いのしし怪人

 バスが現われた。泥飛沫を跳ね上げながら、こちらにやって来るのは、博物館に展示されてもおかしくないような旧型バスであった。こんな骨董品クラスの車両でも、田舎であれば、まだまだ活躍の場があるらしい。車の歴史については詳しくないが、デザインから察するに、大戦前に製造されたものではあるまいか。

 旧バスは荒々しい停車を演じると、怨霊の呻き声めいた音を立てながら、乗車口の扉を開いた。運転手は人間ではなかった。猪頭人身の怪物、キメラマンであった。おそらく、ギャングの用心棒か何かとして、誕生した(あるいは、させられた)類いであろう。やくざ稼業に嫌気が差し、足を洗って、バスの運転手に転職したのか。


 筒篭の老婆を先にバスに乗せ、私はその次に乗り込んだ。敬老の精神を発揮したわけではない。あの恐ろしい鉄鎌を帯びている彼女に背中を見せたくなかっただけのことだ。

 直感に任せての発言だが、この老婆、どうも只者ではない。肝が据わっているし、動作も機敏である。もっとも、地方の老人は都会暮らしの老人とは異なり、心も体も丈夫な者が多い。生活自体がトレーニングになっているようなところがある。彼女が具える貫録は長年の野外業務を経て、形成されたものなのかも知れない。

「釣りはないよ」

 というのが、私が聞いた運転手の最初の台詞であった。私に反感でもあるのか、不機嫌そうな声だった。私は「要らん。取っておけ」と応じつつ、料金箱に金子を放り込んだ。直後、何やら歯車が噛み合うような音がした。

 私の投入金額はバス会社が定めた金額よりも多い。差額は余禄になる。文句はない筈だ。それでも、運転手は態度を改めようとはしないのだった。この男、キメラマンそのものに敵意を抱いているのだろうか。自分もキメラマンの一人なのに。

 まあ、いい。こいつとの関係は、終点到着と同時に終了する。この程度のことでいちいち腹を立てていたら、それこそ身が持たない。私を乗せたバスは、扉を閉じると、停車時同様、獰猛な勢いで出発した。


 車内はガラガラに空いていた。私は通路を進み、最後尾の座席に腰をおろした。客の数は私を含めて七名という有様であった。筒篭老婆、行商人風、渡世人風の三人間と「あかなめ」「化けたぬきの母子」の三妖怪という顔触れだ。人間と妖怪がいっしょになって、猪男の運転するバスに乗っているのだった。辺境ならではの奇観と云えるだろう。

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