憧憬
シオールが旺盛な食欲を発揮していた。華奢な体格をしているが、胃腸の機能は年齢相応に活発らしい。大盛りに盛られたおでんをたちまち食べ尽すと、空の皿を差し出して、
「御主人、おかわりをお願いします。それと、セーコさんと同じもの…熱燗を僕にもください」
シオールの注文に魚頭亭主は困ったような仕草をした。それを見た私は、
「おでんは好きなだけ食べろ。だが、酒はやめておけ。おやじさん、代わりに炭酸水でもやってくれ」
「どうしてですか!僕はまだ酔ってなんかいない。まだまだ呑めます」
「例えそうだとしてもやめておけ。云うことが聞けんのなら、ここから叩き出すぞ」
シオールはなめらかな両頬を朱色に染めながら、
「セーコさん、僕はあなたを愛しています。異性として、凄く魅力的だし、同じ職業に就く者として、尊敬しています。僕もあなたのような活劇俳優になりたかった。あなたは僕の永遠の大スターなのです」
「それは何だ?何を云っている?気は確かか、魔少年。噴水に放り込んで、酔いを醒ましてやろうか」
が、シオールは私の台詞など、全然聞いていなかった。聞くどころか、いきなり両眼から大粒の涙を流し出し、私を狼狽させた。
「そのあなたが、撮影所といっしょに消滅されると知った時、僕は心臓が砕けるほどの衝撃を受けました。なぜそんなことをおっしゃるのです?お願いです。消えないでください。生きてください。生きて、役者を、コブラガールを続けてください!どんな大女優であろうと、あの役を演じることはできません。彼女を表現できるのは、この世界にセーコさん、あなた一人です!だから…」
「もういい、やめろ」
「セーコさん、僕は…」
「わかったから、やめろ。そんなことを云うために、面倒な芝居を仕組んだのか。まったくおまえという奴は…。おまえのそういうところが、私は嫌いなのだ」
「すみません」
シオールは案外素直に謝った。
「シンカワさんの話も筋書きの内か」
「いえ、参考写真の依頼は本当です」
「ならば良いが、後で嘘とわかったら、噴水行きでは済まんぞ」
「はい。神に誓って真実です」
シオールは溢れる涙を拭おうともせずに、そう頷いた。その眼に偽りの色はなかった。
「よし、信じよう。泣くのはよせ。その有様では会話もできん」
「はい。申し訳ありません」
亭主が提供してくれた豆絞りを受け取ると、シオールは涙を拭いた。
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