第32話 疑 惑

 まどかは昼間、睦樹の叔父から貰った日記に目を通していた。どうやら、その日記は、まどかに出会う少し前から睦樹の手によって、書かれた物のようだった。


 当時の奥さんである幸恵、今のまどかの母と喧嘩したこと。お婆さんが施設に入るので実家に荷物を取りに行ったら自分母さんの写真を見つけた事。


 雨の日に女の子に出会った事。その女の子に会うことが楽しくなっていく様、そして、デートをすっぽかされた事。自分は振られたんだと思い酷く落ち込んだみたいだ。この辺りを読んで自分と同じ思いを彼もしていたんだと思うと胸がキュンと締め付けられような感覚になった。

 まどかはその日記を読んで泣いたり笑ったりを繰り返していた。そこには睦樹の思いが全てが書き綴られていた。


 その中にはまどかへの思いも……。


『久しぶりに本当に人を愛しく感じたような気がする。もっと早く出会えていれば……、いや、俺が遅く生まれていれば……、それは無意味な事なので、考えないようにする』まどかは更に胸が締め付けられるような思いになった。まどかは睦樹の思いとは逆にずっともっと早く生まれていればと何度も思ったものだった。しかし、母が言うように睦樹と自分が本当に親子であったのなら……、それは望んでも仕方のない事である事は頭では理解出来ているつもりである。でもその気持ちを押さえられない自分がいることも彼女は感じている。


 日記を読み進めるうちに彼女はあるページでまどかの手が止まる。


「これは、どういう事……なの?」まどかはその一文に釘付けになった。読みながら、彼女は大きく瞳を見開いた。


『今日、病院に先日の検査の結果を確認に行った。結果は残念ながら予想していた通りだった。子供の頃にかかった高温の発熱のせいで、精巣に異常があったようで俺には子供を作る能力はないらしい』まどかは絶句する。さらに日記を読み進めるうちに色々な事が判ってきた。結婚をしてから早く子供を欲しいと望む二人だったが、全く子供が出来る気配が無い事が原因で夫婦仲が悪くなっていった。親族に子供は出来ないのかと聞かれる事が二人には苦痛になっていたようだ。そんな中妻には内緒にして睦樹は一人病院で検査をしていたらしい。そして出た結果は……、無精子症。

 

 そのページを見たまどかは日記を床に置いてから魂が抜けたように体の力を無くして天井を見つめた。

「子供の出来ない身体……、なら、私は……、お父さん……、いいえ睦樹さんの娘じゃない……の……」混乱した頭の中を整理しようとする。それならば、なぜ、母はまどかが睦樹の子供だと言ったのか?なぜ、そんな嘘をつく必要があったのか?


 そして、別れ際に聞いた、睦樹の叔父が小さな声で呟いたあの言葉が……。今、鮮明に甦る。


『本当に、睦樹の娘なのか?』


 そうなのだ。叔父は知っていたのだ。睦樹が子供を作れない体であることを……。それでも彼の母の面影によく似たまどかを見てもしかしてという気持ちになったのかもしれない。他に何かヒントが無いか睦樹の日記を床から拾い上げて読み進める。日記の中に見慣れた名前が出てくる。その名前を見てまどかの目は動きを止めてしまう。


『一馬』それは、まどかの養父と同じ名前。


『今日も、幸恵は出掛けて行った。きっと一馬に会いに行ったのであろう。子供の出来ない自分には二人を責める資格はない』その文章を綴るペンは動揺で震えているようだった。まどかは、激しい衝撃を受ける。色々な思考を巡らせ、まどかはある結論にたどり着いた。


 そう、まどかの母幸恵は睦樹が生きている時、既に別の男小林一馬と愛密の日々を重ねていたのだ。そして二人の間に子供が出来た。その矢先睦樹が病院で亡くなった。そして、愛人との再婚。しかし、授かった子供の妊娠期間の計算が合わない。世間体を考えたのだろう、生まれた子供の父親は前夫である事にした。幸恵の態度からすれば、睦樹の身体の事を幸恵は知らなかった筈なので、まどかが睦樹、一馬どちらの子供なのかは解らなかったというのが本当のことであろう。


 ここまで、考えが到ったところで、まどかはあの日の母の姿を思い出した。


 まどかに、睦樹が父親だと告げた日。母は震えていた。まるで何かに怯えるように……。あの震えは亡き夫が不浄をした妻に復讐に来たのではないかという恐怖から来る怯えだったのではないのか。そう悟った瞬間、まどかは部屋を飛び出しリビングのソファーに座っていた母を罵倒した。その言葉に母は返す言葉も無く、改めて懺悔の涙を流した。そうすべてはまどかが勘づいた通りの筋書きであった。母は若き日の浮気を隠す為にまどかを睦樹の子供であると言い張り育てて来たのだ。


 その日から母は酒に溺れるようになった。そんな母を見て愛想を尽かしたのか、父も家を出ていった。どうやら、父には外に愛人がいたようだった。


 まどかは、そんな母を見て、まさに因果応報とはこの事だと思った。

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