第18話 父の想い
検査の翌日より、尚子の抗癌剤と放射線による治療が開始された。
医師は、病変が広範囲に及ぶ為、それ程の効果は期待できないという。
治療開始から2週間を過ぎると、尚子はひどい吐き気が頻繁に起こり、髪も抜け始めた。担当医からは抗癌剤の副作用であると告げられた。
“愛”は尚子の身の周りの世話や、話し相手をしつつ、遠隔操作で家での介護ロボットの製造と、遠い戦場で戦うアメリカ軍の戦闘ロボットの操作をしていた。
『尚子さん…今日の夕食は何でしょうね…尚子さんの好きな物だと良いですね?』
「愛くん私、気持ちが悪くて、あまり食欲がでないの」
『そうですか…でも、無理しない程度に食べるようにして下さい。僕も一緒に、食べられると良いのですが…代りにその時に充電をしますね?』
「ありがとう、愛くん…」
『いいえ、尚子さん…僕がそうしたいんです』
数日後の朝
『尚子さん…お目覚めですか?今日は、体温、血圧、心拍数共に良好です』“愛”はもう尚子に正確なバイタルの数値を告げなくなっていた。それは“愛”の思い遣りであった。
「ありがとう、愛くん…今朝は気分も良いみたい」
珍しく朝食を平らげた尚子は、ベッドを降り窓辺から外を眺めた。
広がる街の風景は、尚子がこの病院に運び込まれた時に降った大雪を所々に残して、眩しい朝日と、雪解けの水がそれを反射しキラキラ眩しく光っていた。
「きれい…」尚子は瞳をキラキラさせてうっとりその景色を眺めていた。
コンコンコン…と、ノックする音の直後、ドアが開く方に尚子が振り向き、目を丸くした。そこに愛斗が立っていたからだ。
「母さん…」
「あ!…愛斗…あなた仕事は?」
「ああ、大丈夫だよ、それより具合はどうなの?横になってなくて大丈夫なの?」
「ありがとう、この通りピンピンしているわよ…愛斗も元気そうね!しっかりやっている?」
「ああ…スイスでも少子高齢化が深刻で、AI介助機器の普及を急いでいる所だよ…しかし母さん、元気そうで安心したよ」
実際は、かなり痩せ髪も抜け落ちていたが、愛斗はそれには触れないように敢えて安堵の表情を見せ頷いた。
そして、“愛”の方に顔を向け
「愛くん、いつも母をありがとう…凄く立派な身体が出来たね!後でゆっくり見せてくれるかい?」と声をかけた。
『もちろんです!尚子さんとの力作ですから…』そう言い、手足を動かして見せた。
愛斗は嬉しそうに“愛”と尚子を交互に見て微笑み
「さて、ナースステーションに挨拶に行ってくるよ…担当医の先生にも会っておきたいし」と病室を出た。
愛斗がナースステーションに挨拶に行くと、ちょうど尚子の担当医師も在室していた。気が付いた看護師がすぐに担当医師を呼び、愛斗を紹介してくれたのである。
「母が大変お世話になっております」
愛斗が担当医に一礼すると
「お話は聞いていますよ…遠い所から帰られて、さぞお疲れでしょう…お時間さえ宜しければ、私の部屋でコーヒーでも飲みながら話しませんか?」と言った。
はっと思い愛斗は担当医師のネームプレートを見た[医院長 長谷部 耕一]
「医院長先生が直々に診て下さっているのですか!?」
「尚子さんは国家プロジェクトの患者さんですから、当院も全力で治療に当たらせて頂いていますよ。さぁ、行きましょう!」
長谷部医院長に促されるまま、愛斗は病院の最上階にある医院長室へ向かった。
(国家プロジェクト…か…。政府は民間企業の俺達に、資金的援助も無くAI介護ロボットのみならず軍用ロボットの作製まで押し付けて…)そう思いつつ愛斗はエレベーターの8Fまで移り変わる表示パネルを見上げていた。
エレベーターのドアが開くと、通路の奥に非常口の緑の光と、正面には医院長室、その隣に給湯室、シャワールームとドアが並んでいた。
「さ、遠慮せずに…どうぞ」
医院長室のドアを入ると大きな窓を背にしたデスクと、その前にはあめ色のアンティークなソファーが置かれていた。
向かい合わせでソファーに掛けると、秘書らしきスーツ姿の女性がコーヒーを運んで来た。
「お母様の病状ですが…」長谷部医院長が口重く言いかけた。
「はい、介護ロボットからメールで詳細は受け取りました」
「私も出来うる治療は全てさせて頂くつもりですが…」
「ありがとうございます、介護ロボットの全身スキャンからも、病状の深刻さは明らかですから」
「今の所、抗がん剤が効いているようですので、放射線も並行して使用しています」
「そうですか…どうぞ宜しくお願いします」
「ところで、あの愛くん…彼は素晴らしいロボットですね!貴方の会社で開発されたとお聞きしましたが、AIがあれ程進化しているとは驚きですよ」長谷部医院長は話題を変えた。
「実はあのAIは、亡き父が開発したものなんです」
愛斗は軽く会釈をし、コーヒーカップを口に運んだ。
「あっ…!科学誌にあったAIと人類の未来って論文!本条直人氏は、あなたのお父様だったのですか!?」
「はい、父の論文です。父は私の幼い頃から仕事で家には殆ど居なく、この仕事に没頭していました。私は大学を卒業後、父がそこまで没頭する仕事がどんなものなのか、その会社に半ば乗り込む形で入社したんです。父は社内SE(システムエンジニア)に従事しながら、同時にAI研究室を立ち上げていました」
愛斗の話を長谷部医院長は時折コーヒーを飲みつつ、じっと興味深げに聞いている。
「父からは上司として色々な事を学びました。しかし、父が開発したAIシステムについての事だけは詳しくは教えてもらえなかったんです」
「え?じゃあ、このAIの内容を貴方は知らないという事なんですか?」
「はい、このAIのプログラムファイルは開けない部分が殆どで、その他も複雑に暗号化されていてプログラムの内容を理解する事が出来なくなっているんです…誰も知り得ないんです。仕方なく、量産にはこのプログラムファイルをそのままコピーし移植するしかありませんでした」
愛斗は一瞬、唇を噛むと続けた。
「亡くなる前になって、父はこのAIを自分のロジック、つまり父の脳情報を元に作り上げたと初めて告げました。父が亡くなった後、この最も人に近いAIに、コミュニケーションと介護の学習をさせ、介護AIロボットのプロジェクトを起ち上げました。それは父の遺言でもあったからです。でも…いったい、このAIのどの辺りが父のロジックなのか、私には全く解らないんです。父の考え方や、性質を感じさせる部分が全く無いに等しくて…」軽くため息混じりで愛斗が言った。
「しかしあのAIロボットは、お母様とは素晴らしい関係を築いているようですよ…ナースから話を聞いて、とても感心していたんですよ?」
長谷部医院長は、看護師から聞いた一連の話を愛斗に話して聞かせた。
「そうですか…そんなことが…」
「ですね、彼はもうお母様にとって最高の伴侶ですよ」
「そう言えば…父は亡くなる直前に、とても奇妙な事を言い残していたんです…今思えば、“愛くん”の事だったのでしょうか…?」
「お前達にとって俺は家庭を顧みない父親に見えていた事だろう…でも、俺はお前や母さんの事だけを思い仕事をしてきた…この命が尽きても、お前や母さんに何かあったら、必ず助けに来る…と、念押しするように何度も話していました」
「命が尽きても…助けに来る?…と?」
長谷部医院長は、眉間にシワを寄せ深く思考を廻らせた。
「予言めいた言葉ですね…私には何か深い意味がありそうにも思えます」
そう言い煙草に火を着けた。
「父に替わって“愛くん”が母を助けると言う事なのか…?今は、そう思えています」
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