161:「それはもはや憲兵ではない」

「理由をお聞かせください!」

「だからー、越権行為だっつってんじゃん」

 

 東部軍務省──総司令官執務室。

 数か月前までその部屋の主だった兄に代わって椅子に鎮座している男──東軍総司令官代行、詠木遠近と対峙して、幾間は歯がゆい思いをしていた。

 遠近の方はいつも通り、飄々とした笑みを崩さないまま軽やかな語調で話す。

 

「麻薬対策特務班司令官、幾間姜一くぅん──報告ごくろーさん。体を張って集めてきてくれた情報、ありがたく受け取ったよ。なるほど、治安を乱すには十分な量の高級麻薬『ポラリス』を追跡した先に不気味な黒装束分身女がいて戦いを挑んできたと。確かにその女の様子は、親父が言ってた『緋熊党』とかいう西部じゃ有名な反政府組織の構成員と思われるようだねー。それと麻薬が繋がってるとなりゃ、そりゃもう一大事だろーさ」

「ですから……」

「ですから西部まで行って奴らをとっちめさせて下さい、ってのはナシなんよ、さっきから言ってるとーり」機先を制するように幾間の言葉尻を奪い、遠近は強引に続ける。「もう何年も憲兵やってんだからさぁ、基本的な職務内容くらいわかってるよね? 東部の憲兵は東部の治安を守る組織、西部の犯罪組織には西部の憲兵が対応すんの。ウチらにできることは東部で起きたことを西部軍務省に引き継いで対応の助けにしてもらうだけ──ワカる? この理屈」

「……『緋熊党』は過激な王権批判を行っている組織と聞きます。それ自体が違法行為である上に、麻薬の取り扱いも東部も西部も同じように犯罪行為で──」

「理論上の逮捕権はあるよそりゃ。でも西部での捜査権が俺らにはねーのよ──何度も繰り返すようだけどさ、それがあるのは西部の憲兵なワケ」そこで遠近はにやりと笑う。「ああ──言っとくけどさ、キミが以前にやったみたいな転籍っつーのは勘弁してよね。君が以前それをやったのは元々東部から補充申請があったからだし、そもそも君はすでに一般憲兵じゃなく役付きだからそうコロコロ身柄を移せないのよ」

「……どうしても、無理なのでしょうか」

「今のところは、残念ながらね」

 

 ふ、と遠近は表情を沈ませる。普段のへらへらとした様子からの意外な変化に、幾間はなぜだかどきりとした。

 遠近はしっかりと幾間を見つめ、ゆっくりと諭すように言った。

 

「君の職務への熱心さは勿論わかってる。担当範囲だなんだって問題も、本質的には無駄で不合理なモンなのは俺も重々承知さ──でも憲兵組織はそうしたルールに則って動いていて、ルールを無視したら正義は正義たり得ない。単なる強制力、暴力と変わらないのよ」

「はい……それは確かに」

 

 頷く幾間を見て、遠近はにこりと笑う。

 席を立ち、伸びあがるようにしてぽんと肩を叩いた。

 

「今は無理でも、これからもずっと無理ってわけじゃねーじゃん。実際、君ら『マタイ』の働きは目覚ましいわけだしさ──このまま『麻薬なき東部』を維持できれば、そのモデルは他地方も見習いたくなる。そうすりゃしめたモンよ。俺が直接掛け合って『マタイ』が大霊山を横断して捜査できるような体制に整えてやれる──どう、いいだろ? にはは」

 

 

 

 うまく宥められてしまった。

 そう思いながら、幾間は執務室を辞去して廊下を歩いていた。

 辿ろうとしていた麻薬の行方、未来の惨事に繋がりかねないものの追跡を断ち切られてしまったことへのくやしさはある。しかし、とは言え、遠近の言葉に納得する部分もあった──不合理なルールでも、それによって縛られている事実を無視すれば正義はなんのための正義かわからない。

 憲兵は国民に規則を守らせ、そして規則を守った国民を無法から守護する存在なのだ。当の自分達が規則を無視すれば確かにそれはもはや憲兵ではないし、幾間自身の正義感の根拠も崩れ去ることになる──今は亡き師、八咫沢架漣の教えにも重なることだった。

 ひとまずは──実績を積むしかないわけか。

 

 考えながら麻薬対策特務班の本部に戻ってきた幾間に、デスクで事務仕事をしていた鰍が声を掛けた。

 

「あ、幾間さん──直談判の首尾はいかがでしたか?」

「撥ね退けられたよ」

「そうなりますか、やっぱり」

「まあ、規則は規則だ。仕方ない」

「機会はまた巡ってきますよ」

 

 前向きな鰍の言葉に励まされ、幾間はにこりと笑って頷く。

 

「他の皆は巡回中か?」

「ああ、それをお伝えしたかったんです。先ほど連絡が入ったんですが──路上で風体の怪しい人物を見つけて、持ち物を改めたところ麻薬所持者だったとのことで」

「麻薬所持者?」ぴくりと幾間の眉が動く。「大方の流通ルートは潰したはずだが……まだ、どこからか麻薬が流れているということか?」

「それが、どうも顧客ではなく売人のようなんです。商売をしに、他地方から流入してきたんでしょう」

「なるほどな……皆はそいつを引っ張ったわけだ?」

「ええ。現在は礼寧第二基地の勾留室で尋問を行っているとのことです。何か引っかかることがあるとかで、幾間さんが戻られたらすぐに来ていただきたいと」

「分かった、ありがとう。すぐに向かう」

 

 幾間は身を翻し、入って来たばかりの扉を開いて廊下に踏み出す。

 心の中で、ごくわずかな期待が光っていた。

 他地方から入り込んできた売人──新たな麻薬の流れについて、鍵を握るかもしれない相手。

 『緋熊党』は西部に捜査権がある、それは正論だ。ならば、現在東部にいるその他地方の人間を取り調べる権利が自分達にあることもまた法に照らせば明らかだ。どう調べようと、何を訊こうと、誰にも文句は言わせない。

 この取り調べが、何かの前進のきっかけになれば。そう思い定めて、幾間は急いで歩を進めた。

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