第3章
イツキちゃんねる
翌朝、俺は8時前に出社し、紙おむつとオナホを会社のごみ箱に放りこんだ。
自分の席に着き、水筒のハトムギ茶を飲んで汗が引くのを待つ。昨夜ツユソラの言っていたことが頭の中をめぐる。
「おはよう」
「おざまッス」
俺は頭をさげた。
「昨日はありがとね」
「いえ……」
俺はもう一度ハトムギ茶を飲んだ。
「ねえ――」
斎木さんが音もなく俺のそばに来た。「どうしたの? 暗い顔してるけど」
「いや、ちょっと……」
「わたしでよければ相談に乗るよ」
俺は彼女をじっと見つめた。スフィアのことをリアルで相談できるのはこの人しかいない。紙おむつの件まで知られているので、いまさら恥ずかしがることもないだろう。
「あの……カネ貸してもらえませんか」
「いくら?」
「100万円」
「は?」
「――を週5で」
「正気か?」
斎木さんは玄関の方をふりかえった。出社してきた課長に挨拶してまた俺の方を向く。
「それ、昨日会ったときに言わなかったってことは、あのあとスフィアで何かあった?」
「はい」
「スフィアの話ならスフィアで聞く。仕事終わったあとでね」
そう言って彼女は自分の席にもどっていった。
待ちあわせの場所は昨日と同じ公園だった。
シノはスクーターで走りながら、となりの車線を走る車に乗っている者、歩道を行く者たちを横目に見た。彼らはこのサブライム・スフィアに何を求めるのだろう。フレンドとの楽しいおしゃべりか、かわいいアバターとのふれあいか、リアルでは見られない景色か。
俺もそんなのがよかった。愛する人が手の届かない場所に行ってしまう悲しみや、そのあとに来る虚無でなく。
噴水の前でイツキさんが待っていた。シノを見てくすっと笑う。
「何ですか?」
「スフィアの中でもリアルと同じ暗い顔してるなって思って」
「AXTONのSABERは表情センサーが優秀ですからね」
シノは顔に手を当てた。イツキさんが噴水の縁に腰かける。
「それで、100万円ってのは何なの?」
「イツキさん、本気で人を好きになったことありますか?」
「
シノは彼女にツユソラとのことを語った。
100万円貯めて会いに行くと約束したところまで話すと、イツキさんはぼろぼろと涙をこぼした。
「ううっ……シノちゃんかわいそう……」
シノは彼女のとなりに座った。まさかこんなに感動を与えてしまうとは思ってもいなかった。だってよく考えたら、カネなくて風俗行けないって話だぞ?
「リアルで
「は~、やっててよかったサブライム・スフィア」
イツキさんは手で涙を拭った。
「それで、お金の当てあるの?」
「腎臓・戸籍・会社の重機・ピンピンしてる親の遺産……合法なのはひとつもないですね」
「シノちゃんも風俗やるとか」
「ボク、人見知りなんで無理です。VR風俗って見た目はどうとでもできるから、コミュ力がすべてなんですよ」
イツキさんが手を顎に当てる。
「いますぐ稼ぐってのは無理だけど、ワンチャン一攫千金って手段ならある」
「何ですか、その手段って」
「それはね……動画配信者になること」
「ん?」
シノは首を傾かしげた。
「わたし、動画配信やってるって昨日言ったよね? 動画の作り方はわかってるからさ、あとはわたしとシノちゃんで組んでフォロワー増やせば、広告代と投げ銭とサポーターの月々のサブスク代でガッポガッポよ。愛する彼女とも会えるようになる」
「そんなにうまくいきますかね……」
イツキさんは胸の前で大きな窓を開いた。
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元気印のストリーマー・イツキ@ItsukiXXXkyunが
いろんなことにチャレンジしていくチャンネルです。
週3回更新♪
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再生回数 4
キッツ……。
登場する数字すべてがキツい。再生数一桁の動画なんてはじめて見た。
「イツキさん、これはいつから……?」
「スフィアがはじまった2029年の夏からだから、もう4年くらいやってるね」
グッロ……。
斎木さんは、弊社ではいちおう若手のホープと見なされている。そんな人が世間から完全に無視されてるという事実を数字で見せられるのはグロすぎる。ことばの端々に見えるポップ感アピールもただただ悲しい。
「すぐそこにわたしのホームスペースがあって、そこで撮影してるんだけど、よかったら来ない?」
「いきなり撮るんですか?」
「ちょっと試しにやってみるだけ。嫌だったら公開はしないし。ね?」
「うーん……」
本当はこんなことやりたくない。有名になんてなりたくないし、誰かとつながりたくもないし、仕事以外で愛想笑いをするなんて勘弁してほしい。
だが俺にはカネが必要だ。トップストリーマーが会社社長並みに高収入だって話は聞いている。中堅以下の、聞いたこともないような連中でもサラリーマンの年収くらいは稼いでいるとか。もし会社勤めを続けながら副業でそれだけのカネをゲットできれば、ツユソラに会いに行ける。
「じゃあ行きます」
シノが言うと、イツキさんが肩をつかんで揺さぶってきた。
「シノちゃん、ありがとう。あなたがいてくれたら百人力だよ」
俺はぐらぐら揺れる視界の中で、リアルでもこのテンションで仕事してくれたら忠誠度MAXなんだけどな、なんてことを思った。
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