裏切り
妻高 あきひと
第1話裏切り
黒松兵太郎は武家の息子だ。
長かった戦の世も、大坂の戦が終わってからは一気に国中が静かになりつつある。
下剋上といわれた荒んだ世も去り、世の中も落ち着き始めてきた。
兵太郎の家も一族も大きな犠牲を払って生き延びてきたが、それもこれもすでに過去のものだ。
豊臣方の残党や主家を失ない浪々の身となった者もいまだ多いが、少なくとも大きな戦はもう無い。
徳川の治世に反感を持つ者は多いが、再び軍勢を整えるほどの大物はいない。
信長、秀吉、信玄、謙信、早雲、義元、元就、戦国の世の傑物、偉人たちはすでにない。
これからは、どうやって徳川の世を生き延びていくか、である。
兵太郎の家も元は豪族であり小さいながらも領主であったが、戦の混乱の中で今はより強い者に仕える身となった。
その主家も何度か変わり、今は徳川からみれば傍流の大名に仕えている。
主家の殿様は
「武が働く場所はもはや無い、これよりは文がものを言う。兵太郎もよく学び、よく知り、お家につくしてくれ」
と言われたが、兵太郎は学問よりも武芸のほうが向いていると自分では思っている。
兵太郎には兵太郎なりの文武への見方がある。
「学問ばかりでは武芸はだめになる。じゃが武芸には学問の裏付けがなくば、ただの人殺し芸じゃ。よって文は武に従うべし。違うかの」
と迷いながらも勝手に都合よく思っている。
その兵太郎の身近に数日前から奇妙なことが起きている。
夜中になると寝ている部屋の片隅にボオッとした青い影が現れるのだ。
最初は夢か幻か何なのかこれはと思っていた程度だが、それが段々と人の姿を形づくるようになってきた。
昨日あたりには、はっきりと人だと分かるようになってきた。
それも侍らしき姿だ。
一体誰なのか、妖怪あるいは怨霊か、我が家に何か因縁でもあるのか。
兵太郎はどうしたものかと考えたが、父母に言えば ” 侍の子がそのような幻に惑わされてどうなる、お前は黒松の後継ぎぞ、もっとしっかりせよ ” と言われるだろうと思うと中々言えない。
今のところ悪しきことは起きていないので我慢しているが、この先は分からない。
おそらくあの妖怪は今夜も出るだろうと思いながら、床についた。
やはり気になって寝付けないが、昼間もあれこれやることが多く、若いこともあってしばらくまどろんでいると自然と寝てしまった。
妖怪も害が無ければ睡魔には勝てない。
するとそれを見越したように部屋の隅にその妖怪が現れた。
最初はいつも鬼火のようになって現れるが、今夜は一段と人らしい姿で現れた。
よく見れば顔が分かるまでになっている。
侍であることは間違いない。
髷は落として髪が肩まで伸びているが、大きな顔はやせて頬がこけ、目と眉の間は狭く、鼻は鷲鼻で、口は山桜で唇はタラコをくっつけたように分厚くて横に長い。
褒めどころの無い顔だ。
おまけに神経質な人物らしく何よりも目が小さくて細くきつい。
生きているときも、このまんまの顔では人望も無かったであろう。
普通こういう妖怪は生前は良き人物であり、何かの事情で恨みを抱えて冥界に逝き、後に化けて出てくるものだが、この妖怪はどうも違うようにも見える。
妖怪はボ~と青白い姿で部屋の隅に座って兵太郎を見ている。
兵太郎は寝ている。
子の刻も過ぎた。
兵太郎は気づかず熟睡している。
妖怪は起きない兵太郎にしびれを切らし、口を開けて何やら言い始めた。
「こいつ、わしの気配も分からんのか」
怒り始めた。
やおら前に出て兵太郎の肩をつつき始めた。
「おい、起きよ、腐れ者の息子よ」
兵太郎はまだ起きない。
「恨みは深きあ奴のガキめ、起きんか」
とうとう立ち上がって兵太郎の腰の辺りを蹴った。
さすがに目が開いた兵太郎、目の前に妖怪が立って自分を見下ろしているのにおどろいた。
おどろいたが、そこは侍の子だ。
「とうとう正体を現わしたか妖怪め」
と枕もとに置いていた脇差を抜いて立ち上がり、上段に構えて妖怪に言った。
「われは何者ぞ、何をもって私の前に現れた。貴様のような者に会うたことはない。恨まれる覚えはないぞ」
すると妖怪は言った。
「わしの名は山田勘斎、どうせ知るまい。戦で明け暮れていたころ、わしは貴様の父である黒松朝陽のだまし討ちにあい、首まで取られた。わしが恨むのは貴様の父朝陽じゃ。じゃが貴様は奴の跡取り、まずは貴様から殺して、その後に奴をゆっくりと始末してやるのよ。分かったか小僧」
兵太郎は思った。
戦の世なれば、面従腹背や裏切りはあって当たり前。
またそうでなくば一族皆殺しにさえなっていた世でもあったはず。
多少の恨みつらみはお互い様ではないか。
兵太郎は勘斎に尋ねた。
「わが父はたとえ戦の世であろうとも人の恨みを買う男ではない。だまし討ちにしたとしても事情があるはず。勘斎殿に殺されるにしても、そのしかとした理由を知らねば死んでも死にきれぬ。まずは我が父が勘斎殿をどう騙したのか、それを聞かせていただきたい」
「ならば話してやる、そこへ座れ」
兵太郎は布団を外して畳の上に座り、脇差は抜いたままそばに置いた。
勘斎も兵太郎から少し間をおいて話し始めた。
「すぐることおよそ十八年前、わしは朝陽の申し出を受けて盟約を結んだ。
大事があれば互いに助け合い、領地をともに守りあうことを約束した。
そのおよそひと月後、朝陽は使者をよこし、互いの家臣の親睦をはかり、絆を深めるために力自慢を出し合い、相撲合戦などしようではないか。
その後は酒でも酌み交わせば互いの家臣の絆もより深くなる。
場所は国境の不動原。土俵や桟敷席、幔幕やその他支度は当方でしつらえるので山田殿は奥方殿はじめ家臣の方々もそのままで、酒食はお好みのようにご持参されても構いませぬ。と言うて来た。
我らも異論はなく、わしも家臣の中より力自慢を集め、その日合戦場に出向いた。
互いの家臣のみか領民も見物に集まり相撲は盛り上がり、酒も交わし飲み合った。
日暮れも近い頃にはみな酒も入ってそろそろ近くにしつらえた陣屋に引き上げるかと思うておった矢先、突如戦支度をした朝陽の家臣が現れ、わしたちを襲った。
不意を突かれたわしたちになす術もなく、わしも家臣も酒が入っておったせいで次々と討ち取られ、女房と息子も殺され、首は土俵の上に並べてさらされた。
一方で朝陽は別の軍勢を我が館に差し向け、油断していた我が館は二刻ももたずに焼け落ちた。
わが娘も身内の者ども一族郎党も、みな殺された。
貴様はあのときまだ生まれたばかりじゃった。
あの相撲場で朝陽に抱かれておった貴様を見た。
以来今日まで、わしは貴様が大きくなるまで待っておったのよ。
これよりは朝陽の家、一家一族に憑りつき、みな残らず狂い死にさせてやるわ、覚悟せい」
「それは真か」
「わしはすでに冥界の住人じゃ、嘘偽りは申さぬ」
兵太郎はそんなことがあったのか、と思ったが戦国の世なればそういうこともあろう、とも思った。
父を批判する気もない。
なので言い返した。
「お気持ちは分かるが、戦の世じゃ、下剋上の世でもあったろう。亡くなった方々にはすまぬとも思うが、騙されたそちらにも多少の非はあろう。一方的に恨まれてもな、困りまする」
勘斎も怒った。
「盟約までしたわしを罠にかけ裏切ったのみか、そのガキの貴様までもがわしをバカにするか。この黒松の腐れ者ども、許さん。
今ここで呪い殺してやるわ、わが一家一族の恨み思い知らせてやるわ」
と勘斎が言うと突然廊下側のふすまが開いて朝陽が入ってきた。
「夜中に兵太郎の声がするので何事かと思うてきたら、何じゃ奇怪なそやつは、妖怪か。うん、見覚えのある顔に見えるの、お前は、お前は山田の勘斎ではないか。
あの頃から面妖な面であったが妖怪になって、なおもおかしゅうなったのォ、
このような現れ方をするとは、さても恨み言でも言いに参ったか、わしの前に出ずに兵太郎の前に出てくるとはお前らしいの。兵太郎、大丈夫か」
兵太郎は大丈夫です、と言いながらしばらく前からのことも含めて顛末を朝陽に説明した。
「さようか、さようであったか、こやつはそのような戯言を言ったか、冥土に逝っても悪しき性格は変わらぬの」
朝陽は勘斎を睨んでこう言った。
「お前が兵太郎に言ったことじゃが、ようそこまで嘘が言えるのう。この恥知らずめ」
兵太郎は父の言ったことが以外だった。
見ると勘斎はうつむき加減に気まずそうな顔をしている。
なおも朝陽は言う。
「わしが裏切ったなどとは無礼千万、裏切ったのは貴様ではないか。
盟約を交わした直後から、隣の小池とともに我が黒松をどう滅ぼして領地を手に入れるか、相談していたのはお前ではないか。わしが相撲合戦の話しを持ち込んだとき、これ幸いとばかりに相撲合戦のすんだ夜中にわが家を襲うことを決めたのもお前と小池ではないか、忘れたとは言わさんぞ」
勘斎の視点が定まらなくなっている。
「運良くも小池にいたわしの旧知の者がそれを知らせてくれた。
じゃから騙し討ちされる前に、こちらが先にお前とその一家一族を騙し討ちにしたのじゃ。それを何をもって今さら兵太郎を呪い殺すじゃ、逆恨みもええ加減にせい」
勘斎は下を向いたままだ。
兵太郎は言った。
「なんじゃ、そちらは逆恨みではござらぬか」
すると勘斎が吠えた。
「やかましい、わしと一家一族を殺したのは朝陽であることは確かじゃ、そうであろうが」
「じゃから今言うたであろうが、殺される前に殺したのじゃ、何が悪い」
「そ、それは、小池も滅ぼしたではないか」
「滅ぼして当たり前じゃ、お前と姦計を謀り、我が家と一族をだまし討ちにしようとした報いじゃ。お前を殺した後で、その旧知の者に謀反を起こさせ小池も攻め滅ぼした。旧知の者は今は小池に代わってあの辺り一帯を治めておるわ。我らのどこが間違っておるか、言ってみよ。我らをそうさせたのは勘斎よ、貴様であろうが」
勘斎は返事ができない。
朝陽は重ねて尋ねた。
「なにゆえ我が家に化けて出たのか、逆恨みにしても合点がいかぬ、どういうことか説明せい」
勘斎は半泣きになった。
「あいすまぬ、許せ、つい、つい黒松の家が羨ましゅうての、妬みじゃよ。
うっぷん晴らしに兵太郎も亡き者にしようと思ったのじゃ。
ゆるせ、なんならわしの首を取ってもよいぞ」
朝陽が言った。
「死んで化けて出ているもんの首を取ってなんになるか、おのれも腹立たしい奴じゃのう、あきれ果てたとはお前のことじゃ」
「してはならぬことをしてしもうた。許せ、二度と再び現れはせぬ」
と言うと勘斎はポッと簡単に消えてしまった。
朝陽が言った。
「都合が悪くなるとさっさと消えよる、あいつの性格はちっとも変わらん。
しかし妖怪やら何やら知らぬが、化けて出たほうが謝って詫びを入れて姿を消すとはの、初めて見たわい。謝る妖怪か、兵太郎笑い飛ばしてやれ」
兵太郎は笑いながらも自分なりに考えていた。
そして朝陽に言った。
「旧知の者とは、勘斎に代わって領地を支配しておる斎藤殿でありましょう。
すなわち旧知とはいえ、斎藤殿は父上の意向を受けて働いていたのではありませんか。
勘斎と小池が組んでおったことも以前からご存じだったのでございましょう。
父上、ひょっとして寛斎と小池の動きを読みながら、相撲合戦も最初からそのつもりで申し込まれたのではありませぬか。
こうすれば勘斎と小池は必ず動くであろう、さすればその先手を打って勘斎と小池をまとめて・・・で勘斎の領地と小池の領地も・・・
父上、いかがでありましょうや」
朝陽はそれには答えず、部屋にもどっていきつつ言った。
「明日は鮒釣りに行くゆえ、そちも一緒にこい」
朝陽の背中が笑っていた。
兵太郎も布団に潜り込み、そして笑っていた。
その後、冥土の噂によると、勘斎は小池に久方ぶりに会いにいったものの、小池は苦虫を噛み潰したような顔で無言で勘斎を追い返したという。
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