第六話 【 煙たい おじさんへ 】
―――あれから
一週間が過ぎた。
あれから、少女がコンビニに現れることは無かった。
あの看護師に「二度と会うな」と言われたが、別に俺の習慣を変えるつもりはない。
もし、ここに少女が来たら、その時は病院へ帰るよう言い聞かせるつもりだ。
そう思いながらも、久しぶりに一人で吸うタバコは味気なく、煙はただ肺を撫でるだけで、何の重みもない。
手にぶら下げたビニール袋の中には、中年男性には似つかわしくない“いちごオレ”が一つ入っていた。
出来るだけ考えない様にしてはいるが、この午前3時の静寂が否応なしに、あの少女を思い出させる。
お父さんとの約束は、誰か叶えてくれるだろうか?
あんなに楽しみにしていた水着は、着れるのだろうか?
あの少女は、海の青を知れるのだろうか?
ただ、そう思うだけ・・・だった。
それしか許されていない様に感じたからだ。
少女の事など、あの夜までは自分と同じように、物思いの夜に何かを求め、彷徨い現れた存在くらいにしか考えていなかった。
夜は、日々の悲惨な現実から逃避する為に、用意された自分だけの場所だ。
だからこそ、その日常から解放された空間で、それを想起させるような事をあの場で話すのは、失礼だとも思っていた。
でも、それは俺が勝手に押し付けた夜の話。
あの少女にとって、夜の世界こそが全てだった。
それを知ろうともしなかった俺が、今更、少女の為に何かしてやれないか?なんて、都合が良いにも程がある。
そう考えた俺は、少女への気持ちを行動に移すことは無かった。
少女の最後の一言が、脳内をよぎる。
――ごめんなさい。約束は忘れていいよ・・・――
勝手に約束したかと思えば、今度は「忘れていいよ」だと?
ホント、めちゃくちゃな奴だ。
午前4時を迎えた頃、小さく溜息をついてから、1時間前に買った“いちごオレ”にストローを通した。
一口飲んだとたんに、グッと口に甘さが広がる。
「なんだこれ!? ジャムでも飲んでるみたいな甘さじゃねぇか! こんなの何が良いんだ?」
その独り言を零した後、コンビニの自動ドアが開いた。
店内から、初老の店員が出てきて、孫の顔でも思い出すように、寂しそうな顔をして言った。
「今日もあの子は来なかったね。何かあったのかねぇ?」
「俺に聞かれても、知りませんよ・・・」
「そうかい・・・」
「そもそも、未成年がこんな時間に出歩くことの方が変でしたし、良いんじゃないですか?」
「にしても、あんた“いちごオレ”似合わないねぇ」
初老の店員は、俺を見て笑った。
こんなやり取りが、数日続いている。
別に待っているわけでは無い、でも少しの期待を胸に、いつもの時間、あの場所で、同じ夜を待っている自分が居た。
――翌日――
いつもの様に、変わり映えのない午前3時を迎えた。
コンビニに入ると、入店音を聞きつけて、奥の方から初老の店員が駆けて来た。
息を切らしながら、こちらに詰め寄って言った。
「はぁ・・・はぁ・・・。あの子来たよ!」
「えっ! いつですか!?」
「19時頃に来たみたいでね。前シフトの子が対応したんだけど、君にコレを残していったみたいなんだ」
差し出してきたのは、花の絵が装飾された小綺麗な封筒だった。
「手紙・・・? あいつが?」
「早く、読んでやりな!」
少しだけ速まる気持ちを抑えながら、花柄の封筒を切る。
中から、数枚の手紙と、海の絵が描かれたポストカードが出てきた。
そのポストカードの海には色が塗られておらず、寂し気に線画だけが残っていた。
手紙の内容は、丁寧な書き出しではあったが、内容に幼さが残った暖かな物だった。
―――――――――
拝啓、煙たいおじさんへ
まず最初に、ごめんなさい。
もう知ってると思うけど、私、病気なんだ。
そのせいで、生まれた時からお日様の下に出たことがないの。
海に行く約束をした時に、伝えておくべきだったんだけど、
大人にそんな事言ったら、絶対反対するでしょ?
おじさんは、私にタバコもくれない。堅物だし・・・。
だから、黙ってたんだ。
でも、そのせいで、あんな事になっちゃったし。反省はしてる。
いつも、病院をこそっと抜け出してたんだけど。
今回の一件で、私の病室への見回りが厳しくなっちゃって・・・
いつもみたいに、抜け出せないんだ。
海に、行きたかったなぁ。
おじさんが、私の水着姿に赤くなるところを楽しみにしてたんだけど・・・。
それと、また一緒に夜のコンビニで“いちごオレ”も飲みたかったな!
毎日、あの時間におじさんをからかうの、楽しかったし!!
私、ちょっと前までは、夜が嫌いだったのに不思議。
最初の頃に、私が言ったこと覚えてる?
夜はね。見えなくて怖いんだ。
あの時、何言ってんだ?みたいな顔してたけど、
実は、おじさんがコンビニ通いを始める前、
お父さんも、同じ時間にコンビニでタバコを吸ってたんだ。
私が入院している病室の窓から、あのコンビニが見えるんだけど。
お父さんが喫煙コーナーで、タバコを吸っているのを合図に、
いつも、病室を抜け出して一緒に出歩いてたんだ。
朝が来るまで、いろんな所に行ったっけ・・・。
でも、お父さんが死んじゃって、私の病室から何も見えなくなったんだ。
私を待っている人は、もう居ないんだって思うと、すごく悲しくて、同時に怖くもなって、毎日やって来る夜が嫌いになったの。
それでも、あの時間にコンビニで、いつもの様にお父さんがタバコを吸ってるんじゃないかって、何度も病室から見てた。
そしたら同じ時間に、おじさんが毎日タバコを吸っているのが見えて、居てもたってもいられなくて、気付いたら病室を抜け出してた。
お父さんじゃないって分かってるのにね。
誰かが待っててくれている気がして、なんだか嬉しかったんだ。
でも、何も考えずにコンビニに来たせいで、財布忘れちゃって!
おじさんの横に並んで立ってみたけど、何を話せばいいか分からなくて、
何か言わなきゃ変な子になっちゃうし・・・って、焦った結果。
タバコくれない?って言っちゃった・・・。
本当にタバコをくれたら、どうしようって思ってたんだけど、
おじさんが堅物でよかった!
ここ何日も、病室からおじさんを見てたよ。
私の“いちごオレ”飲んでたでしょ!
ここから、見てるだけでも面白かったんだけど・・・。
でも、この病室からおじさんを見ることは、もう無いんだ。
私、明日から別の病院に転院するの。
両親の居ない私の身元を親戚の叔母さんが引き受けてくれて、
叔母さんの暮らしている町の病院に行くことになったんだ。
治療も一旦区切りがついて、夜間学校にも通えるし、良い事づくめなんだけど。ここを離れるのは少しだけ寂しい・・・。
だから、これはお別れの手紙なんだ。
短い間だったけど、ワガママ言ったり、困らせてごめんなさい。
おじさんのお陰で、また夜が好きになれたよ。
本当は、一緒に海に行って、お父さんの絵に海の青を添えたかったんだけど、
こんな体質の私が、海なんて日除けの無い場所に行くのは、随分先になりそうだから、私の代わりに、おじさんの見た青を描いて、いつか見せて欲しいな!
お父さんが描いたポストカードを入れときます。
この前は約束を忘れていいよって、言ったけど。
新しいお願いを聞いて、
“お父さんの絵に、おじさんが見た青を付けて、必ず私に見せて”
この約束は、絶対忘れちゃだめだよ!
いつか、また会えたら必ず見せてね。
その時には、私も二十歳を超えてるかもしれないし、
おじさんと一緒に、タバコ吸いたいな。
さようなら。
飯田さとみ
――――――――――――
手紙を持つ手が震える。
奥歯を噛みしめ、不規則な鼓動を必死に抑える。
なんだよ、ホントに・・・。
勝手に、色んなもん押し付けてんじゃねぇ。
また、約束だと?
ふざけやがって・・・。
手紙の内容の身勝手さに苛立ちを覚えながらも、今までの少女の態度や、言動が頭をよぎる。
――ねぇ、タバコくれない?――
――好きで此処にいるだけだし、あなただって・・・何してるの?――
――私、いちごオレ嫌いじゃないよ!――
どれも、憎たらしい思い出だが、同時に温かい何かを感じる。
気付けば、全てを知ったその目からは、静かに雫が落ちていた。
そんな俺を見て、初老の店員が心配そうにこちらを窺う。
「あんた、大丈夫かい?」
「あいつも、俺と同じだったのか・・・」
「ん?」
「この夜に、自分を待っている誰かが居ると・・・そう思っていやがった」
俺もだ。
社会で作り上げた“誰にでも良く思われようとする自分”が、いつの間にか本当の自分を超え、自分らしさや、本来の姿が何だったのかを分からなくさせた。
そして知らない内に、消えかかった自分が小さく願っていた。
この夜に、本当の自分を待つ誰かがいる事を・・・。
「あいつ、俺の日常に勝手に割り込んできたくせに、今度は勝手に居なくなりやがって・・・。これだから、ガ
キは困る」
「居なくなったって?」
「あいつは・・・何処かに行っちまった・・・みたいです」
一緒に同封されていた絵に目を移す。
透き通るほど気持ちいい青で塗られた空に、大きな入道雲が花を咲かせていた。
琥珀色の砂浜には、父親らしき男と、白いワンピースの少女が海を眺めている。
だが、取り残された様に、海の色だけが無い。
その物悲しい海は、まるで取り残された自分を見るようだった。
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