166:「丁寧にね」
「ああ──心地よい疲れですわ。メノウ、その石くれを片付けてちょうだい」
「は、はい」
フェノメナは手に持っていた金槌を部屋の隅に投げ、晴れ晴れとした顔でいつもの居場所──部屋の中心の椅子に腰を下ろす。
当惑しながら瑪瑙は床に散らばった黒い塊を拾い集め、梱包を解いたままになっていた箱に投げ入れ始めた。どうやら、フェノメナにとって彫像『苦悩の人』はすでに何の価値もない存在になったようだ──ついさっきまで関心を持って眺めていた美術品を「その石くれ」呼ばわりとはあまりと言えばあまりな発言だが、確かに破壊された彫像は今や石くれ以外の何物でもなかった。
苦労して入手した高価な美術品を、届けたその日のうちに壊され──その後始末を命じられる。かなり理不尽な扱いだが、まあそれで満足してくれるのなら世界にとって良いことではあるのだろう。自らを慰めるようにそう考えながら、瑪瑙はただ手を動かした。
「…………?」
ふと、手が止まる。
彫像の欠片の中に──不自然なほど整った形のものがあることに気付いた。
拾い上げてみる。その欠片は大人の人差し指ほどの、細長い棒のような形状をしていた。一方の端はすり鉢状に凹んでおり、側面には数本の線が刻まれている。
「これは一体……」
「面白いものを見つけましたわね、メノウ」
背後から飛んでくる声に振り替えると、フェノメナがにっこりと笑っていた。
「何なのでしょうか? 偶然こんな形に割れたとは考え難いですけれど……製作に用いられた部品か何かですかね」
「塑像ならば芯となる部品を使いますが、これは石材を彫って作った彫像ですわよ。何よりそれ自体、彫像と同じ素材でしょう? それは真実、『そのように割れた』ものですわ」
「偶然の産物……と?」
「人が『偶然』と称する事象の多くは、この世界を司るものがそう望むことによって起きた『必然』なのですわ。それも同じ──私が金槌を振るうことにより現出した、ひとつの『天意』の形に過ぎなくてよ」
「て、天意……神様がそうお望みになったと?」
「私というよりは、私の力を介して自然に生まれたものね──そして、それを見つけたのはあなた。あなたがそれを用いて何かをすることが今、運命によって決定づけられたのですわ」
「運命……ですか……」
瑪瑙は茫然として、手の中にある石の欠片を見つめる。大仰な言葉とは裏腹に、実にそっけない石の棒だった。これが何の役に立つのだろうか。
「神様……その、私はこれで何をすれば……」
「あなたに訪れる運命はあなたのもの。訊かずとも、その時が来ればわかりますわ」澄ました表情でフェノメナは答える。「ただ、一つだけこの私が直々に助言を与えてあげましょう──それを用いる場面が来たと確信した時には、たとえそれが今しても後にしても変わらないと思えることであっても、先延ばしにせずにすぐに行いなさい。直感に逆らっては駄目ですわよ」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
戸惑いながら礼を述べ、瑪瑙は壊れた彫像の片づけを終える。元々今日はこれを納品しに来たのだった──用事が済んだ今、長居する理由もない。挨拶をして、瑪瑙は部屋を辞去した。
「丁寧にね」
「はい?」
扉に向かって歩き始めていた瑪瑙は唐突な言葉に振り返った。
「アルシュテート・ガルバンデスは自身が疑われないために細心の注意を払った──その一つであるその彫像も一役買って、彼は生涯政治犯の嫌疑をかけられずに済んだのです。彼に倣い、日常の所作一つ一つを丁寧に──機を逃さないために、あらゆることに気をお配りなさい」
「は、はい。お言葉、感謝いたします」
常に超然としているフェノメナとは様子が違う──いつになく念を押してくる様を不思議に思いながら、瑪瑙は一礼して部屋を出た。
日常の所作一つ一つを丁寧に。その言葉を思い描きながら、部屋を施錠する。
「…………ん?」
何度も見た光景のはず──しかしそこに、何か違和感を感じて瑪瑙は首を傾げた。
具体的に何が、というのは思いつかない。ふとした瞬間に何かを読み取った──その元を探ろうとして瑪瑙は閉めたばかりの鍵を開けた。
がちゃり、と重い音が響く。少し待って、もう一度鍵を施錠の方向に回す。さっきと同じように音がして鍵が閉まった。
「!」
二度目の施錠で、瑪瑙はふとした気付きの正体を理解した。
鍵を閉めた瞬間、扉と壁の隙間にちらりと走る光。ついさっき見たのはこれだった。じっくりと観察すればなんのことはない──鍵を回すと金属製の出っ張りが突き出て閂になる。その金属製の部品が、照明の光を反射して輝いただけだった。
なぜそれを気に留めたのか。その出っ張りの大きさが、瑪瑙のポケットにある石の欠片──細長い棒の直径と全く同じだったからだ。
慌てて扉を引く。固い感触に、鍵を閉めたばかりだと思い出して思わず瑪瑙は苦笑した。もう一度鍵を開け、扉の側面を慎重に観察した。
──やはり、鍵の機構の一部であるこの金属の出っ張りは、計ったように石の欠片と符合した。
「これが……?」
これが、答えなのだろうか。
瑪瑙は扉を開いた状態で鍵を掛け、突き出た出っ張りをつまんで引っ張ってみる。出っ張りはびくともしなかった。少なくとも、この部屋の鍵をどうこうするということはできそうにない。
……では、他の部屋の鍵は?
扉を元通りにして施錠を終えると、瑪瑙は半ば興味に押されるように他の部屋の前に移動した。
分厚い扉は、フェノメナの部屋に通じるものの他に4つ存在する。その扉の先には、瑪瑙の知らない『未解明顕現保持者』──生まれつき特異な、そして強力な能力を備えた人間が住んでいるはずだった。その事実に恐怖を感じ、自然と瑪瑙は音を殺す忍び足になった。鍵周りをごちゃごちゃといずくっていることを中の人間に知られないよう──静かにゆっくりと、それぞれの扉の前でしゃがみ込んで様子を観察する。
奥から順番に見ていって、一番最後──最も廊下に近い扉の前で膝を折った時、瑪瑙は異変に気付いた。
この扉だけ、出っ張りが短い。
まさかと思いながら、ノブを握って引いてみる──がりがりと擦れるような音と共に、少しずつ扉が開いた。
「…………!」
驚きながら、開いた扉の側面に目をやる。突き出た出っ張りは、扉の動きに応じてゆらりと揺れた。
音をたてないようにゆっくりと、しかし丁寧に──出っ張りを指でつまんで引いてみる。何の抵抗もなく、金属の棒は扉から抜き取られた。
「故障……していたのね……」
手の中の棒を見やりながら、瑪瑙は呟く。棒の一端──常に扉の内部に隠れている方の端が、経年劣化のせいかすり減って妙な形になっていた。おそらくこれが原因で、施錠が空転し出っ張りがちゃんと出ないようになっていたのだ。
金属の棒には細い針金が巻き付いていた。鍵の部品にしては妙に綺麗に見える──その意図はわからなかったが、瑪瑙は一方で強い思いを抱いていた。偶然発見した鍵の不具合──そして、摩耗した部品とぴったり合う石。この符合は、フェノメナの言うところの「運命」なのか。
──それを用いる場面が来たと確信した時には、たとえそれが今しても後にしても変わらないと思えることであっても、先延ばしにせずにすぐに行いなさい。直感に逆らっては駄目ですわよ。
すべてを見透かしたような言葉に操られるように、瑪瑙は扉の穴に石をあてがう。
滑らかに、まるで誂えられたように石は穴に入り込んだ。長さもぴったりだ──しかし、そこで初めて瑪瑙は気付いた。今、この扉は施錠されている状態──出っ張りは出ている状態だ。このまま扉を閉めることはできない。
困って、鍵穴に自分の持っている鍵を差し込んでみる。しかし当然ながら、フェノメナの居室の鍵はここでは使えなかった。
「うーん……あれ? でも、いけそう……?」
出っ張りを指で押してみた瑪瑙は、それが少しだけ奥に沈むことに気付いた。設計ミスか、もしくはまた別の部品の劣化ゆえか──それはわからないが、閂の役割であるこの部分は先端から押されるという動きを想定していないから、こんな場面でもなければ気付かれることはなかっただろう。
出っ張りを押し込んだまま、瑪瑙はゆっくりと扉を閉じる。ぎりぎりのところで、押し込む指を離すと同時に素早く扉を閉めた。
扉の内部でがちゃりと音がした。ノブを引いて揺さぶってみても、もう扉はびくともしない。
「ふう……」
知らず知らずのうちに額に流れていた汗をぬぐって、瑪瑙は立ち上がる。
これがフェノメナの言った、瑪瑙が果たすべき役割だったのだろうか。話しぶりからしてもっとドラマティックなものを漠然と想像していただけにあっけなく感じるが、この扉の奥にいる存在の大きさを考えればこれだって重要な働きなのかもしれなかった。
廊下に向かいながら、瑪瑙は眉根を寄せて疑う。
あまりに──話が出来過ぎているのではないだろうか?
彫像が割れて出てきた部品を手に入れたとたんに、それを使う場面が訪れた。その彫像が欲しいと注文を付けたのは誰だ? 当のフェノメナだ。フェノメナはあの部品が彫像と同じ素材だから切片だと言っていたが、それだって考えてみればおかしな話だった──彫像と同じ素材で作った部品をあらかじめ内部に仕込んでおいても同じことは再現できる理屈だ。
それに、瑪瑙が部屋を出る時のあの言葉。いつもと違う再三の念押しも、それを使う場面が部屋を出てすぐのところにあると知っていればこそではないのか。
運命だの必然だの、もっともらしい神秘的な説明をしていたが──結局瑪瑙がしたことは、フェノメナが仕組んだ結果ではないのか?
「……でも、何のために?」
そう口に出した途端、思考が行き場を失うのを感じた。
言葉で巧みに他者を操って──それで生み出した結果は、別の部屋の壊れた鍵を修繕しただけ。それをさせてフェノメナに何の得があるのか?
そもそも、あの部屋の鍵が壊れていることは自室から一歩も出ていないフェノメナが知り得るはずもない。唯一鍵を触る教材管理部の人間だって知らないはずだ。瑪瑙自身も、所作一つ一つに神経を尖らせていたからこそ運良く気付けたに過ぎない。しかし、その助言を与えたのは当のフェノメナなわけで……
「うー……」
頭をぐるぐるとさせながら、瑪瑙は廊下を進んでいった。
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