065:「彼らとともに奔れば」
すっかり朝日が昇り、木漏れ日に溢れる森の中を遠近は歩く。
後ろには彼に心酔した部下たちが続いている。
清新な気持ちで深呼吸する──良い気分だった。
「へいへいへーい、逃げらんなかったみたいだねー」這いつくばる黒ずくめの男を見下ろして、遠近はにやりと笑う。「
男はこちらを見上げ、悔しそうに歯をむき出した。
無表情のクグルノが彼の手の甲に踵を乗せ、体重をかける。悲鳴を上げて、男は握っていた手を開いた。
自由になった書類鞄を拾い上げ、遠近は中身をあらためる。
鞄の中には大判の封筒があり、さらにそれを開くと十数枚の紙が出てきた。
「……ふうーん」
ざっと目を通す。問いかけるようなクリスの視線に応じて、遠近は口を開いた。
「館を襲撃した人物のことが書かれてるね。彼の名はカガリ──手っ取り早く言えば、内紛ってヤツか。この報告書は彼に殺された死体の状態を細かく検分した結果を記してるみたい」
「『臆病な梟』は現在、その造反者と東軍を同時に相手にしているということですか」
「そ。まあ、こっちにとっちゃある意味朗報かな?」
さて、どうするか。
そう言いかけた時──クグルノがこちらをじっと見つめているのに気付いた。
「?」
「総司令官殿──そこ、危ねえぜ」
その言葉とほとんど同時に。
ずるり、と足が滑り、遠近の視界がぐるりと回転した。
「うぉわっ!?」
軸足が急にずれ、抗う術もなく遠近は草の上にすっ転ぶ。
粘性の飛沫があたりに跳ねた。泥──これで足を滑らせたのだった。
持っていた書類が宙を舞った。
「…………!!」
全員の視線が遠近に集中した、その一瞬を盗んで──男が素早く立ち上がる。
散らばった書類を引っ掴むと、転げるように斜面を駆け下りて逃走を図った。
「あっ……奴が逃げるぞ!」
「追えっ、逃がすんじゃねえ!」
部下たちが浮足立つ──しかし、クリスがそれを制した。
「止まりなさい!」
押し殺した、それでいて気迫に満ちた一喝。その鋭さに、思わず男達は足を止めた。
クグルノが後を引き継ぎ、ゆっくりと言う。
「問題ねえ。クリスの部下が捕捉してる──奴に気づかれないよう、追っていく。『偶然の好機を生かして逃走に成功した』……奴にそう思わせんだよ」
「ああ? お前、何言ってんだ?」
「大体、お前の警告が遅れたから総司令官殿が転んじまったんだろうが! どうすんだよ!」
「……お前ら、まだわかってねえのか?」
馬鹿にするように顎を上げ、いきり立つ男達を見下して。
長髪の隙間から冷静な眼光をのぞかせたクグルノは、ゆっくりと言った。
「すべては総司令官殿の作戦だ」
瞬間、水を打ったように場が静まり返る。
一呼吸おいて、クグルノは続けた。
「大体よ──こんな場で無様にすっ転ぶなんて間抜けな真似、総司令官殿がやらかす訳ねえだろ。いいか? カガリだかなんだか知らねえが、『臆病な梟』の造反者の事情なんざこっちにゃ大して関係のねえ話だ。しかし一方で、『臆病な梟』側にしてみれば今後の対策のために心底欲してる情報でもある。厳命を受けて、あの男も必死になって情報を届けるだろうぜ──つまり、それを尾行すりゃ『臆病な梟』の上層部は一網打尽にできるってこった。こちらにより旨味のある展開に繋げるため──『自然な逃走』を演出するために、総司令官殿は即興で一芝居打った。そういうことだ」
身を起こしながら、遠近は部下達の顔を見やる。
息をのむ彼らに、余裕たっぷりにうなずいて見せた。
「……ま、そーゆーコト。君達の迫真の慌てっぷり、ナイスだったよー?」
「そ、そういうことだったのか……!」
「あの一瞬でそこまで考えてたなんて……すげえ、すごすぎるぜ!」
「さすが、我らが総司令官殿だっ!」
部下達が口々に称賛の言葉を口にする。
立ち上がって尻の土を払いながら、遠近は心中で苦笑いした。
褒めるべきはクグルノだ──彼は情報伝達員を捕獲した段階で、彼の利用法を想定していたのだろう。こちらに有用な情報ならそのまま取り上げ、もしそうでないなら道案内役に使う、と。情報の中身を確かめる前からあらゆるケースを考慮し、クリスにも伝えて尾行の手はずを整えていたのだ。
およそ真似のできない周到さ、そして大胆さ。
当の遠近すらも騙して、彼は状況を最善手に誘導したのだ。
「さて……俺の意を汲んでくれたクグルノっちとクリスちゃんのお陰で、
ここまで付いてきてくれた彼らへの報酬を支払う時だ。
そう考えて遠近は屋敷の入り口へ向き直る──しかし、部下達は動かなかった。
「んあ? どったの?」
「総司令官殿……先には進まねえんですか?」
「え?」
「そうだ! このまま行きましょうよ──誰もいねえ屋敷の確保なんか、正規軍に任せりゃいい!」
「賛成だ!」
「ん……うん? いやいやちょっち待ってよ」
意外な展開に首を傾げ、遠近は盛り上がる部下達を押しとどめる。
「君ら、それがどういうことかわかってる? 俺達は『臆病な梟』の本拠地を抑えた──長いこと溜め込んだ非合法な金も、おそらくこの中に眠ってる。それが欲しくて臨時治安部隊に入隊したわけだろ?」
「もちろん、最初はそうでしたけどね」
部下の一人が髭面を歪ませて満面の笑みを浮かべる。
「俺ら、もうどうでも良くなっちまってんですよ。金がいらねえわけじゃねえけど、それ以上に──あんたがどこまで行けるのか、見たくなっちまった。そしてそれに付いて行きたいと」
「そうです」
横にいる大男が意気込んで続ける。
「正直、司令官殿を見くびってました──ここまで凄いお人だとは思わなかったんでさあ。あんたならやれる。逃げた『臆病な梟』上層部を追い討ち、完全勝利を収められる。お伴させてくださいや、司令官殿!」
「そうだ!」
「歴史的瞬間を見せてくれよ!」
「どこまでも付いて行きます!」
口々に、彼らは声を上げる。
不意に、こみ上げた何かが喉につかえたように感じて──思わず遠近は顔を伏せた。
役立たず。
半端者。
無能。
ずっと、そう呼ばれ続けてきた。
──俺はその呪いを解きたいんだ。役立たずで負け犬の俺じゃない、確固とした何者かになりたいんだよ。
ミズハに語った言葉が、脳裏に去来する。
そうだ。
今だ。呪いを解くのは。
今──このまま、彼らとともに
俺は何者かに、なれるのかもしれない。
苦しいほどに憧れ。
狂おしいほどに焦がれた。
胸を張れる自分自身を──手に入れられるのかもしれない。
嘘のように爽やかな、朝日の差し込む森の中で。
遠近は──決然として頷いた。
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