第36話 ミニカに乗って

 近藤利樹は、太陽の光が照りつける川の土手を買ったばかりの愛車「三菱 ミニカ」に乗って1人ドライブしていた。本日、彼の仕事は休みである。


 雲ひとつ無い空に彼の気分は晴れやかだった。新車のボンネットが太陽の光を浴びて正に輝いているという感じであった。今はこのミニカに出来るだけ乗っていたいというのが彼の願望であった。ただひとつ残念なことは、この愛車ミニカの助手席に座らせる女性はまだいない。彼は明るい性格ではあるのだが、女性を前にすると極度に緊張して会話もままならなくなる。もうすぐ二十歳になろうという年齢にも関わらず彼女が出来た事が一度もなかった。真新しいシートを、利樹は愛しそうに触った。まだ誰も頭を凭れかけたことの無い新しいヘッドレスには新車であることを意味する透明なビニールがついたままであった。このビニールを取る勇気が彼には無かった。


 中学校を卒業してすぐに彼は就職の道を選んだ。家庭があまり裕福では無かった事と学生のころは素行が少し悪くて両親にも迷惑をかけていた。学校を卒業して出来るだけ早く家族の生活を良くする。それが彼の親への恩返しだと思っていた。彼は親戚の叔父が経営せいている水道工事の会社へ職人として就職をした。水道の配管工事を仕事としている利樹にとって、工具・配管を常備運搬する為の自動車は必須。車が無ければ持っている誰かの助手のようについていかなければならない。独り立ちするには運転免許証と車は無くてはならないアイテムであった。


 しかし、勤めている会社は従業員用に高価な車など支給してはくれない。利樹はここ何年間かの少ない給料をやりくりして家計も支えながらこの白い三菱ミニカを購入した。この綺麗な車の中も、そのうち仕事の道具で、一杯になるのであろう。彼の友人の中でも二十歳そこそこで自動車を所有しているものは珍しい。まあ、軽自動車である事は若干残念ではあった。本当の事を言うと日産のスカイラインに憧れたが、値段に手が届かないのと、車体が仕事向きでは無いことで断念した。それでも、あまり人に誇れる物の無い利樹にとって、このミニカは唯一の自慢だった。


 しかし暑い、暑すぎる。このミニカの中は灼熱地獄といってもおかしくないくらいの温度であった。


「ああ、もう死にそう……」言いながら、ミニカのブレーキを軽く踏み減速し、川の土手にある駐車スペースに停まった。ドアに設置されているノブをクルクル回す。それに連動して、窓ガラスがゆっくりと開いていく。


「おっ、窓を開けると結構いい風が吹いてるんだな」ミニカの窓から身を乗り出して、土手を吹く風を感じながら、首からかけていたタオルで、額の汗を拭った。少しだけミニカの車内の気温も落ち着いたようだ。


「ん?あれはなんだ」利樹は、小指で鼻の穴をほじりながら、川のほとりに目を移す。


 岸のすぐそばに人が倒れているように見えた。くそ暑くて川で水遊びでもしているのかと一瞬思ったが、どうやらそうではないらしい。人がうつ伏せになって倒れているようだった。その人は身動きをする様子はない。

 利樹は、慌ててミニカを止めてからドアを開いて社内から飛び降りると、土手をかけ降り川のほとりに近づいていった。


 白い上下のワンピースを着た女性がうつ伏せの状態で倒れている。


「だ、大丈夫ですか!?」声をかけるが反応がない。少し衣服は濡れているようだが溺れたという感じではなかった。


「まさか死んでるのか?」警察に知らせる事も考えたが、このままこの場所を放置してもいいものかと躊躇する。


「う、ううん」唐突に女から、うめきのような声が聞こえる。


「い、生きている!」利樹は倒れている女の身体を仰向けにして、頭の後ろに手を回して体を抱き上げて意識を確認する。


「お、重い!」力が抜けた人の体はその体重以上に重く感じる。彼女の胸元に視線を送り、その膨らみに一瞬恥ずかしがるが、そんな場合ではないと気を取り直し、呼吸をしているか確認する意味で優しく手を触れる。


 胸の辺りがゆっくり上下した。確かに息をしている。生きている事を確認し安堵すると同時に利樹はその女の顔に釘付けになった。


「なんて、綺麗なんだ……」まさにそれは一目惚れだった。利樹は、持っていたタオルを川の水に浸し、強く絞ってから女の顔についた汚れをかるく拭き取ってから額にのせてあげた。その頬は利樹が今まで触れた事のない繊細で柔らかいものであった。少しだけ楽になったのか彼女がフーっとため息をついた。彼女の放つその甘い吐息に利樹は驚く。


 このまま、この場所にいては、日差しの厳しさが体に悪いだろうと思い、意識の戻りそうのない女の身体を両腕で持ち上げると、ひとまずミニカの後部座席にゆっくりと寝かせた。

 ミニカに初めて女性を乗せたと少しテンションが上がる。そんな場合ではないと、利樹は頭を左右に振った。


 よく見ると、女の体には細かい傷、ケガがあるようなのでバイ菌が入る恐れがあると判断し、治療をする為に家に連れて帰ることにした。

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