第10話 リベンジ

 季節は暑かった夏を過ぎ、秋の気配。


 尚子は、ロボットアームの部品の全てを作り上げていた。


『尚子さん、素晴らしいです!予定の3か月も前に、部品を全て作製完了です!本当にお疲れ様です!』


「後は組み立てだけね!」


『そうなのですが、尚子さん、朝の作業時間以外の、趣味の時間にもやっていましたよね…』


「あはっ♪完全に趣味になっていたわね」


『無理にならなければ、それはそれで良いのですが…』


『ところで尚子さん、今日は敬老の日ですね…近くの文化会館で催しがあるようです。招待状が来ていましたよ?気分転換に行ってみてはどうでしょう』


「そうね〜行ってみようかしら」


 観客としては初めて行く敬老会である。


 三十数年前に、この場所に家族4人で引っ越して来た当初の尚子は、地域の催しにも積極的に参加していた。が、ある事を堺に一切の催しには行かなくなっていた。


 近所に住む同年代の女性、阿佐美あさみが原因であった。最初の頃は、仲良く交流していたが、誰とでも明るく前向きに接する尚子に嫉妬し、段々と陰湿な嫌がらせをするようになったのである。


 あの敬老の日、尚子は地域のお年寄りに、ピアノ演奏を披露する事になっていた。が、それは叶わなかった…阿佐美が午前中の演奏を、午後の最後と偽って教えた為に…。

 尚子は子供の頃ピアノを習い、コンクールに入賞するほどの腕前であった。しかし、長いブランクがある事と家にピアノも無く、近くの公民館でピアノを借り、敬老の日の為に毎日練習をしていたのである。阿佐美はその光景をホールの入り口から見ていて、美しい音色を奏でる尚子に嫉妬心を募らせていた。


 そして、敬老の日の前日…

「尚子さ〜ん、あなたのピアノ演奏、午後の大トリになったから〜!プロぶって早入りするんじゃないわよ〜!5時ね〜!」練習を終え帰ろうとする尚子に念を押すように言ったのである。


 それでも尚子は、時間に遅れてはならないと、夕飯を早めに作り、義母の世話を当時高校生だった愛斗に頼むと、1時間前の4時には会場に着いていた。しかし、着いた会場のロビーは、すでに帰るお年寄り達で一杯になっていたのである。誘導の係員に聞くと、今、丁度終ったところだという。尚子はその場に、茫然と立ち尽くすより他、成す術はなかった。


 後で実行委員の所へ行って、遅れた経緯を説明して謝っても、事務的な返事しか返ってはこなかった。


「午前の部、最後の予定でしたね。来られなかったので、昼食を繰り上げましたから…大丈夫ですよ」と。


 その後、尚子は地域の催しには、一切参加しなくなった。

 この誰にも話せなかった出来事を、尚子は初めて“愛”に打ち明けた。


『そんな事があったのですか…辛かったでしょうね…尚子さん』


「昔の事だから、もう良いの…実行委員会に確認しなかった私も悪かったの」


『しかし、ひどく腹が立ちます。僕には腹はありませんが、頭に来ます…頭も無いですが』


「ありがとう愛くん、でも、今日は観客の方だから、きっと意地悪はされないわ」


『そうですね!いざとなったら、僕も付いていますから』


 尚子は、薄化粧とほんの少しオシャレをし、会場になっている文化会館へ向かった。会場はすでに、沢山のお年寄り達で賑わっていた。100席余りの小ホールは、ほぼ満席である。


『尚子さん、招待状の席番は一番前の特等席ですよ』 尚子が指定の席に着くと、程なく地域のお偉方の挨拶が始まった。長い世相話の終わりに…

「…と、いう事で、今日は心ゆくまで楽しんで頂き、より健康で長生きをして頂きたいと存じます。簡単ではございますが、ご挨拶に代えさせて頂きます」とくくった。


『挨拶は、こんにちは…だけで良くないですか?』と“愛”がブラックジョークを言うと、尚子は下を向いて笑いをこらえた。


 催しは、小学生の合唱に始まり、幼稚園児の踊りや、若手漫才師のコントなど、ホールは大いに盛り上がった。お昼の食事休憩を挟み、午後も様々な出し物が披露された。


 終了時間近くになり、数席隣りの空いていた席にそそくさと誰かが座った。


 それは、阿佐美だった。阿佐美は尚子が座っているのを見付けると、その隣に座る人を押し退けるように座って声を掛けてきた。


「あら〜、お久しぶりですこと」


「はい、ご無沙汰しております」

 尚子が応えると、こう続けた。

「この前列に座った人は、閉会の時お礼の挨拶をする決まりなのよ?あなた当然準備して来ているわよね?」


「はあ?そんな事、聞いてないですよ!?」 尚子は唖然とした。

 どうやら阿佐美は自分の役目を、尚子に振ってきているようである。


「私も一緒に上がってあげるから、あなた挨拶しなさいよ!」


 会場の最前列で問答して、周りの人達にも迷惑になっていると察し、尚子は腑に落ちないながらも了承することにした。


「はい、分かりました。招待して下さった感謝の気持ちもありますし、喜んでお受けします」



 地元高校の吹奏楽部の演奏が披露され、これで全てのプログラムが終了した。


 そして、司会進行の涼しげな女性の声が、閉会を告げる。

「皆さん、本当にお疲れ様でした…これで〔ありがとう、おじいちゃん、おばあちゃん、癒やしの敬老会〕の全ての出し物が終了しました。ここで最後に、来て頂いた沢山のお年寄りの方々を代表して、ご挨拶を頂戴いたします」


 壇上に尚子と阿佐美が上がって来た…しかし、尚子がマイクの前に立つと、なんと阿佐美はさっさとステージを降りて行ってしまったのだ。

(えっ!? 話が違うじゃない!)

 だが、会場の視線は尚子に集中している。仕方がないと尚子は腹を決め、マイクに向き直った。阿佐美は、ステージの下から斜に構え見上げている。


『尚子さん、落ち着いていきましょう』 “愛”が短く言葉をかけた。

 尚子はこくりと頷くと、一礼をして挨拶を始めた。


「本日は、本当に素晴らしい出し物を、沢山見せて頂きました。終った今でも、感動の余韻に胸が震えています!…出し物をされた方々をはじめ、実行委員のボランティアの方々には、今日の為に、お忙しい時間をいて、さぞや練習や準備が大変だった事とお察し申し上げます。今一度、代表させていただき、深く厚く感謝申し上げます。 最後に、私共高齢者も高齢という事に甘んじる事なく、皆さんと共に地域に…未来に、貢献したいと存じておりますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。…今日は本当に…本当にありがとうございました!」


 尚子は演壇から一歩下がると、深々とお辞儀をした。


『素晴らしいです!尚子さん…開会の時の誰かさんとは、雲泥の差ですよ』

 囁くように“愛”が絶賛した。


 会場は盛大な拍手に包まれた。


 ステージの下から阿佐美が妬ましげに見上げている。 そして次の瞬間、司会の女性からマイクを奪うと、鳴り止まない拍手を制止するような濁声で言った。



「ここでお礼の印として、壇上の尚子さんからピアノの演奏をお届け致します」


 尚子は、またしてもの突然の振りに唖然とした…だが、尚子は瞬時に気持ちを切り替え、会場に向け一礼すると、ステージ奥のグランドピアノに向かった。


 阿佐美がニヤリと笑う。


 グランドピアノの前に立ち、鍵盤の扉を開けようとした尚子は焦った…扉が開かないのだ。「鍵が掛かっているわ!どうしよう!」


 阿佐美はピアノの鍵盤の扉に鍵がかかっていることを知っていたのだ。


『尚子さん、落ち着いて…僕に考えがあります。演壇に戻って下さい』


 尚子は“愛”に従い静かに演壇に戻った。

『僕がホログラムでピアノの鍵盤を映し出しますから、それを弾いて下さい。以前興味があってダウンロードした、ピアノ演奏アプリのデータを拝借します。』

 尚子の目線よりやや高く、“愛”から照射されたレーザーで鍵盤が映し出された。


 尚子は静かに深呼吸すると、両腕を鍵盤に向け掲げた。


 ホログラムの鍵盤を恐る恐るタッチすると、会場のスピーカーから、タ〜ン♪と、心地の良い和音が響き渡った。


『会場のFMマイクの電波もジャックさせてもらっちゃいました〜!』尚子の耳で“愛”が得意げに言った。


「愛くん、ありがとう!私、頑張って弾くわ…あの日、弾けなかった曲…ショパンの仔犬のワルツ」


 尚子は一度だけ軽く目を閉じると、まるで指揮者がオーケストラに合図を送るように両手を振りかぶり演奏を始めた。会場には小気味よく美しい旋律が流れ始めた。

 尚子の左右に鍵盤を弾く手とリズムを取る身体が、まるで舞っているように見え、とても60代とは思えぬ美しさである。


 “愛”も調子に乗り、尚子が弾いた鍵盤に波紋のエフェクトを入れたり、ステージ上に走り回る仔犬のホログラムを映したりして演出。 それはまさに幻想の世界を見るようであった。


 観客席のある者は驚き身を乗り出し目を見開き、またある者はリズムに乗り身体を揺らし、中には感動で泣いている者もいる。


 最後の音を弾き終わると、尚子は腕を上げたまま、目を閉じた…あの日、成しえなかった務めをようやく成し遂げたひとしおの思いからであった。


 音の響きが終わる静寂を待たずに、会場には万雷の拍手が湧き起こった。

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