が乾いて来ました……」


 見ると、汗が滲んでいる。

 経過時間は2時間に満たないので、まだまだ余裕はある。


「水分不足はシャレにならないから、こまめにな」


 熱中症に限らず、ナトリウム不足で足が攣りやすくなったりもする。


「はい。まだ、半分も走ってませんしね」


 コース脇に置かれた紙コップを取ってぐいっと飲む俺たち。

 中身はスポーツドリンクだ。


「はぁ。生き返った気分です」


 汗を拭いながら、人心地といった様子だ。


「体力は問題ないだろうけど、ほんと、水分取るの忘れないようにな」


 練習で、体力や脚力はついたものの、ハーフとはまた違うのだ。

 そこが実感出来ていないように見える。


「そうですよね。気をつけます……」


 水分が明らかに不足気味なことに気がついたのだろうか。

 返事は真剣だった。


 そこから、さらに5km程、西に走る俺たち。

 水分が不足気味のようだったので、一時的に少しペースを落としてみる。


「はぁ。これで、やっと、20kmですか。意外に長いんですね」


 最初は、余裕、余裕という感じだった明菜。

 ただ、ここに来て、ハーフとちょっと違うことを実感したらしい。

 とはいえ、呼吸にはまだまだ余裕がある感じだ。


「今年は大丈夫……だと思うけど、30km地点超えたあたりからは、特にペース配分と走法に注意な。無理すると、足攣ったりするぞ」

 

 去年、突然、足が攣った時はびびった。


「それは嫌そうですね。気をつけます!」


 そして、曲がり角を南下して、さらに10km程の地点に着いた俺たち。

 スマートウオッチのGPSを見る限り、これで30kmくらいか。


「なんだか、少し、足が、重くなってきた、ような……」


 ここに来て、明菜の方は少し足がつらくなってきたようだ。

 俺はまだ平気なのは、去年の経験の賜物だろうか。

 マラソンは体力だけではないのだと、改めて実感する。


「よし。じゃあ、もう少しペース落とすぞ。あと、足に負担かかってるぽいから、走る時に、歩幅小さめを意識な。本で読んだことあると思うけど」


 歩幅を大きくすることで、スピードを稼げる効果はあるが、足への負担は大きい。


「はい!でも、シノはやっぱりその辺、器用ですね……」


 ちらとこちらを見て、つぶやく明菜。


「去年、痛い目にあって、走法とかは特に意識したからな。それだけだよ」


 去年、痛い目にあって、普通に完走できるようにと意識したのが特に走法だ。

 最悪、息切れはなんとかなる程度だったけど、足が死ぬとどうにもならない。


「でも、昔から、運動のコツを掴むのがうまかったじゃないですか」


 言いながら、少し遠い目をしているこいつは、何を思っているのだろう。


「どうだろうな。身体の動きをコントロールするのは上手いのかもな」


 確かに、昔から、俺は短期間でうまい身体の制御をするのが割と得意ではあった。

 歩幅を意識すれば、簡単にコントロールできたし、四肢の動きも。


「そういうところ、変わってないんだなって、ちょっと安心しました」


 そう言われると、少しむず痒いな。

 

「マラソン中だから、思い出話は、後でな。まず、完走目指そう」


 思い出をあんまり意識すると、身体の制御に失敗しそうだし。


 気がつくと、距離は35km。経過時間は……4時間30分。

 いよいよ、終わりが近づいてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る