第四話 【 少女のお願い 】
――翌日 午前3時――
まったく、面倒なことになった・・・。
そんな言葉を零しながらも、その日のコンビニへ向かう足取りは軽かった。
少し前までは、少女の存在を本当に疎ましく思っていた。
自分だけしか居ない、誰からも何も要求されることの無い空間、それが好きだったからだ。
でも、今思えば面倒になったのは俺の方なのかもしれない。
社会で働く中、誰からも良く思われようと必死になって、知らないうちに歪なもう一人の自分を作り上げてしまった。
そんな自分を脱ぎ去りたくて、誰も居ない夜に逃げ込んだというのに――――
実際のところ、この夜の中で、本当の自分を知っている誰かが待って居てくれたらと願っている自分もいる。
この矛盾が、心を締め付けて離さない。
だからだろうか、今は不良少女に会いたいと思う自分がそこに居た。
喫煙コーナーへ向かう前の買い物カゴの中は、賑やかだった。
ホットコーヒーに、明日の朝食用のパン。
缶ビール2本と、甘ったるい“いちごオレ”が1つ。
買い忘れが無い事を確認して、レジに向かう。
レジに立っているのは、馴染みとなった初老の店員。
カゴの中を見た店員は、ニコッと笑顔を向けて言った。
「仲直りは出来たようだね」
「直る仲も無かったのですが、それなりには・・・」
「それなり・・・ですか、そうは見えんかったがね」
嬉しそうに言いながら“いちごオレ”のバーコードを読み取った。
「そういえば、なんで“いちごオレ”が好きなの知っていたんですか?」
「前に言わなかったかい? 彼女、よく買ってたんだよ」
「日中ですか?」
「いや、夜だよ。それがどうかしたのかい?」
「あいつがこのコンビニで買い物する所を見た事がなくて・・・。いつも喫煙コーナーに一直線だったし」
それを聞いた店員の手が止まる。
そして、視線を天井に向け、思い出すように言った。
「君がこの時間の常連になる以前に、よくお父さんと来てたんだよ」
「お父さんですか?」
「あぁ、あの子楽しそうに『お父さん、これも買って!』って、“いちごオレ”をレジに差し出していたのを覚えててね。そういえば最近、一緒にいるところを見てないな・・・」
レジの会計を済ませた後、初老の店員は腰を抑えながら品出しを始めた。
父親か・・・。
さっきの話からすると、家族仲は悪くなかったみたいだな。
勝手に家庭内の問題で、この夜に逃げ込んでいるとばかり思っていた。
そうじゃないとしたら・・・。
じゃあ、あいつがこの夜に求めている物は何だ?
そんな事を考えていたら、気付けばコンビニ入口で立ち尽くしていた。
すると、喫煙コーナーの方から、聞き慣れた一言が飛んでくる。
「タバコくれない?」
「タバコはやらん。というか、このやり取りは絶対いるのか?」
「別に、いいじゃん」
そこには、白のワンピースを着た小悪魔が、当たり前のように居た。
その表情は、「遅い!」と、言わんばかりに顰めていたが、先ほど買った大好物を手渡すと、嬉しそうに飲み始めた。
それに続くように、俺もタバコに火を点ける。
「それで、お願いは決まったのか?」
「う・・・」
「う?」
急にどもった不良少女は、手元の“いちごオレ”を見つめながら小さく言った。
「海が見たい」
「海って、あの海か?」
「ダメ・・・?」
「別にダメとは言ってないが・・・そういうのは恋人とか、友達と行くもんだろ? こんなオッサンと行ってどうする?」
「海にさえ行ければ良いの・・・。誰かと一緒に何かしたいわけじゃないし」
少女が俺の方を向き、真剣な目で訴えかけてくる。
目的が何かは知らないが、もっと簡単なお願いは無いものだろうか?
この町から海へ行こうと思ったら、車で1時間30分、電車でも最低3回の乗り継ぎが必要だ。
未成年のお願いなんて、この場で完結するレベルの物かと思っていた。
正直、何の負い目があって、見知らぬ少女を海に連れていく必要があるだろうか?
「誰かと行きたいわけじゃないなら、日中に一人で行けばいいじゃないか」
「日中はダメ。夜に行きたいの! お願い聞いてくれる約束でしょ!」
「夜だって!? お前、それはちょっと・・・」
「約束したじゃん・・・」
そう呟くと、犯罪者でも見たかのような軽蔑した目つきで、こちらを見返す。
「わかった、わかった。連れて行けば良いんだろ! だけどな、夜中に海に行くんだ。さすがに、親御さんにはちゃんと説明しろよ! 下手したら、未成年誘拐犯に間違われちまうからな!」
「親は、居ないよ」
「嘘つけ、さっきコンビニのおやじから聞いたぞ。ちょっと前まで、父親と来ていたらしいじゃないか」
少女は、意表を突かれた様に固まった。
てっきり、嘘がバレて焦っているのかと思いきや、持っていた“いちごオレ”を口元から離して、少し震えた声で言った。
「お父さん、先月に交通事故で死んじゃったんだ。お母さんも、ずっと前に・・・」
!?
死んだって・・・。
そういえば、さっきオヤジも「最近みてないな」って・・・そういう事だったのか。
しかも、母親もって事は、こいつ一人なのか?
「悪かった。辛いこと聞いちまったな・・・」
「別に良いよ」
言葉の後、支えきれなくなった体を預けるように、その場に座り込んだ。
持っていた“いちごオレ”を床に置き、暗闇に淡く輝く星空を眺めて、遠くに投げかけるように、話し出した。
「私さ、海を見たこと無いんだ」
吐き出した煙と、崩れ落ちる灰さえも煩く感じる暗闇で、俺は静かに少女の話を聞いた。
「もちろん、テレビとかネットでは見た事あるよ。でも、空気や匂い、自然の色とかって、その場所に行かないと感じれないと思うんだ。テレビで見た景色で感動はしないでしょ!」
「そうかもな・・・」
「海以外にも、たくさん見たいものがあったんだけど、なかなか行く機会がなくてさ。そんな時に、お父さんが色んな景色を描いて見せてくれてさ。お父さんはね、絵描きさんだったんだ」
父親の事を話す少女は、その出来事がどれほど幸せな物だったかを感じ取るには十分なほどに、優しく柔らかな表情をしていた。
「お父さんが描く絵は、画面越しなんかで見る景色より、ずっとその場所の美しさや、そこに行った時の高揚感みたいなものまで伝わってきて、私好きだったんだ。そんな素敵な絵を描けるお父さんに聞いたことがあってね」
「何を聞いたんだ?」
「『空の青と、海の青の違いはなに?』って聞いたんだ」
「青の違い?」
「そう! だって不思議じゃない。空の青色を反射させて海が青いなら、同じ色じゃないとおかしいでしょ! だったら、海の絵を描こうとしたときに、青をどう分けるの?」
「テレビで見た事あるなら、なんとなく違いが分かるだろう。青の濃淡とかで・・・」
「そうじゃない! テレビはテレビなの! お父さんが描く世界で海が何色になるのか知りたかったの!」
少女は、ムスっと頬を膨らませて、幼児のように怒ってみせた。
もう何も口を挟まない方がよさそうだな・・・。
「そしたら、お父さんが約束してくれたんだ。『一緒に海を見に行こう。そこで、海の青を二人で決めて、この絵に色を塗るんだ』って・・・」
海を見たい。
こいつは、そう言った。
それはつまり、父親がこの約束を果たすことは無かったということ・・・。
俺にその代わりをしろってことか・・・。
果たせなかった約束、ね。
ひとしきり話した後、少女は立ち上がり、飲みかけだった“いちごオレ”を飲み干して言った。
「ねぇ、可哀そうでしょ。そんな子のお願い、聞く気になった?」
「なんだよそれ・・・」
俺が返す言葉を見つける前に、少女は微笑みながら、空になった“いちごオレ”を俺に押し付けて言った。
「あんまり、重く受け取らなくて良いよ。単純に海に行ってみたい気持ちもあるし! 少しでも、あなたに乗り気になってもらおうと思っただけ・・・だから」
「・・・わかったよ。お前に乗ってやる。これで良いか?」
「やった! じゃあ、さっそく水着を買いに行こっ!」
「は? 水着だ? お父さんの絵のために行くんじゃなかったのか?」
「私言わなかった? 海に行ったことないんだよ。海って泳ぐところなんでしょ!」
「確かに泳ぐ・・・けど、まさかさっきの話・・・」
「それはホントだよ。お父さんの絵を完成させたいし、人生で初めての海も満喫したいの!」
なんだ?こいつ?
さっきまでの話といい、何処までが本気なのか分かったもんじゃない。
でも、こいつに付きやってやるのも悪い気はしない。
そんな風に、少し思っているのは、きっと俺の気まぐれだ。
そう、ただの気まぐれ―――
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