第2話
「そんなに痛かった?」
「いや、たいしたことないよ」
まっすぐ、不安げに見上げるからいとおしくってキスをした。
「はい、おしまい。いくよ」
手を引いて夜の公園を歩き出す。
「えー」
不服そうな顔も可愛い。
可愛いけどすでに足の裏は真っ黒なはず。見た目が大人っぽくなっても、中身はちっとも変わってない。
「おい、ヒール片っぽどこいった?」
「あー。たぶんアレだ」
麻里が宙を指差した。
見上げるとサクラの樹の入り組んだ枝に、ベージュのヒールが突き刺さっていた。
(JIMMY CHOO )
この綴り知ってる。麻里が高校の頃から憧れてたちょっとお高いブランドだ。ファッション誌をめくりながらうっとりしてたっけ。
木の向こう側にぽっかり浮かぶ月が、小枝の隙間から柔らかな光をこぼしている。その光がヒールの甲をそっと照らす。夜の目印みたいだ。
「ほら」
半ば強引に麻里をおぶって、靴を取らせた。
「降りないの?」
「……もうちょっとだけ」
「別にいいけど……」
俺の背中にぴったり顔をくっつけている。
「初めてもらった給料で買ったんだろ?」
「うん、でも都会を歩くための靴は疲れるんだぁ」
麻里は東京でアパレル関係の仕事に就いていた。
「でも大事にしなきゃ」
「そだね」
「いい靴はいい女の証なんだってさ」
「ふぅん」
「ちゃんと聞いてる?」
返事がなくなった。まさか、この短時間で寝た?
「麻里?」
声をかけてみたけれど、やはり返事はない。さぁ、どこまで担げば起きるんだ? このままおまえんちまで行けってか? まぁそれでもいいか。この足で履いたらあの綺麗な靴が台無しだ。
「ねぇ、さっきのグミ何味? 俺甘いの苦手だけどあれ好きかも。コンビニに売ってる?」
返事はない。
「あのさぁ、このままベッドまで運ぶからな? 襲われても文句言うなよ?」
うん、やっぱ寝てる。カウントダウンは一緒に過ごそうねってそっちから言っときながら普通寝るか? さっきの台詞半分本気だかんな。
首筋の辺りに規則的な呼吸。それがすこしくすぐったい。
疲れてるのかな。疲れてるんだろうな。
麻里のことだから仕事もきっと全力投球。毎日頑張ってるに決まってる。しょーがないから起きるのを待っててやってもいいかな。
年明け最初に見る顔が麻里の寝起きの顔ってのも悪くない。ていうかそれって、かなりしあわせかも。
完全な眠りに堕ちたのか背中の麻里が急に重くなった。その重力をしっかり受け止めながら、俺は夜空を見上げた。
さっきまで明るい光を放っていた月は、もう半分ほど雲のうしろに身を隠していた。なんとなく、その最後の光にあわてて願いをかけた。
『もし彼女が都会で道に迷ったら、その柔らかな光で彼女の足元を照らしてください。憧れだったこの靴に慣れなくて靴擦れとかできたら、いちばんに俺のところに帰ってこれるように。』
おぼろげな光が雲のうしろに消えて、吐いた白い息がはっきり見えた。すこし悩んだけど、やっぱりさっきの願い、取り下げようか。間に合わないかもしれないけど……。
『やっぱ今のなし! 麻里の眠りがなにものにも邪魔されませんように。』
彼女のちいさな寝息を耳元に感じながらそんなことを思って、満たされた気持ちで俺は夜空のしたをゆっくりと歩いた。
おわり。
あの夜のしたで待ち合わせ 友大ナビ @navi22
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