第三話 【 煙の行方と いちごオレ 】

――午前2時45分


 今日は最悪の一日だった。

 職場の同僚が結婚し、そいつの特別休暇中の仕事が全て俺の担当になったのだ。

 非常にめでたい事なのだが、俺のデスク周りも披露宴会場の様に、めでたい事になっていた。

 そんな一日を送ったのだから、ストレスは最高潮を迎え、真夜中に逃げ込むように、いつもの場所で紫煙を楽しみに来たわけだ。


 店のレジで、タバコとコーヒーを差し出した所で、ふと少女の存在を思い出した。

 そうだ、今や此処も落ち着ける場所では無かった。

 思わず溜息が零れる。


「どうしたんだい?」


 突然掛けられた声に、財布を開ける手が止まった。

 声を掛けてきたのは、初老の店員だった。


「お疲れだね」


「えぇ・・・まぁ」


 コンビニの店員に声を掛けらたのは、人生で初めてのことだ。

 少しの戸惑いを感じながら、適当に応対しようと思っていた。


「いつもこの時間に来るようだけど、あの子と待ち合わせでもしているのかい?」


「あの子って・・・」


「あの黒髪の可愛い子だよ。ここ最近ずっと一緒に居るもんだから知り合いかと思ってたけど。違うのかい?」


「よく会うだけですよ」


「そうかい・・・。それなら、この前は悪いことをしたね。おじさんてっきり君が連れまわしているものかと思ってね」


 この前?

 あぁ、あいつが窓ガラスを蹴った時の事か。


「良いんですよ。あの状態で勘違いしない方が、おかしいので・・・」


「でも、何か喧嘩してたんだろ?」


「喧嘩ってほどじゃありませんけど・・・」


 あの日の事を思い返して、小銭を探す手が止まった。

 その時、初老の店員がレジを抜け出し、何処かに行ってしまった。


 ん?

 急にどうした?

 俺以外に客は居ないのに・・・。


 一人取り残されたレジ前で、ふと考えてしまった。

 今日の俺が最悪だったように、あの不良少女も最悪の出来事から逃げ出したい思いで、この何も要求される事の無い夜に、言いようのない何かを求めて来ていたのだとしたら。

 俺と同じだとしたら・・・そう思うと少し胸が痛んだ。


 そう考えているうちに、小走りで初老の店員が駆け寄ってきた。


「ほい! これ持ってきな!」


 そこには、いかにも甘ったるそうな“いちごオレ”が置かれていた。


「これは?」


「おじさんからのサービスだよ。あの子、よくコレ買って行ってたし、たぶん喜ぶぞ!」


「えっ!? でも・・・」


「ほら、彼女来たぞ! さっさと行って仲直りしてきな」


 そう言って、小銭を出す間もなく会計を済まされた。

 初老の店員は、ニコニコとした笑顔でお辞儀すると、その笑顔で俺を無理やり店から弾き出した。



――午前3時10分



 何が目的か分からない、謎の不良少女がそこに居た。

 いつもの様に、“タバコくれない”が飛び出してくるかと思いきや。

 終始口を噤んだまま、両手を前に添え、コンビニの壁にもたれていた。


「おい、いつもの聞かないのか?」


 俺は、自分でも驚いた。

 あんなに嫌がっていたハズなのに、まさか俺から声を掛けるなんて・・・。

 完全に無意識の行動だった。


「別に・・・」


「お前、いつも何しに来てんだ? 買い物もするわけでもなしに・・・」


「好きで此処にいるだけだし、あなただって・・・何してるの?」


「俺も、好きで此処にいるだけだ」



 ・・・。

 会話の続きが見つからないまま、新品のタバコから、一本取り出し火を点けた。

 その姿を横から覗き込むように、不良少女が見つめる。


「欲しいのか?」


「くれるの?」


 まさかの質問に驚いたのか、もたれていた壁から離れ、こちらに詰め寄ってきた。

 黒髪に白のワンピース。

 相変わらず夜が似合わない少女の額に“いちごオレ”をぶつけてやった。


「痛っ!」


「タバコはやらんが、これならくれてやる。ガキには、ぴったしだろ」


 何も言わずに、それを受け取る。

 だが、しばらく経ってもストローを通す音が聞こえてこない。


 おいおい、飲まねぇのかよ。

 好きじゃなかったのか?

 あのオヤジいい加減なこと言いやがって。


 それか、また俺の気に入らない一言でムスッとしているのだろうか、そっと横目で不良少女を窺った。

 立ち込める煙の向こう側で、不良少女は“いちごオレ”を静かに見つめている。


「飲まねぇのか?」


「・・・」


「あー。もういい、いらねぇなら返せ」


「いる」


「じゃあ飲め」


 タバコを一吸いし、肺を煙で満たして気分を落ち着かせる。

 その横で、少女が“いちごオレ”にストローを通す音が聞こえ、素直に飲み始めた。


 そんな、二人立ち並ぶ喫煙コーナーの一角は、

 初めて会った時とは違う、少しだけ心地の良い風が吹いていた。

 吐き出した煙はいつもよりも軽く、暗闇の中を白く明るく漂う。


 少しして、隣から荒い呼吸が聞こえる。

 次はなんだ?と、一瞥すると、不良少女が目を赤くしながら泣いていた。


「おいおい! どうした!?」


「・・・どうもしてない」


「いや、どうかしてるだろ!」


 やっぱり、年頃の少女の気持ちは理解できそうにない。

 とにかく、今は謝るしかなさそうだが、何を謝るべきか?


「その・・・悪かった。こういうの慣れてないんだ。無理に飲ませた見たいで悪かったよ。それ嫌いだったか・・・?」


「そうじゃない。ちょっと、思い出し泣きしてるだけ」


「なら、いいんだが・・・。あんまり困らせるな」


「でも、良くない。あなたのせい」


「あっ? さっき違うって!」


「女の子を泣かせるなんて最低だもの」


「それ、泣いてる側が言う事じゃないだろ」


「だったら、お詫びに一つお願い聞いてくれる?」


 涙ぐんだ目で、上目遣いなんて正直反則だ。


 今まで、ツンケンした態度をしていたクセに何という身の変わりようだ。

 こんな頼み方されて、断れる男がいるか?

 ただでさえ、会社ではイエスマンだというのに・・・女の武器とは恐るべしだ。


「わかった。で、何なんだお願いって? タバコはやらんぞ」


「明日までに考えておくね」


「なんだそりゃ、決まってねぇのかよ」


 そう言って、片手に“いちごオレ”を持った少女は、来た道をいつもよりも軽やかに帰り始めた。

 乱された心を落ち着けるように、次のタバコに火を点ける。


 一体なんなんだ。

 怒ったと思ったら、静かになって、そして泣き出す。

 まるでジェットコースターみたいなやつだった。


 コンビニの駐車場を半分くらい過ぎたあたりで、不良少女がクルリと振り返った。


「ねぇ!」


 見つめていたタバコの火種から目を離し、少女の方に視線を向けた。


「私、“いちごオレ”嫌いじゃないよ!」


「は?」


「また、明日!」


 そう言うと、不良少女は嬉しそうに小走りで帰っていった。

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