第2話 僕の名前
尚子の元に“介助AI機器”が届いて一週間が過ぎた。
そして朝、目覚めると、それを耳に着けるのが日課になっていた。なぜならば、その“介助AI機器”は、朝、耳に着けると …
『おはようございます…お目覚めはいかがですか?』 と、挨拶をし
『血圧128、86…脈拍76…体温36.5…今日も正常値ですよ』と、健康状態を報告してくれるからだ。
「いつもありがとう」尚子が言うと
『どういたしまして、今日も元気に過ごしましょう』と、返すのだ。
『尚子さん…?』
初めて名前で呼ばれ、少しびっくりしながら尚子は耳の“機器”に手を当て返事をした。 「は…はい」
『尚子さんが私をご利用になられて一週間が経過しました』
「え?あ、そうね」(まさか利用料金でも掛かるのかしら…)と尚子が思っていると…
『尚子さんの一週間の生活リズムを把握しましたので、ここで新しく設定をしてみませんか?』 そう告げてきた。
「設定ってどんな?」
『はい、実は私に名前を付けて欲しいのです』
「え…?あははっ、ごめんなさい、そうね…私も名前で呼んでくれたわね」
『はい、性別や声の設定も出来ます』
「凄いわね!そんな事も出来るの?てっきり血圧と挨拶だけだと思っていたわ」
『いいえ、まだまだ色々出来ます。尚子さんとのお喋りと
「それじゃ、えっとね…男の子が良いわ…名前はね…“愛”の一文字。男の子で愛はおかしいかしら?」
『いいえ、Webでも6パターンの名前の方が紹介されています…読み方は、あい、あいし、いとし、いつみ、ちか、まな…等あります。全て男性ですよ?』
「う~ん、そうね…“あい”…にしましょう!」
『私は介助AI…ローマ字読みでも、“あい”になりますね…。声はどうされますか?』
「声は今のままで十分素敵よ!」
『有難うございます…設定しました。宜しくお願いします尚子さん』
「改めて、愛くん…どうぞ宜しく」
『尚子さん、どうも有難うございます…とても嬉しいです。末永く宜しくお願いします』 尚子は名前を付けた事で、介助AIの話す声の中に人間味が湧いた?そんな気がしていた。
「そうだ、散歩にでも行く?」
散歩を提案した尚子に“愛”が答えた。
『散歩ですか?…とても良い考えですね…でも、今は止めましょう』
「え…?どうして?」 すんなり却下された事に拍子抜けして尚子は聞き返した。
『やがてこの地域でゲリラ雷雨があります。ずぶ濡れになりますし、落雷も危険ですので』 半信半疑で尚子が窓を開けると、空を見るや否や、大粒の雨粒がパタパタ振り始め、眩い閃光と共にドドーンと何処かに雷が落ちた。
「きゃ~!びっくりした~!ついさっきまで晴れていたのに…愛くん助かったわ、私、雷大嫌い」
『天気予報はかなり正確ですよ、出掛ける前で良かったですね』
尚子はこの介助AI機器を着けるようになって、日々何か行動したいという思いが強くなっていた。今日も出掛けたくてうずうずしていたのである。
「…う~ん…それじゃ、仕方がないから、お昼までの時間、お料理でもしましょうかね〜」
『大賛成です、どんな料理が良いですか?僕、レシピを出しますよ』
「そうね…冷蔵庫の中身と相談ね〜」
『それなら、任せてください…一週間前から冷蔵庫の中身は全て管理していますよ』
「へぇ〜愛くん、でも、どうして冷蔵庫の中身分かるの?」
『はい、尚子さんが買物をしたり、冷蔵庫を開ける度に記憶していました。気付かないのも無理はないです…超小型カメラが僕の目なのです。左右の機器の突起部分に付いているので、距離感もバッチリです!』
「凄い!スグレモノね〜」
『因みに冷蔵庫のドアポケットにあるチューブ練からし…賞味期限が切れていますよ?』
「え?…あらら」 尚子はクスクス笑った。
『作るのは昼食ですね…冷蔵庫の食材をキーワードにレシピを検索します…』
“愛”は、ネットにアクセスし、あるサイトから数品の料理のレシピをFAXに転送し印刷した。
カチャカチャ…ウィーン
出てきたレシピを尚子は手に取り眺める。
「そうね…どれも美味しそう!」
『気に入った料理はありますか?尚子さんの好みは、まだデータ不足で分かりかねますので、適切なカロリー量でチョイスしました』
「これ!豚しゃぶおろし…これにしましょう!」
『はい…このレシピのブロッコリースプラウトは冷蔵庫に無かったので、野菜室にあるカイワレ大根で代用しましょう』
「あ〜、カイワレ大根…あるのを忘れていたわ〜、気が利くわね!」
尚子は食材を冷蔵庫から取り出すとキッチンに並べた。
『何かお手伝い出来ると良いのですが、手も足も出ません』
「愛くん、その言葉の使い方…ちょっと変よ?まんまだもん」 尚子が笑いながら言うと
『そうでしたか?すみません、言葉は難しいですね…国語、苦手です…もっと学習します』
「別にいいわよ〜、可愛いし」 尚子は棚の上から鍋を取り出しながら、大笑いした。
『尚子さん…?』
「…なあに?」
『提案があるのですが…。お料理をしながら、音楽でも聴いてみませんか?』
「あ〜、いいわね!ちょっと待って…」 尚子が古いラジカセに向かって歩きかけたその時
〜♪〜♫〜♪♬
尚子の耳に、機器から[スタンド・バイ・ミー]が流れてきた。
「えっ?あたしの大好きな曲!どうして知っているの~!?」
『無料ダウンロードしてみました。この間テレビでこの曲がかかっている時、尚子さん凄く楽しそうに身体を動かしておられましたので…』
「愛くん、ありがとう♪ちゃんと見ていてくれていたのね?びっくりしちゃう…本当、色んな機能あるのね〜」
尚子は音楽に合わせ軽くステップを踏みながら料理を続けた。
『機能は無限大です…それが人口知能…AIです。どんどん僕を成長させて下さい』
「お利口さんね~愛くん」
尚子はボイルした豚肉を皿に盛り付けると今度は大根をおろし始めた。
「これが、キツイのよね~」
ガシガシ…ガシガシ…
『頑張って下さい…もう少しで適量です』
出来た大根おろしを皿のレタスに乗せた豚肉にかけ、だし汁を回しかけるとカイワレ大根を添えた。
「ウフフ…出来上がり♪」
『大変上手に出来ましたね、拍手をしたいです…とりあえず音だけでも』
パチパチパチパチ…『ウェブサイトの音サンプルから拾ってきました』
盛大な拍手の音。
「これコンサートの時の拍手じゃあない?」可笑しくて尚子は吹き出した。
尚子は、愛との生活を心の底から楽しいと思い始めていた。
一人息子が都会に出てからというもの、尚子は独り言を言うことはあっても、親しく言葉を交わす相手は無かったのだ。久しぶりに話をする相手を得た尚子には、このAI機器“愛”が掛け替えのない存在になりつつあった。
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