第4話 俺と彼女の過去

 俺、高木たかぎしのぶと、明菜あきなの出会いは小学校6年生の頃に遡る。人によっては、いわゆる幼馴染とも見えるかもしれない。


 俺たちは北関東の、やや田舎な地域で生まれて、そこで育った。1学年は1クラスか2クラスで、年によって1学年は20人~30人といったところ。そんな小学校で6年生になった俺は、1学年下の、明菜の事が少し気になっていた。


 元々、地元の大きなお屋敷の子、ということで明菜のことは学校でそれなりに知られていた。そして、容姿に加えて、頭も良かったものだから、良くも悪くも狭い学校では彼女は有名だった。


 そんな「お嬢様」な彼女が、どんな子なのだろうという事に興味があった俺だけど、学年も違うこともあって、どこか違う世界に生きている人間のようで話しかけづらかった。そんな感じで、「ちょっと気になる女の子」で、学校でもただすれ違うだけの明菜との関係が少し変わったのが、4月の末頃。


◆◆◆◆


 放課後のある日、僕は、最近のマイブームである、鉄棒の練習をしようと、校庭に出ようとしていた。今日は、何を練習しようかな。


 そんな事を考えながら、廊下を進む。すると、ガガガガ、ガガガガ。何か、家庭科室から音が聞こえてくる。ミシンの音だろうか。


 気になるなあ。そう思った僕は、少し扉を開けて、そっと家庭科室を覗き込む。すると、中に居たのは、学校で有名なお嬢様な大橋おおはしさん。


 遠目に見ても、とても綺麗だと思う。そんな彼女は、どうやらミシンで何やら縫い付けているようだった。何やら、怖いくらい真剣な表情をして。


「誰か、居るんですか?」


 その声に一瞬、僕はビックリした。出来るだけ音を立てないようにしたのに、気づかれたのだろうか。でも、逃げても仕方ないか。おとなしく扉を開いて顔を出して、謝る。


「ごめん、大橋おおはしさん。ミシンの音が聞こえたものだから」


 まずは、そう謝る。事情はわからないけど、1人の作業を邪魔した罪悪感がある。


「あれ、高木たかぎさん?どうして、私の名前を……」


 きょとんとした様子の大橋さん。


「それは、僕が聞きたいんだけど。どうして、大橋さんが僕の名前を?」


 有名なお嬢様な彼女はともかく、僕は、彼女とろくに言葉を交わしたこともない。


「呆れました。知らぬは当人ばかりという奴ですね……」


 何やら難しい言い回しをして、大げさにため息をつく大橋さん。


「どういうこと?」


「毎日、毎日、鉄棒の練習をしている人がいるって、皆、知ってますよ?」


 驚きだった。単に、鉄棒の練習をしているだけなのに。


「暇なんだね。別に、鉄棒なんて見ても面白くないと思うけど」


 まあ、別に、どっちでもいいんだけど。


「あれだけ鉄棒が上手だったら、皆、注目しますよ……」


 また、呆れた声。


「鉄棒が上手いのが不思議なことかな?」


 より多く連続で逆上がりが出来るようになったり。

 あるいは、別の技が出来るようになるのは楽しいけど。


「高木さんって変な人だったんですね」


 確かに、僕の事を変わっているという友達は多い。

 未だに何が変わっているのかわからないのだけど。


「まあいいや。それより、ミシンで何をしてたの?」


 この際だし、聞いてみようと思った。


「……その。誰にも言いません?」


 何やら周りを見渡して、キョロキョロした後、彼女は言った。


「別にそんな暇なことはしないよ。約束する」


 1人で何やらこそこそしているからには、きっと、知られたくない事なんだろう。


「母の日に、お母様に送る、ハンカチを縫っていたんです」


 恥ずかしそうにそう告白する大橋さん。


「へぇ。すっごいお母さん思いなんだね、大橋さん!」


 僕はといえば、そんな彼女に素直に感動していた。


「僕なんて、お小遣いで適当に何か買っておしまい、だよ」


 ハンカチを作る能力が無かったので、それも羨ましかったのだけど。


「そんなに不思議でしょうか……。毎年のことなのですけど」


 何やら、首をかしげて、ピンと来ていない様子の大橋さん。

 こういう所は、噂通り、お嬢様なんだなって思う。


「大橋さんって変わってるね」


 そんな彼女の様子が面白くて、素直な言葉が出ていた。


「高木さんの方が変わってますよ」


 ムっと来た様子の大橋さん。


「ごめん、そういうつもりじゃなかったんだ。ところで、もしよかったらなんだけど……」


 この言葉を言うのは、少し勇気が必要だった。


「僕もハンカチ、作ってみたいんだけど。教えてくれないかな?」


 言ってしまった。

 なんだか気になる女の子にこういう言葉をかけるのはとても恥ずかしく思えた。

 ハンカチの事は口実で、彼女の事を知ってみたかっただけだし。


「高木さんも、変わった事に興味持つんですね。男の子なのに。いいですよ」


 何がおかしいのか、笑いをかみこらえた様子で、でも、

 あっさりと僕の願いを承諾してくれたのだった。


 それからの僕は、彼女と交流を深めていった。母の日に送るハンカチを作り終わった後もそれは続いて、彼女が鉄棒がうまくなるコツを教えて欲しいとせがむこともあった。


 そして、それ以外でも。

 「お嬢様」な彼女の家にお邪魔して、彼女のお父さんやお母さんに挨拶したり。

 逆に、彼女を家に招いたり。父さんや母さんはやけにペコペコしていたっけ。


 お互いに、「シノ」「明菜」と呼ぶようになったのもこの頃だ。

 「「忍」だけだと、芸がありませんから」

 と何やらよくわからない事を言い出した彼女からの提案は不本意だったけど、

 仕方なく承諾した。


◇◇◇◇


 中学、高校と上がっても、明菜との付き合いは続いた。同じ小学校から、中学、高校と上がる奴はそこそこ居たけど、それとは別に彼女とは特別に仲が良かった。


 俺はいつしか彼女と恋人としてお付き合いをしたいと思うようになっていった。


 そして、ある日の放課後。いつものように、一緒に帰った道で。


「なあ、明菜。そろそろ、俺たち、付き合ってもいいと思わないか?」


 なんとなく、そんな言葉だけを告げた。


「それ、告白のつもり、ですか?……」


 何やら、白い目で見られてしまう。


「いや、ごめん。ちゃんと言うべきだよな」


 さすがに俺も、ちょっとひどいという自覚はあった。


「いいですよ、シノ。付き合いましょう」


 「へ?」と思わず間抜けな声が漏れていた。


「別にシノが変なのはいつものことですからね。ちゃんとした告白なんて期待してませんでしたよ。ええ」


 ジト目で睨まれる。グサグサと刺された気分だ。


「なんか、心が痛いんだが。まあ、よろしく頼む」


 そんな、日常の延長線上で何やら付き合うことになってしまった俺たち。


◇◇◇◇


 恋人になった後も、彼女との関係は相変わらず続いた。


 娯楽の少ない片田舎だから、駅前にはろくなデートスポットはなかったので、お互いの家に遊びに行って、カードゲームやボードゲームをしたり、コンシューマーゲームに興じたりというインドアなデートが主だったけど、それでも、楽しい日々だった。


 そして、デートでは、キスをしたり、終わりにはエッチをしたり。

 「もっと、求めてほしいんですけど」

 とよく不満がられたのだけど。

 どうも、元来、淡白な人間らしいとその頃に気づいたのだった。


 この淡白さが、割とあっさりと別れ話を切り出してしまった原因かもしれない。


◇◇◇◇


 高校3年の頃。俺は、東北にある有名大学に合格したのだった。

 問題になったのは、明菜との仲。

 ここからその大学へは距離がある。だから、遠距離恋愛になってしまう。

 もちろん、それだけならまだ良かった。

 彼女の実家としては、どうも、跡取り候補に逃げられる事を危惧したらしい。

 そこで、大学への進学を報告した時に、


「進学後は、結婚を前提にお付き合いをして欲しい」


 と彼女の両親からお願いをされてしまった。


「もちろん、俺も明菜とは真剣なお付き合いのつもりです。ただ、今の時点では、結婚を前提にとまでは……」


 妙に圧のあるお願いにビビった俺は、そんなチキンな返事をしてしまった。

 彼女との付き合いに不満はなかったけど、結婚を迫られると話は別だ。


「こちらとしても、心苦しいのだけどね。結婚を前提にできないなら別れて欲しい」


 そんなチキンな返事に対して、彼女の父親からは、きっぱり言われてしまった。


「……」


 この時に改めて思ったのは、古いお家はめんどくさいということだった。

 結婚するかしないかのタイミングくらい好きにさせて欲しい。

 しかも、結婚すれば実家がついてくるから、したい仕事だって選べない。

 

 考えあぐねた末に、俺は、明菜と別れることにした。

 彼女の事は好きだけど、でも、実家を継ぐ決断までは出来そうになかった。

 だから、別れるしかないと。


◇◇◇◇


「ごめん、明菜。別れて欲しい」


 卒業式が終わった後の帰り道。

 けじめを付けるのはこのタイミングしかないと思って、そう言った。

 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「……その、嘘、です、よね?」


 呆然とした明菜の表情は今でもはっきり思い出せる。

 この世の終わりでも目撃したかのような、そんな表情。


「そのさ。親父さんからさ。結婚を前提に出来ないのなら、別れてくれってさ。色々悩んだんだけど、今、明菜の家を継ぐ決断まで出来そうにない。本当に勝手だけど、頼む」


 この時の俺は、申し訳ない気持ちになりつつも、

 こんなにあっさり言えるんだと自分の気持ちが少し不思議だった。

 彼女の事は好きなはずなのに、こうもあっさり別れを切り出せるのかと。


「なんで、なんで、そんないきなりなんですか?別に、お父様の言うことだって無理に従わなくてもいいんですよ?私が説得しますから、それで駄目ですか?」


 必死で翻意させようとしてくる彼女。


「明菜の親父さんと大喧嘩してまで、意思を貫く気にはなれない。ごめん」


 我ながら、ほんと、ひどい返事だったと思う。


「……ひょっとして、遠距離恋愛の事、気にしてたりします?別に、私は、普段、会えなくても耐えられますよ?それに、シノと同じところを受験すれば、来年は同じところに通えますし!」


 俺の意図をどう深読みしたのか、そんな事を言って、詰め寄ってくる明菜。


「いや、そういう話じゃないんだ。とにかく、今、決断を迫られても無理って、ただそれだけの話なんだ」


 繰り返し頭を下げる。自分の都合しか頭にない、最低な言葉だ。


「どうしても、どうしても、別れる意思は固いですか?」


 涙声での最終確認。


「ああ、ほんと、ごめん」


 それに、俺は、ただ、平謝りするばかりです。


「わかりました!ちゃんと別れますよ……!でも、ロクに私に相談もせずに別れを一方的に決めたこと、許しませんからね?ずっと恨みますよ?」


 目をかっと見開いての、呪いの言葉。一瞬、あとずさりしそうになるけど、


「ああ。いくら恨んでくれても構わない」


 そんな言葉だけを返したのだった。


◇◇◇◇


「なんか、ほんと、最低だよな、俺……」


 大学に入って、明菜の居ない生活にどこか空虚感を覚えるも後の祭り。

 覆水盆に帰らず。

 でも、自分のせいだから、仕方ないと思っていた。

 そんなところで、キャンパスで明菜と再会したものだから、ビビったのなんの。

 何故、俺を追いかけて来たのか怖かった俺は、他人行儀を貫くことにした。

 そんな態度が彼女を傷つけていたとも知らずに。


「ジョギングの最中に責められたのも仕方ない気がしてきたな」


 別れ話を切り出せば終わり、なんてのは一方的な俺の理屈だ。

 それに、今も、別れ話の時の呪いの言葉が耳に残っている。


「ずっと恨みますよ?」


 と。


「しかし、復縁したいってのは予想してなかったな」


 それしか考えられない。

 吹っ切った元カレと二人きりでジョギングなんてごめんだろう。

 そして、昔のように呼んで欲しいとの言葉。

 最後に、十一月に言いたいことがあるという話も。

 つまるところ、俺とヨリを戻したいという事なんだろう。


 そもそも、嫌いだから別れ話を持ち出した話ではないのだけど。


「俺も覚悟を決めるしかないか」


 大学に入って、1年間とちょっと。

 別れて初めてわかる、彼女のありがたみというのも実感した。

 今なら、親父さんと話して、説得するというのもありだと思えている。

 思えば、進学前は心に余裕がなかったのだろう。

 だから、短絡的に別れ話を切り出してしまった。


「しかし親父さんたち、よく、こっちへの進学許したよなあ」


 それは、今でも疑問に思っていることだった。

 独り身の娘が遠くに進学するとか許しそうに無い人だ。


 ま、その辺りは今度聞いてみればわかるか。


 ほんとに、自業自得というやつだと思う。

 

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