第3話「老人と老婆」
いつもと変わらない日常を過ごしながら、真っ白で清潔な布団を優しく握りながら開け放たれた窓の先の景色を老婆はじっと見つめた。もう、ここに誰も来なくなってどのくらいの月日が経っただろう・・・。こみあげてくる涙を抑えるために歯を強く食いしばった。
「少し、外の空気を吸ってきます。」
重たい雰囲気の病室の中、ティーカーは書類に色々とサインをしている父の耳元でそう囁いた。すると父は顔を顰めながらティーカーとお客さんを交互に見た。そして、溜息を吐いた。そんな父の態度に対してティーカーは表情を崩さずに病室から出た。
病室を出て、数歩行ったた先でティーカーは大きな溜息を吐きながら当てもなく病院の中を歩き回った。この、病院独特の臭いに嫌悪しながら、擦れ違う患者の顔をチラチラと見た。皆、必死に生きていると感じられる様な顔ばかりだった。
正直言って、この父の仕事は共感出来なかった。何故、父は死んだ人ばかりを相手にするのだろう・・・。死ねばそれまでなのに・・・どうしてこんなことをするんだ。
「あの・・・。」
そんなとき、弱々しく感じられる女性の声が後ろから聞こえてきた。振り返ると、穏やかなあ顔をした温厚そうな老婆がティーカーの白いハンカチを手に持って立っていた。
「これ、落としましたよ。」
にっこりと優しく笑いかけながら老婆は両手でティーカーにそのハンカチを手渡した。
「あ、有難うございます。」
ハンカチを受け取りながら、ティーカーは老婆に向かって言った。
「いえ、いえ。」
優しそうな笑みを浮かべながら老婆は言うとティーカーに背を向けて、寂しそうに廊下の奥へと歩いて行った。
そんな老婆の後ろ姿を見ていると、今までに見てきた人たちとは何か別の雰囲気を身に纏っていると感じた。
「ティーカー。」
不機嫌そうな声で父は帰りの道、不機嫌そうな顔で後ろを歩いているティーカーに言った。耳を塞ぎたいという気持ちを抑えながらティーカーは顔をそむけた。
「僕は死ぬ時よりも生きているときを大切にしたいんです。」
その言葉が気に食わなかったのか、父から不機嫌そうな雰囲気を感じた。
「ティーカー、人は誰だって最後は死ぬんだ。私達のこの仕事は立派なものなんだぞ?」
それに対してティーカーは静かに舌打ちをした。
「それはそうかも知れませんが、死んだ後に僕達が墓の前で泣こうがわめこうが、その人は帰ってきません。無駄ですよ。」
吐き捨てるように言った。そうだ、死んだ人間なんかよりまだ命ある人間といたほうが楽しい。
また、昨日と同じ病院をティーカーは父に連れられながら訪れた。今度の依頼人は今にも息を引き取ろうとしているお金持ちの老人だった。
その老人の周りには欲に目が眩んだ大人たちが上辺だけの言葉で老人に話しかけている。老人は何も知らずそれに対して笑っている。
そんな老人を見ていると、何だか哀れにも感じられた。そんな上辺だけで・・・何でそんなに嬉しい・・・。そう思うと、老人に本当の事を教えたくなった。
少し、その老人に向かって手を伸ばしかけたが強く拳を握ってティーカーは無言で病室から出て行った。
また、昨日と同じように病院の人気の全くない廊下を少し歩いた先で、ティーカーは立ち止まって強く真っ白い壁を勢いよく殴った。生きている人間を大切にすることは一番大事なことだ・・・。壁に縋る様にしてティーカーは力なく溜息を吐いた。
「矛盾してる・・・。」
そんなとき、足に何かが当たった。
「すいません。」
昨日と同じ老婆の声が後ろから聞こえてきた。視線を下に向けると堅そうなオレンジが足元にあった。ゆっくりとしゃがみ込んでそれを拾うとティーカーは埃を丁寧に払って老婆に渡そうとしたがニッコリと笑い返されるだけだった。
「良かったら、貰ってくださいませんか?沢山もらったものなので一人では食べきれないんです。」
「ありがとうございます。」
不思議と老婆の顔を見ると穏やかな気持ちになった。
また、ティーカーは昨日訪れた病院に足を運ばせた。今度は昨日貰ったオレンジのお礼に綺麗な花束を持って老婆がいる筈の病室を目指した。
「こんにちは。」
病室の扉を開けながらそう言うと、老婆はベッドの上からニッコリといつもの笑顔を見せながら快くティーカーを歓迎した。
「昨日のお礼です。」
そう言いながらティーカーは大きな花束を近くに置いてあった埃まみれの花瓶を手に取って花を生けた。
「まあ、綺麗・・・。」
本当に嬉しそうな顔をして老婆はその生けられた花をじっと見つめた。そんな姿を見ていると、自分の考えていることは正しいことの様に感じた。
「喜んでいただけると嬉しいです。」
ニッコリとティーカーも笑いながら言った。その時、老婆の瞳が少しだけ涙で滲んでいる様に見えた。
次の日、あのお金持ちの老人は死んだ。あの老人の周りにはやはり同じような目をした人たちしかいなかった。
気が付くとティーカーはあの老婆の病室の前に立っていた。あそこの空気を吸うよりはマシかと思いながらその扉を開けた。
「あら、今日も来てくれたの?嬉しいわ。」
ニッコリと笑いかけながら老婆は言った。
「喜んでもらえると嬉しいです。」
開け放たれた病室の窓から心地よく感じる風が入り、二人の髪を揺らした。
「私・・・貴方に会えて本当に嬉しかった。」
いつもと同じような声で眠そうに老婆はそう言うと静かに目を閉じた。急いで手を伸ばしてみたが反応がない。病室の中はあの欲にまみれた人たちが居ないせいか寂しく感じられた。部屋の中を入り乱れる看護婦や医者・・・。
老婆は眠るように息を引き取った。
ティーカーはあの金持ちの老人の葬式の後、老婆の葬式会場へと足を運んだ。そこは、葬式会場とは言えない位の乏しいもので来客者は葬儀屋とティーカー意外は誰も居なかった。
「お知り合いですか?」
茫然と動かなくなったあの老婆が入っている棺桶を見ているとコフィ―が後ろから話しかけてきた。
「仕事で請け負ってた老人は色んな人に囲まれて死んだ。このお婆さんは一人で死んでいった。」
ポツリと吐くようにティーカーは言った。
「一体・・・どっちが寂しかったんだろう?」
するとコフィ―は意地悪く笑って見せた。
「普段から貴方が言っているじゃありませんか。死んだら関係ない。生きている時が大事なんだって・・。マリー様も満足だったと思いますよ?」
棺桶の中に収めた寂し気にも感じられる老婆を見ながらコフィ―は言った。分かっている・・・けど・・・。
そう思いながら高く感じられる葬式会場の天井を見上げた。
「どうしたんですか?」
あるお墓の前でじっとしていると、コパルが隣に立って言った。その手には少量の水が入ったバケツが握られていた。
ティーカーは穏やかな顔をしてコパルを見た。
「僕がこの仕事を本格的にしようと思ったきっかけを作ってくれた人のお墓だよ。」
ゆっくりと目を閉じて、ティーカーはあの時の優しい顔が印象的だったお婆さんを思い浮かべた。
このお墓を見ていると、あの時父の言っていることは良いことだったのかもしれない。だって、どんな状態になったとしても一人は寂しいじゃないか・・
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