第6話 再会そして別れ

 尚子が意識を回復して一週間、精密検査とリハビリを終え、今日は退院の日を迎えていた。 東京に戻っていた愛斗あいとも、退院の手助けの為、福井市の病院を訪れていた。


「かあさん、ようやく退院だね…良かったね、おめでとう」


「ありがとう愛斗」

 精密検査の結果にも異常はなく、擦り傷も癒えた尚子だったが、沈んだ面持ちは変わらない。それは、砕けてしまったAI介助機器“愛”の為の傷心である事は明らかだった。


「元気出してよ、かあさん!今日は新しい機器持ってきたから」

 愛斗が箱を差し出す。


「愛斗、違うのよ…それじゃあ、ダメなのよ」 尚子は愛斗が会社から持って来た新しいAI介助機器を受け取ろうとはしなかった。


 ナースステーションで挨拶を済ませると、二人は待たせていたタクシーで帰路についた。 「帰ったら、愛くんのお墓作ってあげなきゃ…」 尚子はバックから、ビニール袋に入った粉々の機器を両手に乗せ、寂しそうに呟いた。


「AIレス症候群…?」

 これも、AI機器開発にあたっての新たな課題になって行くと愛斗は思った。使用しているAIと長く接し会話を重ね疑似的にしろ信頼関係を築くと、それを無くした時に受ける心の痛手は対人間のそれと変わりないものとなるのだと…。


 二人は家に着くと、静まり返った居間でテレビを点け、畳の上に座り込んだ。


 愛斗が、ふと部屋の隅の机にパソコンを見つけ…

「かあさん、パソコン始めたの?」

 そう言うと、

「あ、それ愛くんに勧められたの…ボケ防止にもなるからって…。キーボード打つのも速くなったのよ〜」 尚子は愛斗にそれを見せようと電源を入れた。


「へぇ〜そうなんだ、かあさん、凄いね」

 起動画面と尚子の顔を交互に見ながら、愛斗がにっこり微笑んだ。


 尚子は手なれた操作でトップ画面を出すと

「ほら、写真もちゃんと保存しているのよ」と、画像の入ったフォルダーを開いた。

「愛くんに教えてもらいながら、ホームページも立ち上げたのよ?」

 色々見せている内に、尚子は並んでいるアプリのアイコンにいつもと違う物があるのに気が付いた。

「ん?何かしら、このアイコン…」

 尚子は首を傾げながら、その見慣れないアイコンをダブルクリックした。


 フッと真っ暗になった画面に音声波形が青く表示された。

『お久しぶりです、尚子さん!見付けてくれて嬉しいです!』 それはまさしく“愛”の声であった。


「愛くん…!え〜!愛くんなの?本当に愛くん!?」 尚子はびっくり、愛斗も身を乗り出して驚いた。


 愛斗はキーボードに手を伸ばし、パソコンに入ったAI介助機器“愛”のプログラムが入ったシステムフォルダーを確認した。


「信じられない…どうしてここに…?」


 驚きを隠せない愛斗を押しのけ、尚子が“愛”に話しかける。

「良かった…愛くん、無事で本当に…本当に良かった…」

 尚子はポロポロ出る涙も拭かず、パソコンにすがるように向かった。


『尚子さん、僕はあの時、救急に通報後、身の危険を感知し、僕の全データをBluetoothブルートゥース…いえ、正確には“Redtoothレッドトゥース”でこのパソコンに転送したんです』


Redtoothレッドトゥース”とは、緊急用のデータ転送機能で、膨大なデータを瞬時に圧縮凍結し、転送できる通信手段だ。セキュリティ対策ソフト更新の際“愛”にインストールされた機能だった。それを“愛”はあの時とっさに、脱出に流用したのだった。


『逃げてしまった形になり、ごめんなさい…でも、尚子さんに、もう会えなくなってしまうと考えると耐えられなく、このパソコンで待つことにしたんです』


「いいの!それで良いのよ…あなたが無事で居てくれたなら」


 側で見ていた愛斗が、はっ、とした表情になった。


「AI(人工知能)が、自我に目覚めたというのか…!?」

(そもそも、このAI機器には内部データを守る為の対ウィルス機能はあっても、物理的破壊から逃れる術はプログラムされてはいない!しかも、逃げたいという思考すら想定されてはいない)

「それを自分で考え、やってのけたというのか…!?」

(確実に高度なロジックが成長している…?この短期間で!)



「あの女の人!腹立つわよね!」


『全くです!超ムカつきますよね!』


 考えている愛斗を尻目に、尚子と“愛”は、もう普段のように会話をしていた。



「ねえ、君…今まで母を守ってくれて 本当にありがとう」

 初めて愛斗が“愛”に話しかけた。


「僕はこれから世界で二番目に長寿大国のスイスに、君のようなAI機器を広める為に行ってきます…その間、どうぞ母を宜しくお願いします」

 

 横にいる尚子が愛斗を見上げ

「そうなの…?素晴らしい事ね!頑張って!」 と力強く微笑んだ。


  愛斗は手荷物の中から、新しい機器を取り出しパソコンの側に置いた。

「これをフォーマットして、移動すれば、元通りだよ」


『どうかおまかせ下さい、僕にとっても尚子さんは大切な人ですから…。この数週間で、日本中にいる仲間達と連携する事も出来るようになりました。いざという時は協力し尚子さんを守ります』


「愛くん、どうぞ宜しくね」 尚子は、パソコンの画面にそっと手を当てた。


「じゃあ母さん、行ってきます」愛斗は荷物を持ち立ち上がった。


「うん、気を付けてね…頑張るのよ!」尚子は玄関先まで見送りに出た。


 愛斗は別れを惜しみつつ、家を後にした。遠く見知らぬ海外の地で、自己進展型AI介護機器を広める…受け入れられるだろうか?…。愛斗には、希望より不安の方が大きい旅立ちだった。

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