152:「福音を授けてあげましょう」

「神様の静謐なる時をお騒がせし、誠に申し訳ございません。大門アスラ、本日も御用聞きに参りました」

「良いのですよ、アスラ。頻繁な訪問も、私への帰依の深さと受け取っています──それに丁度、頼みたいこともありましたし」

 

 深く首を垂れるアスラに、鷹揚に応じるフェノメナ。学院の教材とその管理者であるはずの二人は、まるっきり主従の間柄のようだった。

 

「有難きお言葉でございます──頼みたいこととは?」

「少し退屈ですの──『王伝呪解略』という書物を読みたいわ」

「ほう……『王伝呪解略』でございますか。確か初代王の命によって編纂され、崩御の翌年に出版された研究書──かなりの稀覯本ですね。かしこまりました、必ず探し出して神様に捧げさせていただきます」

 

 打てば響くように答えるアスラに、瑪瑙は感心する。

 

「さすがアスラさん……そんな古い本もご存じなんですね」

「我が大門家に伝わりし666の秘蹟が一つ──『古書鑑定術』をもってすれば簡単なことや」

「いや、それはただの知識なのでは……」

「頼みましたよ、アスラ」

「あの、神様は読書がお好きなんですか?」

 

 瑪瑙の問いにフェノメナはくすりと笑う。

 

「ええ──まあ、大好きというほど熱中してはおりませんけれど。長い時を経ても残っている書物や芸術品──そういったものには、小さな存在である人間が精一杯に世界を表現しようとした気概が感じ取られ、愛おしさを感じますわ」

「な、なるほど……」

 

 いかにも神のような返答に頷く。そういえば、明るくなった部屋の中を見回してみるとそこここに大仰な美術品が配置され、奥にある書棚の中には相当量の書物が置かれている。古書や美術品の相場については瑪瑙は詳しくないが、いずれフェノメナの眼鏡にかなうということは相当のものではあるのだろう──そしておそらく、それらすべては教材管理部の担当者が手を尽くして集めてきたものなのだろう。目の飛び出るような出費なのだろうが、アスラの言うところの『世界を滅ぼしかねない』能力者を閉じ込めておける代償としては安いものなのだろうか。

 きょろきょろとあたりを見回す瑪瑙の考えを読み取った様に、アスラがやや誇らしげに言う。

 

「メノちゃん、神様が少しでも居心地よくここで暮らして下さるように心を尽くすのがウチらの仕事なんや──とはいえこんなことは、交換条件にも何もなりはせえへん。その気になれば自由にどこへでも出て行ける神様が、あえてウチらのもとにいて下さることに常に感謝を忘れたらあかんで」

「その通りですわ、アスラ──私からすれば、居場所などどこであっても変わりませんしね」

「さすが神様、我々卑小な人間とは視点の大きさが違いますーッ!」

「そういうことですわ。迂堂廻途──彼がここにいてくれとしきりに頼むので、それに応じてあげているだけ」フェノメナはついと視線をずらす。「人間の中では、彼もなかなかの傑物だと私は評価していますの。私の敵ではないにせよ、『仕組みの権化』たる彼に徹底的に反目されれば煩わしいことになりそうですから」

 

 なるほど、と瑪瑙は思った。

 仕組みの権化──確かに、北部はほとんどすべて、迂堂の作った仕組みシステムによって回っている。それらを掌握し、広大な行政区をほとんど網羅していると言ってもいい彼の存在は、どれほど規格外の能力を持つとしても一個人には変わりないフェノメナに対抗しうる要素ではあるのだろう。

 

「さて、本日の面会はこんなところに致しましょうか」まるで取り仕切っている立場のように言って、フェノメナは優雅に微笑む。「今日も、私を拝むことができて良かったですわね」

「身に余る光栄でございます!」

「ああ、そうそう──新しい人と出会えた記念に、今日は特別に一つ、福音を授けてあげましょう」

「え?」

 

 振り返った瑪瑙とアスラを、フェノメナは見返していた。

 変わらず椅子に腰かけたまま──光り輝くような瞳の中に怪しい色彩を揺らめかせて、意味深な笑みを浮かべた現人神あらひとがみは呟いた。

 

「迂堂君にお伝えなさい──『クロウリーストリートの悪鬼』にお気をつけあそばせ、と」

 

 

 

「いやー、今回は収穫アリやったな!」

 

 フェノメナの居室を辞去し、長い廊下を歩きながらアスラは上機嫌で呟く。

 

「収穫……って、最後のあの一言ですか?」

「そうそう。神様はな、機嫌が良ければたまにああやってちょっとした助言を授けて下さるんよ。それがまあ、厳重な地下におられるとはとても思えんくらいの百発百中なんやから」

「ということは……やっぱり例の都市伝説は本当のことなんですかね」

「少なくとも、単なる噂の一人歩きではなく何らかの実在性があることは確かやろな。しかも迂堂閣下名指しで伝えろってことは、相当大掛かりな被害が出る可能性を見込んでのことなんちゃうか? それを未然に防げたとしたら、これは凄い話やで」

「確かにそうですね」

 

 相槌を打って、瑪瑙ははっと気づいた。

 はたと足を止めた瑪瑙を、アスラが訝しげに振り返る。

 

「……メノちゃん、どしたん?」

「私……私、アスラさんを誤解してました」

「ん?」

「その、神様と接してる時のアスラさんの態度……いや、そのもっと前、今日私を伴って神様に会いに行ったのも、普段から頻繁に御用聞きに通っているというのも──すべて、そのための計算ずく……だったんですね」

 

 おそらくアスラの言う通り、フェノメナには未知の、それも相当強力な能力があるのだろう。それは直に接した瑪瑙にも納得できる。

 そのフェノメナが時折漏らすという『福音』──それがこの社会に利益をもたらすことを知っているから、アスラはそれを引き出すために全力を尽くしているのだ。

 丁重に御用聞きに伺い。

 狂信者の如き敬虔な態度をとり。

 新しい人間の紹介を積極的に行い、新鮮な気分にさせ。

 まさになりふり構わず、はたから見れば異常ともとられかねない真似をして──それでも利益が勝るとの判断。

 それはまさに瑪瑙が知る、明晰で善良な尊敬できる先輩──大門アスラの姿そのものだった。

 瑪瑙はアスラへの尊敬をより深めるとともに、つい先ほど彼女を奇異の目で見てしまった自分を心から恥じた。

 

「…………何を言うとるん?」

 

 しかし。

 当のアスラは、きょとんとした表情で瑪瑙を見返した。

 

「いやいや、そんなのごくたまーにの話やで? ほんとに何かのついでって感じのやつで、それを当て込んで何かしよう! ってほどの頻度ちゃうよ」

「え……」

「というかアレやで、メノちゃん──神様に尽くすことに対して、見返りを求めるって見方は不純やないの。そういうの、良うないで」

「…………」

「さ、早よ戻ろ。帰りがけ、どっかで軽く飲んでく?」

 

 足早に進んでいくアスラの背中を追いかけながら、瑪瑙はがっくりと肩を落とした。

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