酒食
魚頭亭主は、適度に冷えたウイスキーと炭酸水を取り出すと、手際良くハイボールをこしらえ、シオールの前に置いた。因みに、このカクテルのベースは、亭主も愛飲している『ミネ』である。仕事明けに、朝焼けを眺めながら、ストレートで呑(や)るのが、亭主のささやかな楽しみらしい。
「初めて呑んだけど、ハイボールって、美味しいんですね」
とは、シオールの感想であった。
「正式には『ウイスキー・ソーダ』だがな。まあ、なんでもいい。おやじさん、うちの大アイドルに盛り合わせを。私には熱燗を」
「へえ」
「セーコさん、その大アイドルはやめてください」
「なぜだ?かまわんじゃないか、正真正銘のアイドルなのだから」
「そんなこと云って、内心では僕のことを馬鹿にしているんでしょう」
「からむなよ、シオール。もう酔ったのか」
「酔ってませんよ。御主人、おかわりをお願いします」
シオールは一杯目を呑み干しざまに、二杯目を頼んだ。これほど上品に酒を呑む者を私は他に知らない。この少年は生来の貴族なのだ。体力だけが自慢の田舎娘とは何もかもが違うのだ。
「セーコさん」
「なんだ」
「今後の御予定を教えていただけませんか。もし訊いてもよろしければ」
「大した予定はない。とりあえず、静養する。今回の撮影はハードだったからな、さしもの私も疲れた。撮り直しや追加アフレコがないことを確認したら、旅に出るつもりだ」
「どちらに行かれるのです?」
「アテなどない。気の向くまま、風の吹くまま、さ」
「カッコいい!まるで、本物のコブラガールみたいだ!ああ、僕もそんな旅がしてみたいなあ……」
「鍋釜と寝袋持参の貧乏旅行だぞ。おまえはやらんでもいい」
「あっ。また、僕を馬鹿にしましたね」
「馬鹿になどしていない。本当の話だ」
「お待ち」
私の台詞に対して、シオールは何かを云おうとしたが、そこへおでんの盛り合わせが来た。
「酒はそれぐらいにして食べろ。ここのおでんはなかなか旨い。おまえの味覚や嗜好に合うかどうかはわからんがな」
「それはどういう意味ですか」
「これは庶民料理だ。名家の息子の満足を得るのは難しいのではないかということさ」
「……」
シオールは刹那不服そうな表情になったが、すぐに端整な顔に戻った。箸立てから箸を取ると、おもむろにおでんを食べ始めた。
「美味しい」
「そうか。この味がわかるか。おやじさん、熱燗を」
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