第5話 恋、そして愛

 早朝からスズメのさえずりに混じり、カチャカチャとキーボードを叩く音がしている。


 リズミカルなその音がひとしきり続いた後、パチン!と大きな音…

 文章を打ち終え変換し、最後にENTERキーを叩いた音である。


「ふっ」尚子は軽く息をついた。


『だいぶ早く打てるようになりましたね』 そう“愛”が声をかけると


「そうかしら」ニッコリする尚子。


 パソコンを購入して2ヶ月、尚子は“愛”のレクチャーを受けつつ、ブラインドタッチもかなり上達していた。 “愛”のオススメのコミュニティサイトにも登録し、オリジナルのホームページも開設していた。


『尚子さん、集中すると凄いんですね!?』


「こう見えて私…なかなか器用なのよ〜?」尚子がにんまりと笑う



 尚子には写真の趣味があった。 散歩に出掛けるたび、綺麗な風景を見つけるとデジカメに撮り、アルバムを作って日記のようにコメントを吹出し型のシールに書いて貼っていた。


 今までは近所のフォトショップに写真のプリントを依頼していたが、今ではパソコンに取り込み、“愛”と共に作成したホームページの日記に貼り付けている。


 公開したホームページのフォロワー数も増え、イイネもうなぎ登りである。

 そんなこんなで、尚子は鼻歌混じりに1日1時間程度を、ホームページの更新に利用していた。


「あら…またイイネが増えた!」


『ご機嫌ですね…尚子さん』


 写真の公開にイイネに加え、ある男性からのコメントが入ってきていた。

[とても素敵な写真ですね、どちらの風景なのでしょう?]


 尚子は、初めてもらった写真へのコメントに少し躊躇したが、返事のコメントを送った。

[この写真は、散歩中に近くの景色があまりに美しかったので、思わずシャッターを切ったものです。福井市にある足羽川の河川敷から、夕日に染まる街を撮りました。]


 尚子が打ち込むと、すぐにその返事が返ってきた。


[偶然ですね!私も福井市に住んでいます。河川敷にもよく散歩に行きますよ!私も写真が趣味なんです。こんな素敵な写真を撮る貴女に、是非、一度会ってみたいものです]


「え〜!?どうしよう!愛くん、私デートに誘われている?それとも、お愛想かしら?」


『尚子さん…の意味を検索中です』



『お待たせしました…ヒトはという、自分の思いと違う事を言う時があるんですね…この文が、そうなのかは僕には判りません』


「も〜!愛くん、まどろっこしい!」


『人間関係を円滑にする為の言葉なんですね…機械オイルみたいなものですね…理解しました』



 パソコンに、またあの男性からコメントが入ってきた。

[今度の日曜日など、どうでしょう?]


「愛くん…これ、じゃないみたいよ?」


 尚子は折り返しコメントを入れた。

[私のプロフィール見てくれましたか?60をとうに過ぎているおばあちゃんですよ?]

 と書き込むと

[プロフィール見て知っていますよ、私もいい歳です。] と、すぐに返信が来た。


『ところで尚子さん、プロフィールの年齢、間違っていますよ?』 “愛”が指摘した。


「もう…いいのよ!これは…サバ読みなの〜、2つ3つくらい良いじゃない」


『自分に対してのなのですか?』


「女っていうのは、幾つになってもそんなものなのよ〜!」


『理解できません…でも、尚子さんは、年齢よりも15歳は若いです』


「えっ!本当に?」ニンマリする 尚子。


「愛くんはじゃないわよね?」


『はい、肌年齢とか、体内年齢の計測数値からです』


「さすが、そういう事は説得力あるわね」


 尚子はパソコンに返事を打ち込んだ。

[お互い目印にカメラを持って、堤防公園のベンチで。お昼にランチを持って行きます。]




 数日後、約束の日が来た。清々しい天気の日曜日である。


 スズメがさえずる朝、尚子は鼻歌まじりでサンドイッチを作っていた。 尚子のホームページの写真に、コメントをくれたあの男性とのランチである。


『尚子さん、ご機嫌ですね…健康状態も安定していますよ』

「そお?ありがとう、愛くん♪こんなこと、何十年ぶりかしら…」


『今日は例の男性と会う日ですね…どんな方なのですか?』

「うん、名前はタカシさん、61歳で娘さん夫婦と住んでいるそうよ」


『尚子さんがサバを読んで同い年ですね』

「もう、そういう事は言わないの!」


『僕、計算は得意なんです』




 尚子は、色んな具を使ったサンドイッチを丁寧にバスケットに詰めた。そして身支度を済ませると、約束の場所の河川敷に向かった。


 いつもの散歩道でもあるその道を、サンドイッチの入ったバスケットを前に両手で持ち、歩いた。


『尚子さん、先日、僕のセキュリティーシステムがバージョンアップされました。かなり強化されたと言えます』 楽しげに歩く尚子に、“愛”が報告した。


「…?わからないけれど、相変わらず凄いのね〜愛くん」


『さっそくですが、このセキュリティーシステムが、アラートを出しています』


「えっ?何だか物騒ね…怖い」


『尚子さん、今から会うタカシさんは危険です。出来れば回避をお勧めします』


「え〜!?そんな〜、何かの間違いじゃないの?…そんな事、急に言われたって…」


『仕方ありませんね…十分に気を付けて下さい』


 尚子のホームページに、毎日のようにコメントを残すタカシの言葉の数々は、優しさと思い遣りに溢れていた。そんな経緯もあり、尚子にはタカシが危険であるという、“愛”の警告をどうしても信じられなかったのである。


(きっと更新したばかりのセキュリティーシステムだから、調子がおかしいのよ)

 尚子はそう思いながら、堤防へと続く階段を登った。


 目印にした尚子のカメラは一眼レフ、タスキがけにぶら下がっているのを、今一度確認した。


 登り切った先には、桜並木とベンチの列がある。ウォーキングしている若い男性が目の前を横切ると、その先のベンチの前に佇む二人の人影が見えた。


 その一人はカメラを首からぶら下げていた。



 尚子が見つける一瞬前に気が付いていたらしく、男性は大きく手を上に振った。

(タカシさん?…あら…鼻筋も通って、シュッとしたいい男じゃない…隣の女性は誰かしら…?)


 尚子も片手を顔の横で小さく振り、そして駆け寄った。


「初めまして、いつも有難うございます!尚子です」


「こちらの方こそ、いつも楽しませて頂いております、タカシです…と、娘です」


 お互いにお辞儀をし、タカシが手を差し出されるに促され、握手をした。

(何だ…良い人じゃない、娘さんまで一緒で)


 30代ほどの見た目の娘が一歩前に出て

「父がいつもお世話になっています」 と、にこやかに一礼した。

(ちゃんとした娘さんね…)


「サンドイッチ作ってきたんです、皆で食べませんか?」

 尚子はバスケットを開け、二人に中を見せながら言った。


「良いですね〜」と、タカシ。


 3人はベンチに腰を掛け、尚子の手作りサンドイッチを食べ始めた。


「美味い!」

「本当、凄く美味しい!」

 口々に、親子二人が言った。


 穏やかな秋の日差しが、桜並木の木漏れ日となって揺れている。


「実は尚子さん…」  

 少し沈黙の後、タカシが口を開いた。


「実はこの娘、乳がんでして…一刻も早く手術をしないと転移すると医者から言われているんです。が、…それが…費用が足りなくて困っているんです」


(あ…まさか…これかな…?) 尚子は思った。



「その足りない手術費用を貸しては頂けないでしょうか…?」


 尚子の耳のAI機器、“愛”が告げる。

『尚子さん、この二人は何件も被害届の出ている詐欺集団のメンバーです。…警視庁データバンクの顔と96%一致、男性は鼻を変えていますね…特殊メイクです』


(え〜、この鼻筋が特殊メイク…?)

 尚子は騙されている事にかなり腹が立ってきた。あのコメントの優しく思い遣りに溢れた言葉は、みんな嘘だったのかと…。そして立ち上がり、タカシに向かい言い放った。


「嘘ばっかり!タカシさん、鼻が取れかけていますわよ!」


 タカシは驚き、食べ掛けのサンドイッチを放り出して、鼻を押さえうろたえた。

「取れてない…知っていたのか!?くそ!貴様誰なんだ!ハメやがったな!?」


 後ずさりする尚子にタカシがにじり寄る。


『警察に、通報しました…が、間に合いそうもありませんね』“愛”は冷静に言う。


「愛くん、怖い、どうしよう!」


 タカシ〈偽名〉が、今にも襲いかかりそうだ。


『ところで尚子さん、新たなアラートです…10秒後に地震…震度3です。これを利用しましょう…尚子さんが地震を起こしたような、何かアクションをして下さい。揺れ到達まで5、4、3、2、1…』


 絶体絶命の危機に尚子が思い付いたのは、大相撲おおずもう四股しこだった。股を大きく広げ、右足を大きく上げ、地面を力強く踏みしめた!

 その時、ジャストタイミングで地鳴りと共に、地面が揺れた! ドドドド…


 これには、後で見ていた娘〈役〉も驚いた「ギャー!」

「何者なんだ!こいつ!」

 地震はすぐに収まったが、二人は腰を抜かし、へっぴり腰で逃げ出した。


 逃げて行く詐欺メンバー、タカシ〈偽名〉と娘〈役〉を見送りながら、尚子はぺたんと地面にへたり込んだ。



「こ…怖かった〜」


『尚子さん、大丈夫ですか?血圧、脈拍、かなり上がっています。少しそのまま休んだ方が良いですね』


「大丈夫よ…ありがとう、愛くん。でも、さっきタイミング良く地震が来なかったら、どうなっていたでしょう…」


『それなら心配ないです。他の方法も23通り用意していましたよ?』


「そんなに考えていたの?あの一瞬で?」


『セキュリティーシステムの中にネゴシエーション…犯罪交渉術も含まれていますから』


 遠くの方からパトカーのサイレンが聞こえてくる。

『逃げた方向を通報したので、じきに捕まりますよ』


「よっこらしょっ…」

 尚子は立てた膝に手を当て、少しよろめきながらも立ち上がった。


「あ〜あ…とんだデートだったわね…」と、そこら中に散乱したサンドイッチと、バスケットを拾い上げると 「さ、帰りましょう」と、呟いた。 堤防の階段を下り、帰り道をとぼとぼ歩き出す。


『老いらくの恋…だったのですか?』

 “愛”が唐突に質問した。


「ぷっ!愛くん、またそんな言葉、どこで覚えてきたの〜?」

 尚子は吹き出すように笑った。


『はい。勉強の為にネットで色々調べていたら、小説を見つけたんです。そこで、言葉の勉強も兼ね、一冊読破しました』

「愛くんって、面白いわね〜ふふっ!」


『尚子さんの方こそ』


「今回ばかりは、あたしも懲りたわ…優しい言葉に騙されてバカみたい。本当…これからは気を付けなきゃ」


『いいえ尚子さん、今回は運が悪かっただけですよ。人同士のコミュニケーションは大切です。』


「だって…あんな怖い思い二度としたくないもの」


『大丈夫です、いざとなったら僕が守りますから。安心して恋愛して下さいね。あの小説読んで、恋愛って素敵だと僕も思いましたから』


「ありがとう…愛くん」 少し吹っ切れた表情で尚子はにっこりとした。



 家がすぐそこに見える近所まで戻ってきたところで突然“愛”が警告を発した。

『尚子さん、後方10mより車両接近です!あの車両は危険です、避けて下さい!』


「え!?」

 後方から一台の乗用車が猛烈なエンジン音をたて、尚子に迫ってきた。

 振り返った尚子、しかし間に合わなかった。


 キキキーーィ! ドン!


 乗用車は、尚子に接触すると急ブレーキで止まった。 いや、接触する寸前、車の安全システムが急ブレーキをかけたようだが間に合わなかった。尚子は数メートル飛ばされ道に横たわった。


 ドアが開き乗用車から降りてくる人影。

 それは堤防から逃げた詐欺メンバーの、娘〈役〉の女だった 。


 女はぐったり横たわっている尚子に近づき見下ろしながら言った。

「てめえのせいで、兄貴は捕まっちまったじゃねーか!畜生!」

 そして、女は尚子の耳の“愛”に気が付いた。

「ん…?なんだこれは?イヤホンか?はは〜、これで細工してやがったんだなぁ?」


 女は倒れた尚子の両耳から“愛”を抜き取ると、手の平の上で転がして見、握りしめると、地面に叩きつけヒールのかかとで踏みつけた。ミシミシ…バリッっと鈍い音がし、機器は砕けた。


「ふん!ざまあみろ!」

 女は車に戻ると猛アクセルで走り去った。


 尚子は遠のく意識の中、“愛”に手を伸ばした。


 その手の先で“愛”は無残に砕けていた。



 遠くから救急車のサイレンの音が近づいてくる。


「愛くん…呼んでくれたのね」

 尚子は、粉々になったAI機器を必死にかき寄せるように掴むとガクッと気を失った。




 どれ程の時間が経っただろう―――

 暗闇で尚子を呼ぶ声がする。


「尚子さん…尚子さん…大丈夫ですか?」


(あら…愛くん?無事だったの?良かった)


 混濁した意識から夜が明けるような白いモヤに光が差してくる。


「…かあさん…かあさん!」


(えっ…?)

 尚子は静かに目を開けた。


「かあさん!良かった気が付いたんだね!」


 傍らには安堵の表情を浮かべる息子、愛斗あいとがいた。


「…愛斗あいと?どうしてここに?」

 意識が回復した尚子は、ぼんやりと、そしてゆっくり愛斗に顔を向けた。


「母さんがひき逃げに遭ったって連絡が入って、びっくりして東京から戻って来たんだよ!」


ナースコールで看護師が駆け付けた。

「気が付かれたんですね、良かったですね!今、先生を呼びますから…」

 と、集中治療機器を確認すると出て行った。


 尚子はあのひき逃げで、外傷は奇跡的にも臀部でんぶの打身と顔や膝の擦り傷で済んでいたものの、一週間もの間意識が戻らずにいたのだった。


「本当に心配したよ」


「ごめんね…心配かけちゃったわね」


「無事で本当に良かった」

 涙目で愛斗が微笑んだ。


 その瞬間、はっ、と、尚子は電気が走ったように叫んだ。


「あ…!愛くん!…愛くんは?!」


「何いってるの?母さん、僕ならここに居るじゃない?」


「ち…違うのよ!愛くん、私の介助機器の…」


「あ〜、これ?かあさん、ここに運び込まれた時、握りしめていたらしいよ…バラバラだけど」 と、ポケットから出して見せた。


 砕けた機器は、透明のビニール袋に入れられていた。


「これ、うちの会社で僕の開発チームが、試作モニタリングしてるAI機器なんだよ…家族には、モニターしてもらうって事で送ったんだ」


「え…?それじゃ、直せるわよね!?」


「う〜ん…残念だけど…これ程砕けていては無理だよ」

「え〜!?そんな〜!」


 尚子の顔色がさっと変わりぐしゃっとした表情で泣き始めてしまった。

「愛くんが死んでしまったぁ〜!」

 声を上げて子供みたいに泣きじゃくる。


「母さん、死んだんじゃなくて、壊れたんだよ…大袈裟だなぁ〜もう」


 そこへ、主治医と看護師が、入り口で泣き声を聞きつけ慌てて入ってきた。

「だ…大丈夫ですか?!どうされました?」


 事態を把握できず目を丸くしている。


「どうもすみません、大丈夫です」愛斗が謝る。


「かあさん、東京に戻ったら新しいのを送っとくから、泣かないでよ」


「いやよぉ〜!愛くんじゃなきゃ、やだ!」

 と、収拾がつかない様子。


「大変元気の宜しいお目覚めです…ね」と、主治医は安堵の表情を見せた。

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