イツキ

 ヒタチ・ストリートをシノはスクーターで駆け抜けた。


 ファミレスから帰ってすぐ風呂に入ったので、俺の体からはボディーソープのいい香りがしている。「女の子の匂いがする」と評判のやつなので、シノになりきるのにぴったりだ。いまでは体洗ってるとき条件反射で勃起するくらいに仕上がっている。


 さいさんと待ちあわせしたのはノーマルルールクラスタにある大きな公園だった。2ALクラスタとちがって緑が多いのに驚かされる。公園の中を歩いている人がシュッとしてることも2ALとの相違点だ。あっちの住民みたいに地域によって性別が偏っていたり、噓みたいな爆乳だったり、露出度が高かったりはしない。服装も髪の色もリアルでいそうな感じだ。


 ただ、シノへのナンパメッセージはあっちと変わらず送られてくる。人間、一皮剝けばみんないっしょだということか。それなら俺は変に取り繕わず、自分の欲望を剝き出しにしている2ALの連中の方が好きだ。


 俺はWhodinyを起動し、あたりを見渡した。通常は隠されている名前スフイアタグとIDがアバターの頭上に表示される。




   お捜しのユーザーがヒットしました イツキ@ItsukiXXXkyun




 斎木さんは噴水の前に立っていた。


 噴水のモデリングはいまいちだ。飛び散る水が力士の撒く塩みたいだし、水面の波立つパターンは単調すぎる。


 斎木さんのアバターは悪くない。紺ブレの制服を着た女子高生風で、茶髪のポニーテールに黄色い髪留めがついている。顔立ちはキリッとして気が強そうで、同じ高校にいたら確実にクラスの女王で俺なんかじゃ口もきけない感じの女子だ。


 本当にこのアバターは悪くない――中の人を考慮に入れなければの話だが。やっぱリアルの知りあいとスフィアで会うのは考え物だ。


 シノが近づいていくと、斎木さんは手元の窓から顔をあげた。


「あ……あ……あ……」


 彼女は目を大きく見開き、かすれた声を漏らした。ボイチェンを嚙ませているのか、いつもより声が高い。


「お疲れさまです。遅れてすいません」


 シノはいつも俺がしているようにお辞儀した。


 斎木さんは身をわななかせている。とても不規則な震え方で、中の人が実際に震えているのではなく単なるエモートだったらたいしたものだな、と思った。


「そのアバターはひょっとして……」


「デザイン・モデリング、ともにぱおぱおさんの手による、世界でひとつだけの特注アバターです」


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああーッ!」


 彼女はガクガク震えながらその場にへたりこんだ。近くにいた鳩の群れが声に驚いて一斉に飛び立つ。


「斎木さんがぱおぱおさんのファンだっていうから、見てもらいたくて」


「ち、ちょっとその場でジャンプしてもらえる?」


 言われてシノは跳んでみせた。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああーッ!」


 斎木さんは天を仰ぐ。「その髪の揺れ、まさに名作SFADV『アストロノート・ハイウェイ』の主人公ハルノ・シオダのいわゆる『ハルノ揺れ』! 3Dモデルの弱点とされる髪の毛の表現をネクストレベルに引きあげ、世界中の度肝を抜いたぱおぱおさん独自のスタイル! まさかこんな至近距離で見られるとはァァァッ!」


 至近距離でクソデカ限界化ボイスを聞かされて、俺はHMDの下の耳に指をつっこんだ。


 斎木さんが起きあがり、名刺を差し出してきた。


「申し遅れました。イツキと申します」


 シノもメニューを開き、名刺を出す。このあたりのムーブは社会人として反射的に繰り出される。スフィアでいうトリガーみたいなものだ。


「シノと申します。頂戴します」




   イツキ@ItsukiXXXkyun

      サブライムチャット @ItsukiXXXkyun

      サブストリーム イツキちゃんねる




「『シノちゃん』って呼んでいい?」


「いいですよ。ボクは『斎木さん』でいいですか?」


「そこは『イツキ』にしてよ……」


「じゃあ『イツキ』で」


 斎木さんあらためイツキさんはシノのまわりをまわって、さまざまな角度から眺めた。


「すっご。マジカワイイ。よく作ってもらえたね」


「ぱおぱおさんがSTUDIO ONE辞めた直後にアバター作成お願いしたんですよ。そしたら『ふだん個人の依頼は受けていませんが、フリーになって最初にいただいたオファーなので記念にやらせてもらいます』って言ってくれて」


「うらやま。ちなみにおいくら?」


「新車の軽が買えるくらいですね」


「はあ? っす」


「半年に一度の新衣装と年一の本体アップデートつきです」


「それだけついてそのお値段? 実質無料だろそれ」


 ふつうアバターにそれだけのカネをブッコんだと聞けばドン引きするものだろうが、斎木さんはむしろうらやんでいる。なかなか見込みがあると言っていい。


「実はわたしのアバターもぱおぱおさんデザインなんだよね」


「言われてみると、ぱおぱおさんっぽい顔してますね」


「でも別の人がモデリングした量産型。いちおう限定モデルだけど」


 イツキさんは髪を搔きあげる。「わたし、むかしからかっこいい女の子に憧れてたんだ。このアバターはわたしのなりたいイメージにぴったりだった。スフィアは夢を実現できる世界だよね」


「確かにカワイイってよりかっこいい系ですね。リアルの斎木さんもかっこいいと思いますけど」


「えっ?」


 イツキさんが頰に手を当て、くねくねする。「それシノちゃんの声でもう一回言ってもらえる?」


「斎木さんはかっこいいです。音もなくボクの背後に来るところとか」


「車椅子の機能だそれ」


 立ち話していると鬼のようにメッセージが来る。イツキさんの方にも来ているようだ。とびきりの美少女2人が並んでいるのだから無理もない。


「記念にスクショ撮りませんか?」


「いいねえ」


 イツキさんがシノに寄り添う。


「そういえば、移動はどうしてるんですか?」


「車椅子の背もたれに感圧式のセンサーつけてる。肩をつけたり離したりして動かす感じ。細かい動きはゲーミンググローブのボタンで補う」


「ゲーマーでもそれやってる人いますね。足でやるタイプより正確だっていって」


「腕の振りとかトリガーでやってくれるから、けっこう自然だよ」


「いいですね。ボク立ちっぱなんで疲れるんですよ」


「座った方が絶対いいよ」


 カメラアプリの窓を開き、自撮りモードにする。「ママ」を同じくするふたりが肩を並べている。うつくしい光景だ。


 シノはイツキさんをハグした。かわいいアバターがいたら抱きついてしまうのは一種のトリガーモーションだ。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああーッ!」


 イツキさんが声をあげる。「いまわたしはぱおぱおさんが作った女の子に抱かれている! てぇてぇ! てぇてすぎる!」


 マジうるせえなこの人。これ録音しておいて、もし今後社内で対立することがあったら音源流出させよう。


 撮影を終えると、イツキさんは落ち着きを取りもどした。


「シノちゃん、このあと予定ある?」


「ちょっと人と会う約束があって……」


「そっか。また会おうね」


「今度は2ALに来てくださいよ」


「それはヤダ」


 イツキさんに別れを告げ、シノは公園をあとにした。スクーターで走りながら、ギャルリー・ヴィヴィエンヌの予約を取る。


 シノとイツキさんのツーショットを見ているうちにムラムラしてきた。給料日までは我慢すると心に決めていたが、これが最後の一回だ。これを機にしばらく行くのをやめる。


 ギャルリー・ヴィヴィエンヌのバウンサーとは顔なじみになったので、ボディチェックもなく余裕の顔パスだ。


 待合室にツユソラがおりてくると、シノは彼女に抱きついた。


「今日はめちゃくちゃイカせちゃうぞ♡」


 そう言いながら結局めちゃくちゃイカされた。


「あのねシノ、話があるんだけど」


「何?」


 事が果てたあとでシノはベッドの上でツユソラを抱き寄せた。ツユソラはシノの上に乗る。おっぱいがふたりの間に挟まり、柔らかく潰れる。


「わたし今度お店移ることになった」


「そうなんだ。そっちでもまた指名するからね」


 毎日のように通ううち、彼女の口からプライベートの話を聞かされるようになった。リアルでは大学生で、家があまり裕福ではないらしく、学費や生活費を自分で稼がなくてはならないのだという。移籍によってすこしでも彼女の収入が増えるのならいいことだ。


「それでね、今度のとこ、ちょっと高いんだ」


っておいくら?」


「エスコートサービスだから、デートとかしてリアルタイム4時間で100万円」


「ヒャクゥ!?」


 俺は飲みかけていたハイドレーションの水を吹いた。


「実家の商売がうまくいってないみたいで……だからちょっとでも仕送り増やせればいいなって」


「ツユソラはえらいね」


 シノは彼女の頰を撫で、キスをした。「ボク、お金貯めて会いに行くよ。約束」


「ありがとう」


 彼女はシノの胸に顔を埋める。




 ログアウトしたのち、俺は床にぶちまけられた水を見つめ、泣いた。

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