066:「すべての始まりは」
太陽が中天に差し掛かる頃──キーラ達は
東部の最大都市である礼寧からほど近い、大きな町である。検奕で人員と物資を補給したおかげで、さしたる危険もなく速やかにたどり着くことができていた。
キーラはマキナとウトラを伴い、馬車を降りる。ヤンシュフが恭しく頭を下げた。
「お手数をおかけしました。こちらが私が常在する拠点でございます」
「え……? だって、ここは」
思わず問い返し、キーラは目の前にある看板をもう一度見返した。
タキシードに身を包んだ白兎と、バニーガールの装束を着けた黒兎のキャラクターが笑顔を浮かべ、手招きをするイラスト──その上部には、金文字で「エル・ドラド・バービー」と記されていた。
広大な敷地に、まるで城塞のようにそびえ立つ石造りの大きな施設。その中には各種の遊技場やレストラン、高級服飾店などが収まっている。東部の人間で、知らない者はいない有名な場所だった。
馬車が停まった場所──そこは、東部最大の公営アミューズメント施設だった。
「ここが……『臆病な梟』の拠点、なのですか?」
迷路のような施設内を地下へ地下へと進みながら、キーラが問う。
声を低める必要はなかった。すでにここは一般客の出入りする場所ではないらしく、一行が立てる靴音を聞いているのは壁際に設置された照明だけである。
「ええ──私にはブフニッツァのような頭脳も、シキョウのような武の才もありません。得意なのは、もっぱら金勘定でございまして」先を行くヤンシュフは、禿頭に手を当てて少しだけ笑った。「ここは『臆病な梟』の主要収入源の一つ……ここと、あと東部に点在する類似施設の統括を行い、組織の活動資金を稼いでおります」
階段が終わった。
眼前には大きな扉が待ち構えていた。簡素で寂しい廊下には不釣り合いな、大きくて装飾的な扉である。
ヤンシュフが前に立って頷くと、重々しい音を立てて扉は中から開かれた。
部屋の中は──巨大なカジノになっていた。品の良い赤絨毯が敷き詰められ、ルーレット台やトランプゲーム用のテーブルなどが幾十も配されている。まだ日が高いゆえか客はおらず、やたらとだだっ広い印象を受けるが──きっと営業時間となれば多くの客で賑わうのだろう。
傍らにいるマキナが、呆気にとられたように呟く。
「確かに、ここから生まれる利益は大きいだろうな。しかし、地下にこんなモンがあるたァ……ここは公営のはずだろ?」
「表向きは」ヤンシュフは答えて、キーラを見る。「この光景こそ、何よりも分かりやすい答えでしょう?」
──東公が、祖父とともに『臆病な梟』を作った。
先ほど知ったばかりの事実を思い返して、キーラは頷いた。
「……なるほど、確かにそうでもなければ……こんな大掛かりなものは作れませんね」
「あら、ヤンシュフ様。お早いお着きね」
鼻にかかるような声が響く。
壁際のバーカウンターに座っていた女性がこちらに歩み寄り、ヤンシュフにしなだれかかった。
長い金髪をカールさせた、美しい女性だった。光沢のある生地で仕立てられた服は布面積が少なく、扇情的な体の線を強調している。一目でわかる、「夜の職業」を生業とする出で立ちだった。
「ヤンシュフ様が直々に連れていらしたって事は、相当なVIPの方ねぇ。三人とも、まだ若い女の子なのに──ここの刺激を味わったら、もうお日様の下では満足できないかもよ?」
女性が嫣然と微笑みかける。キーラはなぜだかどぎまぎしてしまった。
「いえ……その、私は」
「あら、可愛い」
「リリアン──そうじゃない。構わなくて良い」
「あら、ヤンシュフ様ったら──つれないこと」
ヤンシュフは蠅を追うように手を振る。リリアンと呼ばれた女性はキーラに流し目をくれて席に戻っていった。
「失礼を。彼女は別フロアで働いている女性で──稼ぎ頭の一人なんです。何の仕事かは、まあ……別の機会にいたしましょう」
「ええ」
なんとなく察しながら、キーラは努めて事務的に応じた。
カジノフロアの奥──事務室らしき場所に落ち着いて、ヤンシュフは話し始めた。
「すべての始まりは……礼寧の裏街だった、と先代から伺っております。当時、少年だった詠木銅冠様はひょんなことから迷い込んだその場所で、自分よりいくらか年嵩の鋭い目をした若者に出会いました。彼は腹から血を流し、下水の脇にうずくまっていました──近寄った銅冠様に、青年は失せろと言い放ちましたが、意に介さずに彼は青年を病院へ運び込みました」
宙空を見つめながら、老いたマフィアは語る。
「当時、東部を束ねていらっしゃったのは銅冠様の父君──当然、息子である銅冠様も下へも置かぬ扱いを受けるお方。青年は無償で最大限の治療を受け、命を取り留めました。数か月後に青年は再び銅冠様の前に現れ、借りを返したいと申し出られたのです。当時、殺し屋として名が売れ始めていたその青年の通名は『梟』──しかし彼は本名で、レフと名乗りました」
「お祖父様……」
「先代は生まれつき、特異な能力をお持ちでした。一睨みするだけで他者を威圧し、行動の自由を奪う眼光──しかしそれをものともせず、真心を示された銅冠様に先代は心を許されたのでしょう。二人は親友となり、共同である計画を始めました」
虚空に先代梟公を見つけたかのように、ヤンシュフは薄く微笑んだ。
「その当時、東部は無法地帯と呼べる状態でした。隣国、日本から武器の密輸を行うならず者たちの台頭、それを根絶すべく締め付けの厳しい施政を行う東公。監視と密告、血と暴力のはびこる巷──殺人や強盗事件が相次ぎ、親のない子供が裏路地に溢れかえる惨状に終止符を打つべく、『臆病な梟』は発足したのです。銅冠様は資金をはじめとした様々な面で便宜を図り、先代は仲間を増やしながら名だたる裏組織をことごとく潰してゆきました。数年のうちに『臆病な梟』は東部の裏社会の中で重きをなし、淀んだ闇に掟をもたらしたのです。『
そんな歴史が──この東部に。
キーラは驚きながら、同時に納得してもいた。
一人の能力がどれほどすさまじくとも、数年で東部の裏社会を統べるほどに組織を成長させることは至難の業だろう。大小さまざまの組織が鎬を削る場──しかも法の及ばない場において、あらゆるしがらみや牽制を無視して成長するには、強力な後ろ盾が必要不可欠だ。それが次代の東公という並外れた存在だったからこそ──突拍子もない計画は、現実となった。
そんな長年の盟友である東公──その権限の下にある東軍が、『臆病な梟』に牙を剥いている。確かに、現状は東公不在を断ずるのに十分な状況といえた。
「なるほど……あんたの意図がわかったぜ、ヤンシュフさんよ」
マキナが納得顔で声を上げる。
「この施設──『臆病な梟』の一大拠点となっているこの施設の存在自体が、東公との太いつながりを示す証拠の一つ。カガリはともかく、東軍はここを攻められねェと、そういう訳か」
「お察しの通り。それ以前に、表の人間でここを知っているのは銅冠様だけですし──私の本拠ゆえ、カガリの来襲に対しても備えは万全です。銅冠様がお戻りになられるまでの時間は稼げましょう」
言い終わると、ヤンシュフは革張りの椅子にもたれて深く息をつく。
海千山千の幹部とはいえ、老体に昨日からの強行軍は堪えているのだろう。
それはキーラ達も同じだった──ようやく一息つける、とキーラはほっとした。
しかし──その安心は、五分と続かなかった。
慌てたようなノックと共に、タキシード姿の男が入室した。
非礼を咎めようとするヤンシュフに耳も貸さず──彼は端正な容貌に焦りを滲ませ、取り乱した声を上げた。
「ここが──『エル・ドラド・バービー』が、憲兵に取り囲まれております!」
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