斎木みやび

 さいさんが指定したのは、国道沿いにあるファミレス「ちびっこカウボーイ」だった。全国展開している店なのかと子供の頃は思っていたが、実際は北関東限定のローカルチェーンだ。


 先に行ってろと言われたので、俺は駐車場の隅に自転車を停めて待っていた。


 斎木さんの車が店の正面に停まった。


「ごめんね。こっちでお店を決めちゃって」


「全然だいじょうぶです」


「ここ車椅子用の駐車スペースがあるからさ」


「ああ、なるほど」


 店内に入ると、彼女は店員に椅子をひとつ片づけてもらってテーブルに着いた。


狩野かのうくん、ここ来たことある?」


「むかし何回か。実家暮らしなんで、あんま外食しないんですよね」


「わたしも実家。実家いいよね。お金貯まるでしょ?」


「いやあ、それがいろいろと」


 注文を済ませ、ドリンクバーに向かう。


「おおっ、ここのドリンクバー、ハトムギ茶が置いてありますよ! やっぱ頼れるのは地元の店だな。めしログ★5入れとこう」


「評価基準そこなのか……」


 斎木さんはコーラの入ったグラスを片手で持ち、もう一方の手で左右の車輪を交互にまわして進んでいった。


「それ持ちましょうか?」


「だいじょうぶ」


 こういうの、慣れてないからどこまで手助けしていいのかわからない。


 斎木さんはテーブルの前で止まって、俺が奥の席に着くために通路を作ってくれた。


 椅子に腰をおろし、ハトムギ茶を飲む。一日の仕事とここまでのチャリダッシュで疲れた体に水分と各種ビタミン・ミネラルが沁みていく。


「狩野くんはいっつも自転車?」


「はい。鍛えてるので」


「何かスポーツやってんの?」


「いえ、特には」


 本当はVRのために筋トレしている。だから体力がないと疲れるのだ。最近では、ダンサーの人が公開している動画を観てインナーマッスルを鍛えている。姿勢や動作をうつくしくする効果があるという。世界一の美少女になるのも楽じゃない。


 注文した和風おろしハンバーグセットが運ばれてきた。斎木さんのはイタリアンハンバーグセットだ。食ってみると、たまの外食なのでめちゃめちゃ美味しく感じられる。ハンバーグが肉々しくてジューシーだ。祖母が作る玉ねぎだらけで肉汁逃げまくりのハンバーグとはずいぶんちがう。


 しばしふたりとも無言で食事をする。職場で向かいあってふたりきりなんて状況なら死ぬほど気まずいが、食い物があると間を持たせることができていい。


「異動してきてもうすぐ2ヶ月だけど、こうやって話す機会なかったね」


 斎木さんが口の端から垂れたチーズの糸をペーパーナプキンで拭った。


「そうですね」


「仕事はどう?」


「まあふつうです」


「課長は?」


「課長ですか? うーん……ぼく、ここだけの話、あの人苦手なんですよね。ちょっと堅苦しいじゃないですか。作業服の下にワイシャツ着ろってうるさいし」


「元は市役所のお役人だからね。あの年で頭切り換えらんないでしょ。まあ適当に受け流しておきなよ」


 彼女に対しても俺は堅苦しくてとっつきにくい印象を持っていたのだが、意外と話しやすい。課長とくらべて年齢が近いからだろうか。


 メシを食い終わってドリンクバーでおかわりを取ってきた。


「狩野くんさ――」


 斎木さんがコーラを一口飲んで顔をしかめた。「紙おむつ、何使ってるの?」


「はい?」


 俺はハトムギ茶の入ったグラスを置いた。


「わたしはステップのニュースリムアンドソフトを愛用してる。内腿のギャザーが革新的」


「はあ……」


「狩野くんは?」


「ぼくは……ユニティのうす型軽快ストレッチってやつです」


「ああ、あれね。あれもけっこういいね。立ってやる分にはそっちの方がいいかな」


「……これ何の話ですか?」


 俺が尋ねると、彼女は鼻で笑った。


「決まってんじゃん。VRだよ」


「えっ……?」


 俺は彼女の顔をまじまじと見てしまった。


「もし狩野くんが病気とかで紙おむつ使ってるなら、ふつうに家で捨てるよね。そうじゃないってことは、家族に言えない趣味か何かだ。紙おむつする趣味といえばVR。ガチ勢は紙おむつするのが常識だから。狩野くんが赤ちゃんプレイガチ勢の可能性もあるけど」


「詳しいですね。もしや斎木さんも……?」


「けっこう長いよ。サブライム・スフィアがはじまったときからやってる」


 まさかの発見。オフ会とかしたことないし、スフィアやってる人をリアルで見るのははじめてだ。


「狩野くんもスフィア?」


「はい」


「スフィアで何やってるの?」


「それは……」


 お仲間も一枚岩ではない。スフィアでは何でもできるから、やることは人それぞれだ。人には言えないことをやるためにインする者もいる――そう、たとえば俺のように。ここはうまくごまかさなくては。


「実は……お父さんのやっていた美容室が破産して一家で夜逃げした初恋の人をさがしてまして……。あそこなら見つかるかな、と」


「かえって茨の道だろそれ」


「斎木さんはスフィアで何してるんですか」


「わたしは動画配信してる」


「へえ。いいッスね」


 俺はそういったことに興味を持てない。自己顕示欲とか何かを表現したいという気持ちが薄いのだ。


 ていうか、斎木さんが動画配信やってるっていうのが意外だった。地味で真面目で休日は読書をして過ごしますという感じの人だと思ってたのに。


 スフィアでは人の隠れた一面があらわになる。だからリアルでスフィアの話はしない方が賢明だ。


「ちょっとトイレ行ってくる」


 斎木さんが鞄から小さなポーチを出して膝に乗せ、去っていった。俺はそのポーチに目を留めた。白地に赤い魚が描かれている。


 デザートに注文したカスタードプリンを食べていると、彼女がもどってきた。


「斎木さん、そのポーチ――」


「これ?」


 彼女はわずかにそれを掲げ、すぐ鞄にしまった。「ぱおぱおさんっていうアーティストのグッズ。知ってる?」


「知ってます。ていうか、それ持ってます」


「えっ?」


 彼女は怪訝そうな顔をする。「でもこれ、この間ぱおぱおさんが上海でやった個展の限定グッズだよ? 公式ストアでも瞬殺だったし」


「ぼく、そのエキシのレセプションに誘ってもらったんですよ。そのときにもらいました」


 俺はスマホに写真を表示させて彼女に差し出した。


「これ、狩野くんのとなりにいるの、ぱおぱおさん!? 本物!?」


「あんまり長い時間お話しできなかったんですけどね。知ってます? 向こうじゃ『泡泡老師パオパオラオシー』って呼ばれてるんですよ」


「あっ……ひょっとして先月有休取ったのって――」


「そういうのやめてもらえます? 有休取得の理由訊くのとか、パワハラなんで」


 嫉妬か何かでフレキシブル液晶を引き裂かれる恐れがあるので、俺はスマホを奪い取り、折りたたんでポケットにしまった。


 斎木さんがこちらの顔色をうかがうような目で見てくる。


「狩野くんって……ぱおぱおさんとどういうお知りあい?」


「以前、個人で仕事を依頼したんですよ」


「そういうの受けてくれるんだね。知らなかった」


「斎木さんもぱおぱおさんのファンなんですか?」


「最近はすっかりアーティストって感じだけど、ゲーム会社でキャラデザと3Dモデリングやってたときからずっと好き。家に複製原画を2枚飾ってる。グッズも、最初の個展のアクリルフィギュアと――」


 受講しただけですべてがうまくいくようになるセミナーの話かってくらい彼女は熱っぽく語る。


 俺の中から、同じぱおぱおファンとして世界にひとつしかない最高の作品を見せてあげたいという仲間意識と、この先輩にいっぺんマウント取ってやりてえなあという平社員社畜根性が、源は別にしながらひとつの大きな流れとなってあふれ出た。


「斎木さん、このあとスフィアで会えませんか?」

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