第37話 プロポーズ

 利樹が連れてきた少女は、自分はまどかという名前だと告げた。なぜ、あの川の傍らに自分が倒れていたのか、一体何処からやって来たのか、彼女に色々聞いてはみたが自分の名前以外の事はなにも覚えていないという事であった。


 ただ、利樹達との意志疎通いしそつうは普通に出来るので日常生活に支障は無いようだ。警察にも一応は届けをして身元を調べてもらったが該当するっ届出はどこにも無いという事であった。彼女の記憶が戻るか、身元が判るまでは利樹とその両親が身元引き受け人として面倒を見る事になった。


 初めの頃は、利樹の両親は息子がいきなり連れてきた女に困惑した。日頃から女気がない息子だと心配していたらいきなり家に見ず知らずの女を連れ込んできた。しかもその女は記憶喪失で身一つ何も持っていない。なにか悪いことでもして逃げているのではないかと疑っていた。しかし、目を覚ました彼女と数日一緒の生活を共にした結果、まどかの性格、容姿、器量の良さを両親はひどく気に入りいつまでも家に居て良いとまで言いだした。なんだか昔話のようだなと利樹は笑った。さらに月日が経過するうちに俊樹の両親はまるで自分達の娘のように可愛がるようになっていた。女っ気の無かった近藤家に花が咲いたかのようであった。


 利樹には、二人の弟達がいた。

 九つ下で小学生の三男坊は、まどかに特別懐ついていて彼女の気を引くために、あれやこれやと悪戯いたずらを仕掛ける。まさに子供が好きな女の子に悪戯をする。誰が見てもその典型的な行動であった。まどかはそれに時には怒ったり時には笑ったりの日々を過ごした。まどかも彼を実の弟のように可愛がり、買い物に行くときも


 もう一人利樹の二つ下の次男坊は、人見知りの性格で友達が少ない。

彼も利樹と同じ母の弟が立ち上げた会社で上下水道の配管工事を仕事としている。ちなみに彼らの父親も同じ会社の従業員である。彼は利樹のように車を所有する気はない様子で、いつも利樹の助手席に座って一緒に仕事へ出かけるのが日常であった。その次男坊の、唯一の趣味が写真撮影である。彼は働いた給料でカメラを買いフイルム代金と現像代金に浪費していた。元々は風景を撮るのが彼の趣味のようではあったが、最近は隠れて『まどかコレクション』を制作することに密かな喜びを感じている。彼は家族やまどかに見つからないように、アルバムを作成し夜な夜なそれを眺めては妄想にふけっている。


「なに!これ!いやだ!!」ある日、掃除をしていたまどかが、彼の大切に隠していた『まどかコレクション』を発見してしまった。「没収!!」まどかは、顔を真っ赤にして怒った。次男坊の宝物は彼女に言葉通りネガごと没収されてしまった。

 彼はそのコレクションが無くなった失望感でしばらくその場に呆然と立ち尽くしていた。彼の手元に残ったのは、小学生の弟のイタズラに怒ったまどかが膨れっ面をした顔の一枚だけだった。


 この写真を写した時は、まどかの茶碗の下にゴムでできた昆虫のオモチャを隠していたというものだった。まどかがご飯を食べようと左手で茶碗を持ち上げると猛烈な悲鳴をあげた。


「ぎゃーーー!!!!」次男坊は、カメラの手入れをしているふりをして、まどかの怒った顔を撮影した。怒りが頂点に達していた彼女は、写真を撮られた事に気がつかなかったようだ。この時の写真を誰にも見つからないように次男坊は後生大切に保管した。


 ある日、近藤家三兄弟とまどかは、利樹のミニカで夏の海に出かける事になった。テレビ番組で海水浴の話題が取り上げられているのを見て「海が見たい」とまどかが言ったからだった。


 最近、まどかは近くの幼稚園で見習い先生としてアルバイトを始めた。園児達は本職の先生よりも、まどかに懐き彼女の言うことは全て素直に聞いているそうだ。それによってやっかみもあるようだが、園の行事になぜか父兄のお父さん達が積極的に参加してくれるようになったと園長先生達は喜んでいるそうだ。彼女は、働いた自分の給料で赤いビキニの水着を買った。


 少し派手かなとは思ったが、今はこれが流行りだという店員の言葉にのせられた。程よく成長した彼女の身体はそのビキニが似合う大人の女性になっていた。水着の購入に付き合った利樹は四六時中鼻の下を伸ばしていた。


 ミニカは海水浴場に到着した。ここは、この界隈ではメジャーな海水浴場。

 電車の駅もすぐ近くにあるので、少し遠い場所から学生達も気軽にやって来れるこの辺りでは超人気スポットである。着ていた服を脱ぎ捨て、水着姿になり海水浴を楽しむまどか達。


 まどかが浜辺に足を踏み入れた瞬間辺りの男性達の視線は一気に彼女に注がれた。一部の男女カップルの女性は他の女を見てデレデレする自分の相手を見て怒っているようであった。その様子を見てなぜか利樹は鼻高々であった。


 三男坊がまどかにおねだりして砂の城を一緒につくる。次男坊は密かに持参したカメラで、まどかを隠し撮りする。まどかに見つからないように彼女を色々なアングルから撮影する。後日この写真も見つかり没収されたことは言うまでもない。


 利樹は、泳ぐ事を忘れてひたすらまどかの水着姿に見惚れていた。なんて彼女は可愛いんだ。こんな綺麗な光景今まで自分は見た事が無い。一人そう呟いていた。


 たくさん遊んで、日が暮れそうになった海岸。まどかは、利樹とふたり浜辺を歩き水平線を見ながら呟いた。「一緒に来たかったね……」それは誰にも聞こえないような小さな声であった。

「え?何?」すぐ隣を歩いていた利樹にも彼女が何を言ったのかは解からなかった。

「ううん、何でもない。今日は最高に楽しい1日だったって言ったの」まどかは、後ろに手を組み頭を傾げて微笑んだ。

『か、かわいい!本当にかわいい!!』利樹の頭の中でその言葉がリフレインされていた。


 それから一年程過ぎ、まどかが近藤家の家族としてすっかり打ち解けた頃、利樹はずっと秘めていた彼女への思いを打ち明けようと決心した。それはこの一年以上前からずっと考え続けていた事であった。

「ぼ、僕とけっ、結婚してくれないか!きっと、幸せにするから!」利樹は、精一杯の誠意を込めて、まどかにプロポーズした。利樹は前の夜、緊張のあまり眠る事ができなかった。


 「俺の為に味噌汁を作ってくれないか?」いや結構作ってもらっているし・・・・・・、「俺達のベビーを見たくないかい?」これは変態みたいだし・・・・・・・、「アイラブユー」アホか・・・・・・。色々な甘い言葉を考えたりもしたが、結局のところ彼はスタンダードな告白の形に落ち着いたようだった。それに対するまどかの返事は、利樹の生涯最大の勇気を振り絞った告白に対して、呆気ないものであった。


「こんな私で良かったら……、お願いします」まどかは、笑顔で利樹のプロポーズを受理した。まるでその返答は初めから決まっていたように、彼女は一切考える事無く即答をした。利樹はその場で飛び上がると、まどかを力一杯ぎゅっと抱き締めた。彼女も答えるように幸せそうな笑顔を見せた。


 まどかへの、プロポーズは成功したものの、収入と蓄えの少ない利樹は、結婚式をする事が出来ない事に気がついた。まどかには申し訳ない気持ちで一杯になった。そんな利樹の気持ちを察してか、彼女は両親も知り合いのいない自分には結婚式など要らない。でも、その代わりに二人で一緒に写真を撮りたいとお願いをした。


 もちろん利樹には、それを断る理由もないので快く快諾した。

 利樹の両親は、彼ら二人の結婚に両腕を上げて大喜びをしていたが、利樹の二人の弟たちは複雑な表情を浮かべた。


 次男坊は部屋に引きこもり、三男坊はワンワンと泣き出す始末であった。

 近隣でも、まどかの事は話題になっていて、うちの嫁にとアプローチするあちらこちらの男性達が後を断たない状況であった。ある者は大きな宝石を持って、ある者は自分が大財閥の御曹司であることをアピールしてくる。それをまどかは、全く興味のない様子で片っ端から断っていた。近所では昭和のかぐや姫とちょっとした話題となっていた。


 間近で見ていた利樹は、まどかが金も地位も無い自分の求愛を受け入れてくれるのか不安であった。そのせいもあってずっと自分の気持ちを彼女に伝える事を躊躇していたのだった。二人が結婚することは、瞬く間に町内に知れ渡り、男達の間では仕事が手につかないなどの苦情が殺到したようだ。


 まどかはずっと泣き続ける三男坊の頭を優しくでながら微笑んだ。

「ごめんね。でもね私達はどこにも行かないから・・・・・・、本当の家族になって今までと変わらずにずっと一緒に暮らせるんだよ」まどかのこの言葉で三男坊は元気を取り戻した。



 ミニカに乗り込み目的地へ向かう、新婚夫婦。

 まどかと出会ったあの日から、数年が経過し利樹のミニカは傷だらけになっていた。

 その後部座席は、仕事道具で溢れており仕事で使う油の独特な匂いが染み付いている。

「ちょっと、この車暑過ぎない……?エアコンが効いてないんじゃないの?」まどかは黒い上品そうな着物を着ている。手で扇ぐような仕草で顔に風を送り暑さを紛らわせているようだ。利樹は、上等な着物を着たまどかを見て、いつもと違う艶やかさに、鼻の下を伸ばしながら釘付けになっていた。彼は車の運転を誤らないように、雑念を振り払い運転に集中する。

「エアコンだって?車にエアコンなんてあるはずないだろ!エアコンなんて贅沢品、家にだってないや!」自分の愛車の悪口を言われたような気がして利樹は口を軽く尖らせた。

 彼は黒の燕尾服を着ている。こんな正装をしたことが皆無の利樹は、首元が苦しいようで何度もワイシャツと首の間に指を差し込んだ。


 二人は、結婚記念の写真を撮影してもらう為に、写真館に向かっている。二人の着ている服は、この日の為に利樹の母が準備したものだった。


「でも、燕尾服と着物って可笑しくないか?」利樹は、まどかの首筋に流れる汗を見ながら言った。


「いいじゃない、なんだかそれも私達らしくて……」まどかは、どこか遠くを見ながらそう呟いた。

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