晩酌

 亭主自身が「日替わり定食」を運んできてくれた。膳の上に、山盛りの丼飯、生卵、季節野菜の漬物、そして、魚介スープが整然と並べられていた。胃袋を刺激する素敵な組み合わせであった。

 この店に入って、やはり正解だったようだ。終わりの見えない逃亡生活を続ける私にとって、食事は最大の楽しみである。生命の危機が迫っている場合は別として、同じ食べるなら美味しいものが食べたい。それが人情というものである。もっとも、私は「人間ではない」のだが。


 驚いたことに、小型ではあるけれど、立派な酒壺が膳の横に置かれていた。注文した憶えのない品である。亭主の顔に視線を向けると、彼はニヤリと笑って、これは私の気持ち、サービスですよ。と、云った。

 行きずりの客に奉仕をしたところでどうにもなるまいが、商人は戦士とは異なる思考をするものらしい。私は亭主の好意を受けることにした。

 その刹那、なんらかの罠ではあるまいか?という疑念が脳裏に浮かんだ。しかし、すぐに消えた。企みが露見した場合、酷い目に遭うのは亭主である。彼はそれほど愚かではあるまい。


 私は断酒の誓いを破り、亭主が恵んでくれた酒を呑んだ。旨かった。適度に冷えていて、味も良かった。酒は私の好物であり、同時に、最高の妙薬でもある。その効果は覿面で、背中のキズが完全に塞がる感覚を私は感じた。

 私は復活を遂げた。サシ(一対一)の勝負ならば、誰とやっても負ける気はしなかった。無論、あいつは除いての話である。


 食後、私は席を立ち、亭主に礼を述べた。暖簾を裏からくぐろうとした時、ここになら私の求めるものがあるのではないか…という考えが閃いた。ためしに訊いてみると、ありますよ。という答えが返ってきた。

 私は通常価格の二倍に相当する金額を亭主に渡し、それを入手した。あいつは真に恐ろしい敵である。最強水準に達している私の剣も、あいつにはきかない。だが、これならば、ある程度のダメージを与えることができるかも知れない。私はそれを背負い袋にしまい込むと、煮売屋を出た。


 私は街道には戻らず、波打ち際を歩いた。今夜はこの砂浜で野宿をするつもりだった。今から宿場に向かうのは億劫だし、あいつの襲撃に備えるならば、町よりも海の近くにいた方がいいように思われた。歩行を続けながら、適当な場所を探した。背後に「敵」が出現したのは、それから間もなくのことであった。

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