恐怖

 猪男が運転するバスは、豪雨の中を快調に飛ばしていた。全ての歯車が滑らかに噛み合っている際に生じる独特の気配を私は感じていた。旧型ではあるが、エンジンの点検整備に怠りはないらしい。又、車内清掃も案外丁寧に行われていて、金属部分などは光沢を放っていた。

「……」

 私は窓ガラスの外側を流れ落ちる無数の雨滴を眺めながら、今後のことを考えていた。組織を脱走し、果てしない逃亡生活を送っている私にまともな未来などある筈もないが、それでも、生きられる間は生きていたいし、命を狙ってくる者があれば、これを退けねばならない。

 船を下り、この地に足を踏み入れてから数日が経過している。私を追うウツボ、エイ、トビウオの三バイオレンスとの戦い以降、追跡者は出現していない。もっとも、首領と幹部どもが私の首を諦めるとは思えない。


 刺客の群れの中には、私の天敵たる「あいつ」がいるだろう。あいつを返り討ちにする方法を考え出すのが、当面の目的と云えた。白状すると、私はあいつが恐ろしくてたまらない。

 たまらないが、強敵を討ち果たした際の快感は絶大なものがある。闘争を生業とする者のみに許される悦楽。戦士の特権だ。あいつを殺した時に感じるそれは、これまでに体験したことのない桁外れのスケールになるだろう。是非それを味わいたい。手段は選ばぬ。なんとしてもあいつを殺すのだ。但し、死肉は要らない。あいつの肉を食べたら、腹を壊すだけでは済まない。


 あの愉快な栄螺小僧が調達してくれた二冊の本のおかげで、当地の地理と住民たちに関する大体の知識を私は得ていた。小僧とその仲間たちは、エイの煮つけとトビウオの出汁で作った麺料理を食べたのだろうか。どちらも美味しいに決まっている。

 考える度に食欲が刺激される。余裕があれば、私も賞味したかった。新たな刺客の登場を警戒し、食べずにあの場を去ってしまったのだが、そう慌てることもなかったかなと、今になって、猛烈に後悔している。我ながら、蛇の食い意地は凄まじい。

 地方妖怪は比較的温和な性質のものが多い。だが、妖怪であることには変わりがない。もし人間なら「キメラマンの死肉を食べたい」とは思うまい。ひとつ気になるのは「エイの毒抜き」である。これが不充分だと、大変なことになる。煮つけを口にしたものは、ほぼ確実に死に至る。まあ、仮にそうなったとしても、私の知ったことではないが……。

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