第30話 日 記

 あの出来事から、ほぼ一年の月日が流れた。 

 そしてまた、あの頃のように暑い夏がやって来た。あれからも雨が降ると、まどかは無性に睦樹の事を思い出して彼に会いたくなる。彼女は、あの出来事を忘れられずにいた。いや、彼女は一生忘れる事の出来ないであろう、もはや呪縛となっていると言ってもいいだろう。あの日からずっと、雨が降る度にあの公園に足を運んでしまう。もしかしてあの場所で待ってくれているかもしれない。会える筈の無い睦樹の面影を探しながら……何度も、何度も・・・・・・。


「まーどか」聞き慣れた声が呼ぶ。その声の主を探すと、背後に傘をさした昌子が立っていた。


「なんだ、昌子ちゃんか……」まどかは酷くガッカリしたような表情を浮かべ、肩をガックリと落とした。


「昌子ちゃんかぁ……って、あー、失礼しちゃうな!もしかして、近藤先輩だと思った!?」昌子はお道化たように睦樹の名前を口にする。まどかにすればそんな冗談のように彼の名前を口にして欲しくないと心に思った。


「……」まどかにとって、まだ疑心暗鬼な部分もあるのだが、事件の後昌子から聞いた話によると、彼女は三十年程の昔に交通事故に巻き込まれた事が原因で、タイム・リープを経験してこの時代にやって来たということだ。そして前に暮らしていた時代では、中学生の睦樹と恋人同士だったのだと告げられた。


 突拍子の無い話しではあったが、彼女の話は全て事実に基づいたものであった。昔、事故で亡くなったという睦樹の彼女『篠原昌子』の話。それを母も聞いた事があると言っていた。彼の生い立ちの話、彼との思い出話、まどかの知らない彼の事をたくさん知る昌子に少し嫉妬すら覚えた。


「昌子ちゃん……」まどかは悲しそうな瞳で昌子の顔を見た。その目を見て昌子は悟ったよう語りだした。


「まどか、悲しいだろうけど、これは運命なんだよ。あなたと先輩は本来出会うはずの無い運命だったの。交わる事が許されない……、それは、私も同じなんだよ……」まるで人生を悟りきったような口調がとても女子高生とは思えない。彼女は見た目以上に色々な経験を積んでいるのだなとまどかは思った。いつもふと見せる昌子の大人びた雰囲気はそういう事だったのかと改めて感じた。時間が人を育てるのではなく、経験を通して人格は成長していくものなのだ。


 昌子はまどかの頭を優しくなでた。その優しさにまどかは大粒の涙を流した。


「泣いたら負けじゃなかったっけ?」その涙に誘われるかのように昌子もうっすらと涙を浮かべた。


「私はもう、ずっと前から負けてるよ」そういうと、まどかは大きな声を出してワンワンと泣き出した。


 まどかが、家に帰ると母は、リビングの机の上に腕組みをし、頭を乗せて眠っている。

 その傍らには、空のビール缶が数本散らばっている。一年前のあの出来事から、母はアルコールに逃げ込んでいるようだった。その姿を蔑むような目で見ながら、まどかは階段を上り自分の部屋へ逃げ込むように入った。


 あの後、まどかは昌子の記憶を頼りに睦樹の関係者を探し、彼の叔父が近くに今も暮らしていることをつきとめた。そして、睦樹の叔父さんを訪ねる機会を得た。


 叔父さんは、すでに70歳を過ぎたお爺さんだった。自分が睦樹の娘であることを告げると、最初は驚いたようだったがとても懐かしいと言って歓迎してくれた。彼の話によると、睦樹がと突然の事故で急逝した後、半年ほどしてからまどかの母は今の父と再婚したそうだ。実の子でない他人の子供をまどかの父は認知して育ててくれた。睦樹の叔父はそれに対して感謝の意思を示した。


 再婚を前に、母は前夫である睦樹の遺品の全て洗いざらいを叔父に預けたそうだ。遺品を少し位はもっていたほうが良いのではと叔父は助言したらしいが、母にとって、新しい生活に古い思い出は邪魔だったのであろう。まあ、良いように取れば新しい旦那に気を使ったというとこだろう。


 まどかの叔父宅への訪問は、頻度を増して週に2、3度の割合になっていった。はじめはこんなに家にお邪魔するのは迷惑かなと彼女もおもったが歳を取り話す相手も少なくなった叔父にとっては良い刺激になっているようだった。


 叔父は、まどかが来訪する度に睦樹の思い出の品を見せてくれた。


「これが、睦樹のお父さんとお母さんの写真じゃ」金色の台紙に写る男女の写真。男性は燕尾服を着ている、女性は黒を基調にした着物、その写真をじっくり見て、まどかは驚いた。


「睦樹……、い、いいえ、これはお父さんじゃないのですか?」燕尾服の男性は、亡くなった睦樹にそっくりであった。どう見てもまどかの目には睦樹にしか見えなかった。少し違うところといえば、睦樹よりも少しお調子者ぽい印象を受ける。


「そうだろ、睦樹はお前のじいさんにそっくりだったんだ……、それに」言いながら叔父は、隣に写る女性の顔を指差した。


「こっちは、びっくりする位あんたにそっくりだ……」なんだか懐かしそうに叔父は、まどかの顔を見た。そう言われて見てみた写真の中にいる睦樹の母はまどかと同一人物ではないかと疑うほど似ていた。


「……!」それを見たまどかと昌子は絶句していた。それは似ているというレベルではなかった。そこに写っている睦樹の母は、この一年で女として成長したまどかそのものであった。


「世の中には、3人瓜二つの人がいるとよく聞くが、あんたは兄貴の嫁さんに、本当にそっくりだ。今、こうして話しをしていたら声もそっくりで驚いた。本当に昔に戻ったような気分になるわ。まあ、あんたのお婆ちゃんになるから似ていてもおかしくはないかな」叔父は、写真を見つめながら、そう言った。その眼は愛情に満ち溢れたような眼であった。まどかは、この叔父が睦樹の母、まどかの祖母に、淡い恋心でも抱いていたのかなと感じた。その後も叔父は睦樹の思い出話をたくさん話してくれた。そして睦樹の両親のことについても……。


 睦樹の母親が近藤家にやって来た話、そして彼の父親と二人の馴れ初め。そして睦樹の両親が外部の者のタバコの不始末で亡くなった事、祖母の話によるとそれは近所に住んでいた不良学生によるものだという事、両親が亡くなった後、祖父母が彼の世話をしていたが、病院に連れていくのが遅れて発熱により死にそうになった話。中学生の時に仲の良かった女の子が亡くなった話。この話が出た時、たまたま一緒に訪れていた昌子は出されていた硬い煎餅をかじりながら天井を見つめていた。


「今日は、ありがとうございました。お父さんの話をたくさん聞けて楽しかった」まどかと昌子は精一杯のお辞儀をして失礼しようする。

「ちょっと、待ちなさい……」叔父はそう言いながら一冊の本を差し出した。古びた表示に文字が書かれている。


『Diary note』


「日記ですか……」まどかは恐る恐るそれを受け取った。

「それは、睦樹の日記じゃ。幸恵さんが持ってきた荷物に紛れ込んでいたんだが……、渡して良いものかどうか迷ったんだが、ワシが持っていても仕方がない。たぶん幸恵さんもその日記の事は知らんと思うがな……」


「へぇー、面白そう」横から昌子が興味津々で覗いている。その視線から、日記を隠すようにまどかは、引き寄せた。


「本当に、これ私が貰ってもいいんですか?」まどかは大切そうにその日記を両手で抱きしめた。


「ああ、ワシのような老い先短いワシが持っているよりも、あんたがもっているほうが、睦樹も喜ぶだろうよ」叔父はそう言うと右手を上げて手刀を切った。


「ありがとうございます」まどかと昌子はもう一度深々と頭を下げてからその場を、去ろうとする。その背後で叔父は、聞こえるか聞こえないか分からないような小さな声で、その言葉を発した。


「……ところで、あんたは本当に睦樹の娘なのか?」

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