第117話 おい、俺にもやらせろよ

 試合も無事に終わり、ライもわだかまりが無くなった。だが、まだ終わりではない。稽古場にいた人間は二人の会話を聞いている。それこそ、アルが話していた内容もだ。

 そして、この場には元凶といえばいいのか、黒幕といえばいいのか、そのどちらでもある皇帝ノアがいる。彼は稽古場にいる三人の元へと近付いた。


「皇帝陛下……」

「まさか、気付かれていたとは思わなかった。いや、それよりもすまない。君にはいらぬ苦労をかけてしまった」

「いえ、お気になさらず。陛下が懸念するのも仕方なきことですから。悪いのは誰でもない。強いて言えば悪いのは魔族です。あいつ等さえいなければ誰も苦しみはしなかったはずです」

「そう言ってくれるとこちらとしても助かる。しかし、君を騙していたのは事実だ。この老いぼれの頭でよかったらいくらでも下げよう」

「陛下ッ!」


 皇帝ノアが頭を下げる。それを見ていたダリオスが駆け寄って止めようとするが、ノアは頭を上げない。

 異常な事態である。いくら皇帝に非があったとしても、たかが勇者のアルに対して皇帝が頭を下げるのはあり得ない。いいや、あってはならないことだ。


 しかしだ。ここには勇者しかいない。皇帝がアルに頭を下げているのは異常な光景だが、それを指差すような者はいない。この場に貴族でもいたのなら、話は別だろうがそのような者はいないのだ。


「それで十分です。皇帝陛下に頭を下げてもらっただけで十分ですよ」

「それだけでいいのかね?」

「陛下はこの国、いいや、この世界で最高位の御方です。そのような御方が勇者とはいえただの村人に過ぎない俺に頭を下げてくれたんです。それ以上は高望みでしょう。それに肝心の復讐はこいつがしてくれますし」


 そう言って指を差した方向にはライが立っている。彼ならば、彼こそが人類の切り札。そして、アルとミクの意思を背負い、家族の仇を討つ復讐者。聖剣と魔剣に選ばれし、人外の領域へ踏み込んだ男。


「そうか……。ならば、私ももう一度頭を下げよう。君に全てを託す。どうか、人類を救ってくれ」

「……俺はそんな立派な人間じゃありません。ただ両親の仇を討ちたいだけのちっぽけな男です。ですが、守りたいものも出来ました。その為なら俺は全力を尽くすつもりです。全身全霊、この命が尽き果てるまで戦います」

「ふっ……なんとも心強いな」


 力強いライの言葉を聞いてノアは儚げに笑う。彼ならば、本当に世界を救ってしまうだろう。それがたとえ大義名分のものでなく、個人の復讐によるものだとしても結果的に世界が救われるなら、それで十分だ。


 これにてアルとライの試合も終わり、解散となるかと思われたがただ一人だけ納得のしていない男がいた。クロイスである。彼はどうしても納得できなかったのだ。

 彼はライの元へと歩み寄り、不満そうな顔をして声を掛ける。その瞳は敵を射貫く時と同じようなを目をしていた。


「次は俺と勝負してくんねーか?」

「へ? どうしてですか?」

「納得できねえのよ。アルは雷槍無しでも十分に戦えるが、お前さんはどうなんだ? 悪いが俺はどうしても確かめないと腹の納まりがつかないんだわ」

『ああ……。彼は主が我等の力頼りに戦っているのだと思っているのだろうな』

「(そういうことか。戦った方がいいのかな?)」

『戦う以外に納得させる方法はないかと……』


 クロイスが絡んできた理由をある程度察した三人は悩むことなく、答えを出した。

 彼の言う通り、魔剣と聖剣無しで戦えることを教えればいいだけ。ならば、条件を飲んで戦おうと決めた。

 なんのメリットもないが遺恨は残しておきたくない。それにクロイスが悪い人間でないことは見ればわかる。彼はアルの努力を近くで見て来たのだろう。だから、納得していないのだとライは悟った。


「わかりました。そういうことでしたら、戦いましょうか」

「ほう? えらい余裕だな。よっぽど自信があるらしい」

「余裕なんてないですよ。でも、そうしないとクロイスさんは納得できないんでしょう?」

「まあな。わりいな、面倒な奴で」

「いえ、アルの事を大切にしてるって分かりましたから」

「……ちょっと面倒見てるだけさ」

「それでいいですよ。すぐに始めますか?」

「俺は構わないが、そっちは休まなくていいのか?」

「問題ありません。それに戦場ではそのような事言えないでしょう? 疲れていたから本来の力が発揮できなかったとか。言い訳にもなりませんよ」

「言うじゃねえか。なら、遠慮なく行かせてもらうぜ?」


 というわけで、ライは休む間もなく次の試合へ。対戦相手はクロイス。聖弓の勇者として活躍している猛者だ。もっと言えば、ダリオスの次に勇者として活動し始めた古参でもある。つまり、かなりのベテランだ。

 弓の腕だけでなく武芸に秀でており、剣や槍なども扱うことが出来る。その中でもっとも得意なのが弓だっただけで、クロイスは聖弓以外にも選ばれてもおかしくない逸材だ。


「全く……。言っておくけど、ライは魔剣や聖剣抜きでも強いわよ?」

「それはやってみなきゃわからねえじゃねえか」

「無駄だと思うけど……。いいわ、ライ。初手で沈めなさい」

「え……ッ!」

「何よ、出来ないの?」

「いや、だって、クロイスさんも強いだろうし……」

「私は勇者全員の実力を知ってるわ。クロイスは腹立たしい事に武芸全般に秀でた勇者よ。剣以外で勝負すれば私も勝てないくらいね」

「じゃあ、初手で決めるなんて無理だと思うんだけど……」

「馬鹿ね。魔剣と聖剣は禁止されてるけど、闘気の使用は禁止されてないでしょ」

「まあ、そうだけど……」

「なんだ? 俺相手には闘気無しで十分だってか?」

「そうではないんですけど……」


 少しライの態度に腹を立てたのかクロイスが問い質していると、稽古場の外で見守っていたヴィクトリアが口を挟んだ。


「クロイス。そいつ、闘気無しでも強いぞ」

「はあ? 冗談だろ?」

「いや、アタシ戦ってるから知ってるし。そいつ、素の身体能力だけでも化け物だから」

「マジか?」

「え~っと……」


 気まずそうに頬をかいているライはクロイスの問いに渋々ながらも頷いて見せた。

 ヴィクトリアの言う通り、ライは度重なる死闘で魔剣に何度も体を再生してもらっているので一般人とは強度が違う。たとえ、勇者に選ばれているクロイスだろうと体の強度はライに敵わないだろう。


「お前、マジで闘気無しでヴィクトリアに勝ったのか?」

「…………はい」


 悲しい事にライは魔剣と聖剣がなければ闘気や魔力は扱えないので、素の身体能力で戦わなければならない。ただ、それでもヴィクトリアには勝利しているので、ライの異常さがよくわかることだろう。


「……棄権していい?」

「クロイス。ここまで来て、それはないだろう」


 稽古場の外でクロイスの情けない発言を聞いていたダリオスが呆れたように溜息を吐いた。その傍らではヴィクトリアが、自分と同じ目に合えばいいのだと笑っている。どうやら、彼女は仲間が欲しいらしい。

 クロイスも啖呵を切ってしまった以上、後には引けない。闘気無しでヴィクトリアを完封したライと戦うことになるクロイスは自身の浅はかさを呪う。


「はあ~。俺が馬鹿だっただけか……」

「あの、やめますか? 俺はいいですけど」

「バッカ! お前、こんなところでやめてみろ! もっと酷い目にあっちまうわ!」


 まあ、啖呵を切ったくせに話を聞いて情けなく逃げたとなれば、間違いなく馬鹿にされるだろう。下手をしたら噂になってしまうかもしれない。人の口には戸を立てられないのだから、どこで漏れるか分からない。


「アリサ……。始めてくれ」

「はいはい。じゃあ、双方準備はいいわね?」

「ああ」

「おう」

「それじゃ、試合開始!」


 アリサの手が振り下ろされたと同時にライは全速力で駆け出す。地面の砕ける音がクロイスの耳に届いた。

 その音を聞いたクロイスはライから目を離さないようにしていたが、到底追い切れるものではなかった。

 気が付いた時には背後にライが立っていた。振り向くことすらできずにクロイスはライに腰を掴まれて、そのまま後ろへ仰け反るように地面へ叩き付けられる。


 見事なジャーマンスープレックスが決まった。それはそれは綺麗なジャーマンスープレックスである。それを見ていた勇者達は渇いた笑みをしていたが、シエルだけはとても目を輝かせて興奮していた。

 彼女はもう慈愛に満ちた聖女ではない。色を知り、力こそがこの世の真理だと危険な思想に覚醒めざめ始めているステゴロ聖女なのだ。信者達が泡を吹いて倒れるのもそう遠くはない。

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