第6話 マラソン大会(1)

 それからの俺たちは、以前のように、デートをしたり、お互いの家に遊びに行ったりする仲になった。夜遅くなれば、俺の家に泊めることすら。


 ただ、スキンシップはしない。それが、俺達の暗黙のルールになっていて、彼女は、11月までは……という決意は固いようだった。


 そして、明菜あきなはといえば、ただの1回も欠かさずに、隔日あるいは2日おきに5kmの練習を続けていた。たとえ、俺が風邪で練習を休もうと、雨が振ろうとお構いなしに。


「今日は雨がひどいから、止めておけって」


 そう言っても、


「これは、私のですから。絶対に止めません」


 怖いくらい真剣な声音で拒絶されるものだから、俺も止められなかった。


 たとえ、真夏で、朝6:00には既に暑くなっていようが、それは変わらずに、熱中症で倒れないだろうかと何度もヒヤヒヤしたものだった。

 

 練習を続けていくと、彼女のタイムはみるみる間に縮んでいった。大会を意識して、週に1回は10kmを走るようにしても、それは変わらずに。そして、単に走るだけじゃなくて、呼吸法や足運びも工夫するようになったらしく、いつの間にか俺よりも走ることが出来るようになっていた。


 そうして、11月15日。いよいよ、今日はマラソン大会本番だ。


◇◇◇◇


「ようやく、ようやく。この日が来ましたね」


 待ち望んだ日が来たとでもいいたげだ。いや、実際そうなのかもしれない。

 界隈でも有名なマラソン大会らしく、周りには多くのランナーが集まっている。

 俺たちもその中の一人だ。


「お前も、すっかり、マラソンランナーって感じだよな」


 恐ろしいほどの意思力で例外なく淡々と走り続けた彼女。

 その身体は以前にも増して、ほっそりとしている。

 余分な贅肉がほとんどなくて、肉体美があるとでもいえばいいのか。

 筋肉ムキムキ、という感じじゃないのは幸いだ。言わないけど。


「気がつけば、私も、すっかり、走るのが楽しくなっちゃってますね」


 確かに、最近の明菜は走る事自体をいつしか楽しんでいるように感じた。


「しかし、別にそこまで、今日という日に執念燃やす必要も無かっただろうに」


 今言うことではないのかもしれないけど、つい思ってしまう。


「そんな事はないですよ。逆に、今日までずっと練習し続けたからこそ、きっちりと想いを伝えられる気がします」


「なんかさ。明菜は、昔から決めた事はちゃんとやると思ってたけど。さすがに今回は度肝を抜かれたよ」


 あるいは、続けるだけなら、そこまで難しくないとは言えるかもしれない。

 しかし、例外なく、というのは、意志力が強いというより執念のレベルだ。


「1年以上溜め込んだ想いを、しっかりぶつけますからね。覚悟しててくださいね」


「お手柔らかにな」


 一体、どんな告白が待っているやら。

 長文で思いの丈をぶつけられたら、さすがにビビるぞ。


 そんな事を話している内に、いよいよ、大会開始のアナウンスが告げられる。

 俺たちはランナーの最後尾からスタートなので、後ろ側にぞろぞろと

 連れ立って移動する。


「しかしまあ、終わった後のあれこれはおいといても、楽しみだな」


 昨年、フルマラソンを走り終えた後の充実感を思い出す。

 今回は、練習も十分。しっかりと走りきってやる。


「そうですね。私も、です。なんだかんだ言って、フルは初めてですし」


 フルは、というのは、ハーフマラソンは既に走りきっているからだ。

 フルマラソンに向けての予行演習で、10月のハーフを俺たちは完走している。


「言っとくけど、別にペース合わせなくてもいいからな?」


 実のところ、既に彼女の方が、練習の甲斐もあって同じ距離を早く走れる。

 ようになっている。だから、そう言ったのだけど-


「なんでですか?せっかくですから、2人で完走しましょうよ」


「ランナーとしては、タイム縮められる方がいいだろう」


「それは次回以降考えます。今日は完走目標ですし」


「お前がいいなら、何も言わないけど」


 そう言っている内に、開始を告げるアナウンス。


 これからは、自分との戦いだ。

 たとえ、並走する彼女がいようとも。


「あ、そういえば。これ言っておきたかったんですよ」


 大事な事を言い忘れたとばかりの明菜。


「私、42.195kmを完走したら、告白しますから」


 ニッコリ笑顔で、フラグを立てる明菜。


「なあ、ひょっとして、今日にこだわったのって……」


 まさか、お約束の死亡フラグを立てたかった、だけ?


「さあ、どうなんでしょう?」


 そう、しらばっくれる彼女。

 本当にフラグにならなければいいんだけど。

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