168:「ちょっとしたイメージチェンジ」
いついかなる時にも調子を崩さず、好ましい事実には率直な評価を、忌まわしい事実には歯に衣着せぬ皮肉を口に出すことを信条としている迂堂が目の前の光景に圧倒され言葉を失ったのは、おそらく数年ぶりのことであった。
召使いの芭佐間に命じ、招かざる訪問者を応接用の座敷に通した後──自室で着衣を整えて、迂堂は客間の襖を開いた。
その姿勢のまま、しばらく固まっていた。
あてがわれた座布団の上に正座していた客──アップルホッキー商会北部支社長エリック・アップルホッキーは、迂堂の知る姿とは似ても似つかない珍妙な装いをしていた。
七三分けにぺったりと撫でつけられていたはずの黒髪は、蛍光イエローのアフロヘアーに。
おどおどとした視線に押されるかのように頻繁にずれ落ちていた銀縁の眼鏡は、派手な赤色のフレームのサングラスに。
地味だが落ち着きのある上質なスーツは、ギラギラと下品に光るラメ入りのシャツとパンツに。
気弱なビジネスマンだったはずのエリックは、まるっきりそれとは真逆の格好に身を包んでいた。
「…………」
言葉が見つからずただ視線を上下させるだけの迂堂を振り返って、エリックは深夜に似つかわしくない陽気な大声を上げる。
「どうもどうも迂堂閣下! 夜分に大変失礼!」
「…………君は誰だ」
「これは驚き、これでも十年近くのお付き合いがあるはずですが! エリック・アップルホッキーでございます!」
「ああ……声だけは記憶にある。もっとも、今までの私との接見においてそんなに声を張ってはいなかったがな」
「ちょっとしたイメージチェンジでございます! 商人たるもの、常にあらゆる価値に触れる必要があるかと!」
「どこが『ちょっとした』だ」
ふう、と迂堂は深く溜息をつく。
「エリック君、私は非常に残念だよ──確かに、アップルホッキー商会の君以外の連中はそういった馬鹿馬鹿しい仮装に身を包み、笑顔で能天気に喋っている輩ばかりだ。そんな中であくまで常識的で理性的な君とはいくらかは話しやすく思っていたのだが」
喋りながら迂堂は部屋の中へ進み、座卓を挟んでエリックの向かい側へ座る。出端の衝撃がいくらか和らぎ、調子を取り戻しつつある滑らかさで言葉を続けた。
「ふん、あれかね? やはりそういった頓狂なキャラクターを演じねば商会の中で出世はできんという事か? 以前の君ならば絶対にしなかったであろう深夜の訪問においてその自信満々の態度、丸っきり君の上司のクソ道化の模倣が如きだな。組織人としてはアリかもしれんが、北部支社長としてはおよそ最悪の判断としか思えんな──わざわざ私の神経を逆撫ですることが北部での商売にどうプラスになると考えているのか、是非とも教えていただきたいものだ」
「ハハハハハハ」
満面に不快を滲ませながらの厳しい詰問──今までのエリックであれば萎縮しきっていたであろう状況で、彼は甲高い笑い声を上げた。
しかし本心の笑いとは程遠い、と迂堂は冷静に観察する。やはり、この短期間で何もかも真逆に変わることなどありえない──人間性の根幹は変わっていないまま、必死で虚勢を張って取り繕っている。笑い声の調子だけでなく、握りしめた拳や繰り返される身じろぎからも内心の動揺が透けて見えた。
「お腹立ちのご様子、誠に申し訳ございません! 私の至らぬ点や常識外れの押しかけについては幾重にもお詫びを──しかし是非とも、この機にお願いをしなければならないことがございましたので!」
「何だね」
「閣下が旗振りとなって進めておられる、クロウリー街の違法建築物解体作業……こちらを是非私共にお手伝いさせていただけないかと」
「……業者選定はすでに済み、作業はすでに開始している。今更になって何を言うのかね」
「たしかに開始はされたようですね──しかし作業員が七人も死んでは予定通りに作業を進めることは難しいでしょう」
「…………!」
迂堂のとぼけも意に介さず、エリックは切り込んでくる。
その的確さと動きの性急さに不審さを覚え、迂堂は更なるハッタリを仕掛けた。
「よく知っているな。ここまでやって来る時間を考えれば、君は解体作業に関する最高責任者の私よりも早く作業員殺害を知っていたわけだ──芭佐間、いるか」
呼びかけに応じ、襖が音もなく開く。廊下の板間に膝を突いた芭佐間が頭を下げた。
「お呼びでしょうか、旦那様」
「憲兵に通報を。哉義でなくとも構わんが、ともかく出動を要請しなさい──エリック君は殺人現場にいたことを自白した。現段階で犯人と決めつけるわけではないが、そうでないとも言い切れん。少なくとも重要参考人として取り調べを受けていただく必要がある」
迂堂はじっくりとエリックの様子を観察した。
いきなり殺人犯の疑いをかけられれば誰でも動揺する──しかし、その動揺の仕方によってその人間の本性が垣間見える。迂堂の知るエリックなら、大ごとになりそうな気配を察した時点で震え上がり白旗を上げるはずだった。
「い、忌まわしい犯罪を検挙するためなら、協力を惜しむものではありませんが!」幾分か裏返りながらも、はっきりとした発音でエリックは答えた。「残念ながら、私がご協力できることはさほどないのです! 私は偶然現場を目撃した人物から話を聞いたに過ぎません──その人物は我が商会の提携先に所属していたものですから、最寄りの憲兵詰所へ向かう道すがらに私に通信を送ってくれたのですよ!」
震えながらも言うべきことはきちんと主張する──これは変化だ。
ハッタリの波状攻撃を通して、迂堂はエリックの人間性を測り続けていた。クソ道化──トットリオ・アップルホッキーのような狂人じみた恐れ知らずには程遠いが、万事に及び腰だった部分が改まっている。本質としての臆病さは未だ残っているものの、彼の中では確実に何かが変わっていた。
まさかふざけた仮装で自信をつけているわけでもあるまいが、と思いながら迂堂は芭佐間に指示を出した。
「すぐに捜査状況を確認し、エリック君の言葉が真実か確かめなさい。確かであればこちらへの出動は見合わせて良い」
「かしこまりました」
静かに閉まった襖を一度振り返ってから、迂堂はエリックに向き直る。
「まあ、今までの君に免じてこの場では君を信じておこう。しかし、それならそれで──他社の従業員の死亡を好機とばかりに自社の売り込みに来るというのは、あまりにも礼節と倫理に欠けた行いだとは思わんかね?」
「仰ることはわかります、私人としては確かにその通りでしょう──しかし、可能な限り速やかに作業を再開させ、恐ろしい『クロウリー街の悪鬼』伝説を一日でも早く掃討することこそ北部の民のために最も大切なことであり、それにお力添えができる組織の人間としては手を挙げることを躊躇ってはならない。私はそう考えております!」
「商談に応じねば損になる、と玄関口で喚いていたらしいが、真意はそこにあると言いたいわけかね」ふん、と迂堂は鼻息と共に頷く。「強引な営業をうまく言い繕っている気もせんでもないが……まあ、北部の治世に貢献したいという気持ちだけはありがたく受け取っておこう。業者選定については後日発表する、今日は引き取ってくれたまえ」
手ごたえを感じているらしい笑みと共に、エリックはアフロヘアーを揺らして大袈裟に平伏した。
「かしこまりました! この度は、夜分に大変失礼を!」
辞去するエリックを玄関まで見送った迂堂は、軽く頭を振った。
エリックの変貌はひとまず置いておくとして──なんだか、嫌な流れになっている気がする。
クロウリー街の悪鬼……惨殺された作業員……そしてその穴を埋めるために立候補してきたアップルホッキー商会。どこか、恣意的な思惑の中にいるような感覚がある。
基本的に、迂堂は北部を守る立場として地元産業に仕事を振りたいと考えている。しかし事の次第によっては、解体作業はアップルホッキー商会に任せざるを得ない状況になってしまうかもしれない。
考えながら廊下を進んでいると、角を曲がった先からごとりと物音が聞こえた。
重い荷物を床に投げ出したような──静まり返った深夜には似つかわしくないその音を不審に感じて、迂堂は廊下の先を覗き込む。
「…………!」
迂堂は息を呑んだ。
廊下の突き当りで──芭佐間が頭から血を流して床に倒れていた。
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