第五話 【 真夜中とデート 】



―午前 4時00分 ―



「どうかな?」



 そう聞こえた後、試着室のカーテンがバサッと開いた。

 目に飛び込んできたのは、いつもの白のワンピースが似合う可憐な少女では無く、

 大人っぽい紺色のビキニを身に着けた、目に眩しい女性がそこに居た。

 シンプルなデザインではあるものの、少女の白い素肌と長い手足が、それを上品で華やかなものにしていた。

 そんな、白い砂浜と青い海が似合いそうな少女に、少しばかり赤面してしまう自分が恥ずかしい。



 あの後、そのまま解散するかと思いきや、水着を買いに行きたいと言って駄々をこねた少女に付き合う形で、近くにあった24時間営業のディスカウントストアに駆け込んでいた。

 そこにいた客の年齢層は若く、この時間に高校生くらいの少女を連れたオッサンは目立ちすぎている。

 店内に鳴り響くガチャガチャとしたメロディーにうんざりしている俺とは裏腹に、少女は目をキラキラさせながら、水着を品定めしていた。



「それで良くないか? 試着するにしても、何着目だよ!」


「女の子の試着も待てないなんて・・・、もしかして、おじさん女性経験ゼロの人?」


「うるさい! ガキに言われる筋合いはねぇ!」



 その言葉に反発するように、少女は大人びてきた胸元を寄せて、週刊誌のグラビアアイドルのようなポーズを取ってきた。



「どうかな? これでもガキだって、い・え・る?」


「馬鹿か! 大人をからかうな!」



 そう言って、カーテンを力強く締めてやった。

 まったく、一体俺は何をしてるんだ?そんな疑問を自分にぶつけながら、ニコチンが切れかけている体に鞭を打ち、それからも延々続く水着のファッションショーを眺めていた。



「お待たせ!」



 そう言って、長い長い試着の旅を乗り越え、ジャングルのような売り場を抜け出した。



「お前さ、気になってたんだけど、夜の海に行くのに水着着てどうすんだ? いくら時期とはいえ、夜の海はそこそこ冷えるんだぞ!」


「えっ!? そうなの?」



 どうやら、本当に海を知らないらしい。

 まぁ、寒々しく震えるこいつを見る楽しみが増えたのは喜ばしいことだ。

 その時は、さっきの仕返しに精一杯からかってやろう。



「さぁ、帰るぞ! 俺は明日も仕事なんだ」


「えぇー。なんか、あっちも見たいのに」


「時計を見て見ろ」



 そう言って、俺が付けている時計を見せた。

 時計の針は既に5時30分を回っており、それを見た少女は急に慌てだした。

 どうやら、買い物に夢中のあまり、時間が経っていたことを忘れていたようだ。



「何でもっと早く言ってくれないの!」



 そう言って、店の出口に慌てて向かう。

 どうやら、この少女にも気にする明日があったようだ。

 俺は、少女の後に続いて、店内出口に向かった。



「あっ・・・」



 そう一言漏らすと、少女は出口のドアの前で立ち止まり、その場で固まっていた。

 俺は、そんな彼女を横目に自動ドアをくぐる。



「おい! 何してる。お前も急いでるんだろ。早く帰るぞ!」


「・・・・・・ごめん」



 店内側に居る少女の方を振り向くと、少女は青ざめた表情でそこに立っていた。



「おい、・・・何してんだ?」


「ごめん、一緒に行けない。先に帰っていいよ」


「何言ってんだ! 冗談は良いから帰るぞ、さすがにガキ一人置いて、こんな不良のたまり場に置いていけるかよ!」



 外は、朝の空気に変わり、鳥達は談笑を始めていた。

 朝焼けに照らされた風も、湿り気を無くしつつある。

 既に、夜は終わっていた。


 少女は、俺の呼びかけを無視して、スマホを使って誰かに電話していた。

 俺は店内に戻り、その様子を窺う。



「急にどうした?」


「・・・ごめん。迎えを呼んだから大丈夫だよ。一人で帰れるから」


「ここからコンビニまでの距離はそんなに無いし、お前も近くに家があるんだろ? だったら、迎えを呼ぶより歩いたほうが早いじゃないか」


「だから・・・ごめん。一緒には帰れないんだ」



 頑なに、店から出ようとしない少女を置いていく事も出来ず、俺も少女の迎えが来るまで、店内に残ることにした。

 理由はどうあれ、未成年を連れまわしたのには変わりはない。

 今から迎えに来るであろうこいつの保護者?には、大人として謝罪する必要があった。

 少女は嫌がったが、そこは譲らなかった。




数分後―――


 そこに来たのは、予想外の迎えであった。

 店の外で、朝焼けよりも赤いライトがくるくると回り、駆け寄ってきた女性の顔には、見覚えがある。



「サトミちゃん! 何をやってるの!」



 あの時、早朝のコンビニで見た、患者の愚痴を零していた女性看護師であった。


「ごめんなさい・・・」


「病室を抜け出して、何処に行っているかと思ったら、こんな所にいたのね! あなた、自分の病気が分かってるの!」



「ホントに、ごめんなさい」



 まさか、迎えの車が救急車だったなんて、想像もしていなかった。

 慌てたように医師達が3人降りてきて、サトミと呼ばれていた少女を、要人のような手厚さで車内へ連れていく。

 急な出来事に、俺は呆気に取られていると、コンビニで見た看護師が俺に向かって凄い剣幕で言い放った。



「あなたは誰ですか? サトミちゃんをこんな時間まで連れ出して! もし、あの子が死んでいたら、どう責任取るつもりだったんですか!!」


「えっ・・・死ぬ?」


「あなた、あの子の病気も知らずに連れまわしてたんですか!? いい大人が何してるんですか! 恥ずかしい! 大人としての責任感は無いんですか!」


「本当にすいませんでした・・・」



 その言葉を聞いた看護師は、ふんっ!と鼻息を鳴らすと、救急車の方に踵を返す。



「わかっていただけたなら、構いません。ただし、貴方みたいな人に彼女を近づけて、万が一があったら取り返しがつきませんから。・・・もう二度と彼女に近づかないで貰えますか」


「二度と・・・」


「ええ! 二度とです!」


 その言葉の力強さから、彼女を心配する看護師の本気が伝わる。

 それと同時に、少女の命を危険に晒してしまっていた事実を理解した。

 でも、このまま事情も分からない状態では気が収まる訳もなく、幾つかの疑問がよぎる。

 自分は何を犯してしまったのか?

 果たすべき責任とは何だったのか?


 俺は立ち去ろうとする看護師の肩に手をかけ、無意識に引き留めていた。



「ち、ちょっと! 不躾だとは思いますが、教えてください! 彼女は何の病気なんですか!?」



 振り返った看護師の顔は、恐ろしい顔をしていた。

 ただ、ここで引き下がるわけにはいかない。

 このまま少女と二度と会わないなど出来るものか!と言わんばかりに力強く詰め寄った。

 そんな思いが通じたのか、彼女は少しずつ話し始めた。



「色素性乾皮症です」


「それは・・・どういった病気なんですか?」


「簡単に言いますと、太陽の光を浴びる事が出来ない病です」


「光を浴びれない・・・」


「彼女は、紫外線により損傷した遺伝子を修復する機能が遺伝的に低下しています。だから、日光を浴びると火傷に似た症状が現れますし、それにより、皮膚がん等をいつ発症してもおかしくない体なんです。・・・これで自分が何をしたのかお分かり頂けましたか?」


 その話を聞き、看護師を引き留めていた力を失い、俺はその場に立ち尽くす。

 自分の行いが、いかに危険な物だったかを痛感した。

 一人俯く中、看護師は去っていく。



 俺は、一つ間違えれば、あの子を死なせていたかもしれない。

 知らなかったでは、済まされるはずもない。

 もし、あの場で時間を伝えずに帰っていたら・・・。

 少女は予定よりも長居してしまった事に気付かなかっただろう。

 もしかすれば、あの子は病院に帰り着く前に朝日を浴びてしまっていたかもしれない。



 俺は、少女の事を知らなさ過ぎた。

 もっと知る努力をすべきだった。

 両親の事も、病気の事も、約束の事も・・・。

 全て、後になって気付いたことだ。

 きっと、あの関係が心地よかったんだと思う。

 俺と同じ何かを求めて、夜に引き寄せられた同士の様に思っていた。

 だから、余計な詮索をすべきじゃないと、勝手に思っていたし。

 それが、あの空間でのマナーとさえ感じていた。

 

 俺は、バカだ。



 その時、閉まりかける救急車の扉から、少女の声が聞こえた。





「ごめんなさい。約束は忘れていいよ・・・」





 声に反応して顔を上げたが、扉は勢いよく“バンッ”としまり、それと同時に鳴り響く、サイレンと共に少女を乗せた救急車は去っていった。





 最後までその場に残ったのは、品格の無い店内メロディーと、咽び返すような排気ガスの匂い、そして、情けの無い男だけだった。


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