第98話 泣~かした~泣~かした~、先生に言ってやろ!
稽古場にやってきたライと褐色銀髪の美女。正四角形の稽古場にライと褐色銀髪の美女は向かい合う。彼女は稽古場にいた兵士に自身の武器を持って来させた。
「あんだよ? 何ジロジロ見てんだ!」
「いや、その、それは?」
「ああ? 見て分からねえのか!」
いちいち喧嘩腰な彼女は籠手と脚具を着けている。それは金属製ではなく稽古用の木製であった。
ライはその装備を見て不思議そうにしている。あの装備で戦うのだろうかと。そもそもアレが武器なのだろうかと困惑していた。
「なんだ、お前? もしかして、これで戦えるのか心配してんのか? だったら、そいつは無用な心配だ。なにせ、すぐに分かる」
「そ、そうですか」
『主よ、油断するでないぞ。恐らく彼女も勇者だ』
『ええ。闘気もそうですが纏う雰囲気が並みの兵士とは次元が違います』
「(それは分かるんだけど……。俺、ブラドとエル無しで戦えないんだけど)」
二人はそう言われると言葉が出てこなかい。言われてみればライはこれまでの旅路で魔剣と聖剣無しに戦ったことはない。つまり、木剣を投げ渡されても戦えるかどうか怪しいのだ。
流石にこの場でいつもの如く捨て身の戦法など出来はしないだろう。アレは肉体の破壊を受け入れて再生を計算に入れている。相手が狂人でもない限りは精々打撲程度で終わるはずだ。だから、稽古という場ではライの戦法はあまりにも不適切である。
『いや、待てよ? 今まで考えたことも試そうとしたこともなかったが主の体は変化していると言ったな?』
「(ああ、そうだけど?)」
『ならば、もしかすると今の状態でも普通に戦えるかもしれんぞ』
「(どういうこと?)」
『つまり、人外であるマスターなら闘気を纏った人間とも互角に渡り合えるかもしれないと言う事です!』
「(ねえ、言い方ってものがもう少しあるでしょ? どうして、そんな風に俺を貶すのよ)」
エルレシオンの言いたいことは分かる。しかし、もう少し言葉を選んでから発言して欲しかったとライは嘆いた。いくらエルレシオン相手だろうと傷つく時は傷つくのだ。
『すいません。相応しい言葉が咄嗟に出て来なくて……』
だとしても人外はないだろう。せめて超人とかあたりにして欲しい。そうすればライだって悪い気はしないだろう。
準備を整えた銀髪褐色の美女が拳を鳴らしている。その表情は獰猛な笑みを浮かべていた。まるで、今からお前を叩きのめすと言わんばかりに。ライは彼女に睨まれて、何故ここまで敵視されているのであろうかと呑気に考えていた。
常人ならば彼女に睨まれた時点で震えあがるところなのだが、ライは既に常人の枠にはいない。彼は長い旅路を経て多くの事を学び、沢山の経験を積んだ。
今更、勇者程度の人間に睨まれた程度では怯えるわけがない。
「へえ~。随分と余裕そな
「え? そんなことはないと思うんですけど……」
ライとしては普通にしているだけなのだが、目の前にいる彼女からすれば余裕と見られてもおかしくはない。なにせ、自分と対峙する人間は顔を強張らせるのが普通だったから。
しかし、目の前の人物はどうだ。緊張どころか困惑しているだけであまりにも自然な振る舞いをしている。絶大な自信がある強者か、はたまた何も知らない愚者か。それはすぐに分かることだろう。
「始める前にルール説明だ。まず一つ。闘気のよる身体強化はあり。二つ、金的や目潰しといった反則技はあり。そして、最後。どちらかが戦闘不能及び降参するまでが試合だ」
そのルールだと下手をしたら自身が死ぬことになるかもしれないが、そこは考慮していないのだろう。そもそも、彼女は自身が負けることなど計算していない。絶対に勝つという自信があるのだ。
白黒の勇者と呼ばれているライは所詮聖剣の力でいい気になっているだけだと彼女は推測している。だから、自分はその程度の人間に負ける気は一切ない。ダリオスからライの話を聞いているはずなのだが、彼女は自分の目で見なければ信じない
「覚えておきな。これからお前を叩きのめすのは疾風の勇者ヴィクトリアだってな!」
それが合図となったのかヴィクトリアは目にも止まらぬスピードでライの懐に侵入すると肘打ちを放つ。
「おっと」
「ッ!?」
完全に当たると確信していたヴィクトリアはいとも容易く受け止めたライに目を見開く。数瞬前まで完全に自分を見失っていたはずなのにどうして止められたのか分からない。
「(……見えた)」
『おお、やはり、主は闘気や魔力による強化無しでも常人の域を超えているな!』
『これならば、この方とも互角に渡り合えますね!』
「(……喜んでいいのか、悲しめばいいのか、分からないな~)」
ヴィクトリアは闘気によって身体強化をしている。勿論、小手調べ程度であるので本気ではない。それでもだ、それでも彼女の速度は勇者の中でも随一とされている。本気でなかったとはいえ初見の相手に捉えられるなどあり得ないはずだった。
悲しいかな。これがライではなかったら一発で終わっていただろう。それは間違いない。だが、相手が悪い。常に格上と戦い続けて来たライだ。彼女程度の速さなら既に何度も目にしている。だから、通じるはずがないのだ、彼女の速さは。
「(まぐれなんかじゃない……! 今のは確実に捉えていた。こいつは考えを改めないといけないか。舐めてかかっていい相手じゃない)」
ほんの少し実力を見てやろうと考えていたヴィクトリアだったが考えを変える。この目の前にいる得体の知れない男がどれほどの実力を持っているのか。それを知るために彼女は本気を出すことにした。
「ちょっとばかし、本気で行くよ?」
「え?」
その呟きを聞いたライはヴィクトリアに目を向けるが、彼女は残像を残こして消える。本気の速度だ、彼女の。まるで分身したかのようなヴィクトリアがライを取り囲む。その光景にライは驚いた。
「(うおッ……)」
『おお、これは凄い。驚異的な速さで分身を作っているのか』
『素晴らしいですね。風の勇者。なるほど、確かにこの速度なら納得のいく称号です』
驚いているライと感心している二人をよそにヴィクトリアは打って出る。四方からの同時攻撃だ。ライは残像と本物の区別を付けなければ間違いなくやられてしまう。どうするかとヴィクトリアがライの動向を鋭く見詰めていたら、ライは彼女と同等もしくは上回る速度で木剣を振るった。
「は?」
分身による多重攻撃はあのダリオスにすらも通じた彼女の自慢の技。しかし、目の前のライは自身の速度を上回り、分身をかき消して本体であるヴィクトリアさえも捉えた。
目の前に迫る木剣の切っ先をその瞳に映した彼女は眉間に衝撃が走って上体を仰け反らすと、そのまま後ろに回転して倒れた。
「な、何が……?」
地面に倒れ伏すヴィクトリアは理解できていない。ライが超高速による突きを放ったことを。なんとか立ち上がるヴィクトリアは突きを受けた眉間を押さえながら、ライに向かって声を出した。
「一体何をしたんだ!」
「何って、ただ突きを放っただけなんだけど……」
「ッ……! まさかアタシの動きを見切ってたのか?」
「え? まあ、はい。見えてましたけど」
その一言に愕然とするヴィクトリア。絶対の自信があったはずの彼女は見事に打ち砕かれてしまった。
「あ、でも、速かったですよ! それこそ四天王のヴィクターやカーミラと同じくらいには! その勝てるかどうかはわからないですけど……」
苦笑いしているがヴィクトリアはよくわかっていない。ただ一つだけ分かる。ライに慰められているという事が。ライはヴィクトリアがショックを受けていると知り、彼女を励まそうとしているのだ。決して悪気はないのだが、啖呵を切ってライに勝負を挑んだヴィクトリアにはそれが止めとなった。
「ふぇ……うぇぇええええん!」
泣いた。駄々っ子のように、幼子が叱られたように、びえんびえん泣いている。
まさかの事態にライは大慌てだ。どうしようかと戸惑っていたら、二人の試合を見守っていたアリサとシエルがヴィクトリアの元へ向かって飛び出し、全力であやし始めた。
それからしばらくしてヴィクトリアが泣き止んだのを見てライはホッと息を吐いたのであった。
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