第19話 終焉

 愛斗と長谷部医院長が話をしている頃、病室では、尚子の容態が著しく悪化していた。肺の患部から欠け落ちたがん細胞は血管を通り脳へと到達し、根を下ろすと瞬く間に増殖を始めていた。当初の診断より明らかに早く進行していたのだ。


 愛斗が病室を出てしばらくすると、尚子は急激にめまいを覚え、ベッドに横になっていた。

「愛くん…私…少し前から酷く頭が痛いの…」

 尚子が“愛”に訴えると

“愛”は小さなガラスの薬呑みを尚子の口にあてがい水を飲ませてから、センサーの付いた両手を尚子の頭を包み込むように当てた。


『尚子さん…尚子さんの身体はもうボロボロです…命の火が消えるまで、後わずかしかありません。とても悲しいです』


「そう…愛くん、今まで本当にありがとう…私やっと、あの人の元に行けるのね…」


『尚子さん!今から言う僕の話をよく聞いて下さい』

『あの日、尚子さんが車にはねられたあの日です…覚えていますか?…あの日…僕が犯人に踏み付けられ壊された時、僕はいち早く介助機器を離れ避難する事に成功しました。…尚子さん、あなたにも同じ事をしてもらいたいのです!限界になった身体を抜け、こちらの世界へ…!』


 尚子は頭の痛みも忘れる程に驚き、目を丸くし“愛”を見た。

「人間の私が、そんな事出来るの?!それに…そんな事出来たとして、…それで生きているって言えるの?」


『僕は確かに生きています!前にも増して、生きている感じがします!』


「いいえ…愛くん、私は亡くなった主人の元に行くわ…それだけを思って生きてきたのよ?」


 その時、“愛”の声が変わった。

『尚子、そうだ、俺の元へ来てくれ!』

 尚子は、はっとして“愛”を見上げた

「その声は…あなた…あなたなのね!」

その声は尚子の夫、本条直人そのものだった。

『ああ!迎えにきたよ、時間が無い…脳全体にがん細胞が散らばっているんだ!意識を集中して!今から君をダウンロードする』

「はっ…うん!分かったわ…あなた!」

『尚子さん、今から脳情報の読み取りをしますよ』今度は“愛”の声

 尚子は目を閉じ意識を集中した。夫の元に行くのだと…その思いが脳波を活性化させ“愛”はそれを読み取り、処理され、ボディーの通信機を介してスパーコンピュータ“F”に送信を始めた。その間にも、尚子の脳血管は流れてきたがん細胞の為に梗塞こうそくを始める。脳の記憶データは膨大である。


『ダメだ、時間が無さ過ぎる!』


 その時、轟音が病室の窓を震わせた。あのAIロボット、マリとタケルだった。二体は窓を開け飛び込んできた。


『待たせたわね!ちゃんとSOS受信したわよ!』マリが“愛”ににっこりと微笑み、尚子の頭に手をかざした。


 続いてタケルも手を翳す。『毎秒5億回。情報処理スピードなら負けませんよ』

 

 ICU(ベッドサイドモニター)が警報を鳴らしだした。

 ビビービビービビー

『心室細動…心臓が止まる!もう少し、頑張って!尚子さん!』


 

 警報の知らせを聞いた長谷部医院長と愛斗が、看護師と共に病室に駆け込んできた。


「どうしたんだ!何をしているんだ?!」


 3体のロボットが尚子に手を翳しているのを見て、長谷部医院長は声を荒げた。そして、ICUの異常波形を確認すると、部屋の隅に設置されたAED(自動体外式除細動器)の乗ったワゴンを引っ張り出して、看護師に使用の指示をした。


『止めてください、それを使うと尚子さんの脳情報が壊れてしまいます!』“愛”が叫んだ。


 その時、呆然と立っていた愛斗が我に返ったように歩み出て、ベッドを背に両腕を広げた。そして、顔を横に振って看護師が用意しかけていたAEDの使用を制止した。


『ありがとう…愛斗』

 愛斗は“愛”の方から父親の声が聞こえたような気がした…が、警報の音で定かには思えなかった。


 ピィー

 その時、ICUから尚子の心停止を告げる警報が鳴り響いた。3体のAIロボットは、ほぼそれと同時に、手を翳すのを止め後ろに下がった。


 長谷部医院長は厳しい面持ちで愛斗と3体のAIロボットを見据えると、指で尚子のまぶたを開き瞳にペンライトの光を揺らして当てた。


「午後3時55分…ご臨終です」


「母さん!」愛斗はベッドの脇に膝を着き、まだ温かい尚子の手を握った。


「お疲れ様…ありがとうね…母さん」


 マリとタケルは、それぞれ愛斗に向かいと頭を下げると

『愛斗様…ご愁傷様です』と言い病室を静かに出ていった。


“愛”はバッテリーが完全に底をつき、立ったままで動かなくなっていた。

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