第九章──濡れ衣と刺客と一族会議

158:「皆責任は取りたくないのだ」

 

 北峰学術院の定例教授会議は月に一度、本講義棟最上階の大会議室において行われる。

 普段のこの会議は、自分の研究を第一に考える教授たちが面倒は少しでも早く終わらせようと最小限の労力で進行させていく──どちらかというと非活発で沈殿した雰囲気の場なのだが、八咫沢明水は入室の瞬間に普段と様子が違うことに気付いた。

 出席者全員がどこか緊張したような、落ち着かないような空気を纏っている。いつもの良くも悪くもオフトーンな調子よりも議論の場としては活気を望めそうではあるが、しかしそれは議論により建設的な問題解決に努めようという前向きな空気ではなく、むしろ面倒ごとをさっさと肩から降ろしたいというような苛立ちに似た焦燥のように感じられた。

 まあ気持ちはわかる、と八咫沢は一人で頷く。手近な空席に座り、持ってきた包みを机の上に置いた。

 

 

 しばらく後、会議が始まった。前回の会議で宿題となっていた事柄の進捗をおざなりにいくつか報告し合った後、おもむろに口火が切られた。

 

「『クロウリー街の悪鬼』……我々北部最高学府教授陣として、かの問題にいかに対処するか意思統一をしておかなければなるまい」

 

 重々しく言ったのは嵐轟教授だった。太い眉を険しく吊り上がらせ、眼光鋭い目には強い意志が感じられる。その覇気に、多くの出席者がたじろいだ。

 嵐轟のゼミ生の一人がクロウリー街で殺害されたという話は聞いていた。それから嵐轟は躍起になって『クロウリー街の悪鬼』なる噂の解明──いやむしろ仇討ちをするべく奔走していることも、八咫沢を含む教授陣は聞き及んでいた。だから、この場で他の教授の協力を得ようとするだろうという予測は立っていた。それゆえの、会議前のあの空気である。

 

「我ら、常に魔術の向上を目指し学究の道を進む者達は──かかる事態にこそ、進んで事態の収拾に努めねばならぬ。日頃の成果をいかんなく発揮し、北部の平和へ貢献せん」

 

 嵐轟は傲然と周囲を見回しながら強い口調で言う。

 彼の学術的功績と、あまりに威風堂々とした態度のせいで表立って彼に意見できる教授は少ない──嵐轟の意見に対し消極派なのであろう数人の教授たちがひっそりとこちらに視線を送ってくるのを感じ、八咫沢は苦笑した。

 別に自分も嵐轟教授と喧嘩がしたいわけではない──しかし万事に頓着しないマイペースな性格ゆえ、誰に対しても物怖じせず発言できるという特性から八咫沢はしばしば今のように期待を集めることが多かった。そして八咫沢自身も、それが議論のためになると考えれば自分個人の意見とは違っていても反対派の意見を代弁することが少なくなかった。元々、我を通すことにあまり興味がない人間性なのだ。

 

「ああー……ちょっといいですか?」

 

 そして今回も、八咫沢は周囲の期待に応えて手を挙げる。

 

「まず、嵐轟教授のお考えになる『解決』とはどのような決着のことを指しておられるか、確認したいのですが」

「うむ。それすなわち、『悪鬼』の撃滅である」

「なるほど。ところで『クロウリー街の悪鬼』は未だ詳細不明なわけですが、『犯罪者の隠れ蓑』って説も有力ですよね。悪鬼の正体が人間の犯罪者だった場合は?」

「無論、法により責任を問うまで。当たり前ではないか」

「ああ良かった。その場合も撃滅するなんて言われたらどうしようかと思っちゃいました」

「……そんなことがあるはずがなかろう」

 

 毒気を抜かれたように、いくらか声のトーンを落として嵐轟は呟いた。

 挑発ともとられかねない混ぜ返しだったが、八咫沢の明るい雰囲気が場の剣呑さを少しだけ払拭する結果となった。

 

「言うまでもないことだが、我々は憲兵ではなく、警察権を持たぬ。犯罪者に対してはただ裁きの場へ送ることしかできぬ。しかし、悪鬼の正体が呪術的な怪異であった場合は──我々の専門分野ということになる。他に率先してこれを討つのが我々に課せられた社会的要請と言えよう」

「その意見には反対します」

 

 ねじ込むように、声が飛んだ。

 痩せた体を白衣に包んだ女性──山辺幸子教授だった。

 八咫沢は意外に思う。印象の薄い容姿に違わず、会議の場でも彼女は常に控えめというイメージがあった。自ら反対意見を──しかもいきり立った嵐轟に真っ向から立ち向かうとは、珍しい。

 

「我々魔術学者の責務は世直しではなく、魔術の研究です。八咫沢教授が仰ったように人間の犯罪者が正体ならともかく、呪術により生まれた何かが原因だとするなら、破壊・消滅させて終わりでは今後の発展は望みえません。ぜひとも捕獲し、詳細な研究をすべきでしょう」

「山辺教授、時と場合を考えられよ」

 

 嵐轟は反対者に対してもあくまで紳士的に応じる。しかしその目は激情に燃え、悪鬼は討つ以外の選択肢を端から認めないという意思に満ちていた。

 

「事は急を要するのだ──すでに犠牲者が出ているという現状をもう一度認識された方が良い。正論も結構だが、理想論に傾き過ぎておられると愚見する。何よりも尊いのは人命であり、これを守ることを最優先するのが当然の価値判断であろう」

「あら、これは嵐轟教授らしからぬお言葉」山辺はくすりと笑う。「かつて戦場で『無影陣』の異名をとったほどの武人が──攻めた陣営が人っ子一人、影すらいなくなるまで殺戮し尽くすことで名を挙げた鬼将軍が、人命優先とは」

「山辺教授、個人攻撃はよくないですよ。議論の趣旨とは関係ない」

 

 八咫沢は嗜めながら、机に置いた包みを開く。中から出てきたおにぎりを両手で持ち、おもむろに頬張り始めた。

 あまりに唐突な食事に、場に白けた空気が漂う。何をしている途中でも時間がくれば八咫沢は突然食事を始めることはこの場の全員が知っているが、あまりといえばあまりなタイミングではあった。まあ、その呆れが議論のヒートアップにいくらかでも歯止めを利かせてくれればよいと八咫沢は思ってはいたのだが。

 

「……とにかく、悪鬼を滅するのが目的である以上は、私は嵐轟教授のお手伝いは致しかねます。むしろ私は私で、捕獲を目的として活動したいと思っています」

「ふん。せめて忠告だけはしておこう──危ないことは止した方がよろしい。名誉欲は生命に勝るものではなかろう」

「な……何ですって?」聞き返した山辺は、何も答えない嵐轟に業を煮やして声を高くした。「私に対して仰りたいことがあるなら、どうぞ言って下さい!」

「言えと仰るのなら申し上げよう。貴女が王室護呪院へ栄転するための功績を探し求めて血眼になっていることは知っておるのだ──魔術学者としての名声は闇雲に求めるものではなく、成したことに対して後からついてくる物だと心得られよ。実質を超える虚名など、求めるべきではない」

「わ……私がそれに値しないと仰るの?」

「少なくとも功名心だけで悪鬼を捕らえられるとは思えんな。傷を負わぬうちに諦めて、箱庭の花畑の中で大人しくしておられればよろしい」

「…………!」

 

 憤然と立ち上がる山辺と、じっと座ったままそちらを睨みつける嵐轟。

 一触即発の状況に耐えかねたかのように、居並ぶ教授陣の一人が声を上げた。

 

「まあまあ……個人の事情には踏み入らず、冷静に話し合いをしましょう。そう……『クロウリー街の悪鬼』といえば、迂堂閣下が対策に本腰を入れると先日発表されているのを見ましたよ。迂堂閣下は本学の名誉学長でもあられることですし、その見解をもって北峰学術院の方針とされるのがよろしいでしょう」

 

 嵐轟・山辺両名は不満そうに発言者を見やったが、この提案には多くの賛成の声が集まった。皆責任は取りたくないのだ、と八咫沢はおにぎりを食べながら思った。

 一応正式の会議であるから、最後に議決を取った──取る前から分かっていたことだが、やはり『迂堂閣下の決定に従う』に圧倒的多数票が集まった。

 反対票を投じたのは嵐轟に山辺、そして八咫沢だけだった。

 

 

 

「……とまあ、そういうことがあってね」

「ははあ、嵐轟先生と山辺先生って仲悪かったんですね」

 

 数十分後──自分の研究塔に戻った八咫沢は、用事で顔を出していたゼミ生の椛良と茶飲み話に興じていた。

 学者志望の椛良は教授会の様子を興味深げに聞いた後、不思議そうに尋ねた。

 

「先生……八咫沢先生はどうして反対票を?」

「すこしだけ警鐘を鳴らしておきたかった、というのはあるね。まあ──結果を見るにそこまでの効果は持たせられなかったかもしれないが」

「警鐘、ですか?」

「皆があまりに迂堂閣下を信頼しすぎているということに関してね。いやまあ、僕も迂堂閣下を個人としては尊敬しているが──しかし彼も一人の人間には違いない、時には間違うことだってあるんじゃないかな。でも、周囲は『迂堂閣下に任せておけば間違いない』と、まったく無批判に思い込み過ぎていると思うんだ」

 

 まあ実際、それを考えから外すのは難しいことではあるけれどね──と八咫沢は軽やかに続けた。

 

「何しろ実績が段違いだ。大霊山のどこを探しても、一個人として閣下より経験豊かな執政者はいないわけだし──殺人的な多忙さの中で正確無比な判断力を維持し続けるその能力は驚嘆に値する。だから丸投げしたくなる気持ちも勿論わかるんだよ──さらにちょっと意地悪な見方をするなら、実際閣下に表立って反目したら立場が危うくなる人だって大勢いる。まあ、もしかすると僕もその一人かもしれないけれど」

「先生は無頓着すぎますよ」

 

 椛良に苦笑してみせてから、八咫沢は続ける。

 

「それでも、閣下は全知全能じゃない。神ならぬ身を神のように遇することの歪みは、いつか想像以上のダメージとなって社会を襲う……僕はそんな気がするんだ。そしてひとたびそうなれば、後世の人から批判されるのは閣下よりもむしろ彼に全責任を負わせて思考放棄の安逸を貪っていた我々の方ではないかな?」

 

 史家としては、自分自身を歴史上の愚人に叙したくはないものだよ。

 八咫沢はそう結んだ。

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